イタコ面接

今日は面接の日でした。

 

毎回、面接のときってなんか違う人が乗り移ってるんじゃないかって思う。

よくもまあこんなにいけしゃあしゃあと喋れるよ、お前誰だよって感じ。

 

Q:集団での行動で気をつけていることはありますか??

 

A:何か大勢で一つのプロジェクトを進めるときには、

 みんなが持ってる能力を最大限に活かせる環境をつくるのが大事と考えています。

 それぞれが力まずに自分の得意なことに取り組めるのが一番力を引き出せるので、

 のびのびと話をしやすい雰囲気づくりを心がけています。

 誰か萎縮して意見を出せていなかったり、緊張している人がいないかを感じ取って、

 そういう人がいたらまず場の緊張を解いたりすることをしています。

 

組織の形って、ボスザルがしっかりいて統率取れてるパターンとか、

お互いがヤイヤイ言いあってるパターンとか色々あるけど

私はパキパキぴしぴししてるところよりかはプニプニしててビョーンな感じ

にしたいんだなと思った。ぷにぷに。くるくる。ピヨピヨ。ぴょこぴょこ。

あんまり自分が組織に属してるイメージないけど、

おっぱいとかスライムみたいな弾力のある組織で働きたい。つんつんしたい。

 

二歳の幼女のお腹の弾力もいい感じ。ぽんぽんしたい。

残すもの

美しいものを残したいと思う一方で、

亡くなった人のものをどんどん片付けて行くと

 

残せるものは何もないなあと思う。

自然界を見ると、

1ミリも跡形を残さずに、

万物が流転している。

細胞を構成していた元素は分解されて、

何年か後には空を舞っている。

 

見えない世界は、流転するも何も

歪みも何にもないから、そもそも流転することすらない。

だから、美しいも醜いもない。

般若心経ではそのことを謳ってるのかな。

 

子どもは作ったものをニコニコしながら壊す。

私は美しいものを残したいと思うけど、

それは叶わない。いつも破壊される。

 

せっかく頑張って作ったのに、

壊しちゃうの???

とか思うけど、

それはそれで、仕方のないことなのね。

 

「創造は破壊から生まれるんだよ」

って誰かが言ってたけど、

そうなんだと思うよ。

 

本当に残るものってあるのかな。

跡形もなく分解してしまう方が

 

行いとしては美しいのかもしれない。

2017年

7月

11日

私たちを活き活きさせるものって一体なんなんだろう。

私は人の表情を観察するのが好きだ。

 

絶望や嫉妬、怒り、無関心、蔑み、悲しみ。

そういう時の人の表情も、見てみたい。

素っ裸になった心を覗きたい。

(そういう意味ではちと変態かも!)

 

あと、狂っている、狂っていない、とはどういうことかも気になる。

 

精神病院の病棟内にいる人の表情を観察した。

彼らは、感情が動くことがない。

感情が動くところを見てみたい。

感動するところを見てみたい。

 

私のいろんな破壊的衝動は

そこから来ている場合がある。

人を活き活きさせない状況を破壊したい。

精神科の病棟の壁を破壊したい。

 

活き活きするということはどういうことか。

脈動するということはどういうことか。

 

心からの笑顔と、そうでない笑顔。

病とともにいる人の表情を観察すると

だんだん見分けがつくようになる。

瞳にそれらの表情は宿っている。

 

逆にいうと、病んでいるからこそ、

健全ということはどういうことかわかるような気がする。

 

本の整理をしてて、

素っ裸の子どもの笑顔の写真の広告が出て来て度肝を抜かれた。

田んぼで泥んこになって、裸ん坊なのになぜか靴は履いていて

リュックを背負った子どもたちが並んでニッコリしている写真。

(大人が同じ格好して広告に載ったら強制わいせつ罪になるし、

 昔の本だからできたことだろう)

注目したいのは子どもたちの表情だ。

彼らは心からの笑顔で笑ってる。

 

よく「アジアの子どもたちは瞳が活き活きしている」

と言うけど、いつの時代だかわからないが日本でも

そう言う子どもはいたのだ。

 

私たちを活き活きさせるものって一体なんなんだろう。

 

絶望の淵を覗くと、その片鱗が見える気がする。

2017年

1月

01日

憎しみを溶かして悲しみを癒す色

私たちの家族は仲が悪いわけではない

しかし、なぜか正月になると四方八方に飛散していく

おじいちゃん、おばあちゃんや、一家の主が生きていると

集まっていたわけだ。

 

重し、やオモリみたいな存在だったのかもしれない。

重しがなくなったので、普通が裏返り始めている。

 

家にテレビがないので、ある意味先入観がない。

甥っ子はアンパンマンでいうところのドキンちゃんが好きだし、

姪っ子はばいきんまんが好きで、あんぱんまんが嫌い。

青が男の子の色で、赤が女の子の色って、誰が決めたの??

集合体の無意識で決まったことなのだろうか?

子どもは本当に正直なので、学んだ文化をすぐ口に出す。

「先生、ピンク、着ないの?ピンクは女の子の色なんだよ」

と保育士だった頃に言われた。

それは5歳くらいの子。一生懸命暗黙の文化を取り入れようとしている。けなげだな。

23歳のうちはまだ先入観がない。からその頃の子どもの趣向を観察すると、

本来のその子の性質がわかりやすい。

 

みくさのみたからの人が言っていた

「これ(みくさのみたから)は、だいだい女の人に受け継がれてきたものだったんだ。

 でも、今は男の私が受け継いでいる。末世だからかもしれない。」

 

陽性と陰性の名前の法則を教えてもらって、

「陽性の女の子は男性社会では生きづらい」

と教えてもらった。3文字の人ほどの打算や、したたかさを持っていない。

単純バカだから。向こうみずで飛び込んで行くのが特徴だ。

自分が違うと思うことにはどうしてもyesと言えない。

 

だって、10万年単位でどうしたらいいかわからないことで人類は常に

自転車操業しているのに、細かい損得をきにして生きることが

本当に一番だと思っているの、、、?

一体誰が向こう見ずで、考えなしなのか。

 

どうしたものか、と思うのは、

出会う小さい女の子の多くが陽性の名前なのだ。

大抵目がキラキラしていて、野生児で、少年のようにあどけない。

大丈夫かな?生きにくいのにな。

 

でも、美しいものは本当に美しい。

甥っ子が泣いているのはとても美しかったので、

「男の子なんだから泣くのはやめなさい」と絶対に言わない。

 

もともと陽性の人は玄米は食べない 白米でいい

青菜、セロリ、白菜。りんご。いちご笑

 

どうして、ピンク色とか、着ないの?

「似合うと思うなあ、ピンクとか」

 

って今までの人生で何回か言われた。

ハローキティーちゃんが嫌いになった瞬間は覚えている

 

紺色がとにかく落ち着く。

なんでだろうと思ってたら、本に書いてあった。

藍に茶色をかけた鈍色とか。サイコーだなと思ってたら

それはお葬式に着たり、僧侶がきる色らしい。

そうか、鎮魂したいんだな。

 

あの世とこの世の境目で死んだ人の応援をもらいたいんだ。

 

境目で、溶かしたいのだ。憎しみを。

私が自分を許せるようになったら、他の色も着るようになるだろう。

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2016年

10月

31日

キレイになろうとすること

土用だから掃除しようと思って、

浄化槽に空気穴を入れていない倉庫を掃除したら

 

出っ張った釘がおでこに引っかかり、

リアルハロウィーン、リアルハリーポッター状態に

 

まず高いところから降りる時に

めんどくさがって飛び降りようとした。

前方に何があるかを確認しなかった。ああいつもの癖、向こう見ず

土用という季節も急回転の時期に

あんまり飛んだり跳ねたりしないように、とか

顔を傷つけた時に

「あーあ、女の子なのに」

と、自分の中の誰かが言った。

おや、そんな気持ちもあったのだね。

そうだった!

ちゃんと大切にしないといけないよ。

大事なお顔ですから

 

自分のことで久しぶりに病院に行った。3年ぶりくらい??

やっぱり外科は必要だな。ありがとうございます。

お医者さんも笑っていた

一体どうやったらこんな傷ができるのか

「でも目じゃなくてよかったね」

本当にそうです。

「大事なお顔ですからね。縫わないよりかは」と言ってひと針。

3割負担てすごいなあ 国民皆保険

でも、薬のお姉さんが

「腸内細菌が死んじゃうお薬ですからねー」

と言っていたので、

この土用の時期に、腸内細菌殺しちゃまずいだろ、

と思って、断食をすることにしました。強制宿便アンインストール。

ちゃんと大切にしないといけないよ

大事な菌ですから

 

抗生物質というのは、原核生物のタンパク合成やRNA合成を阻害する。

腸内細菌も、原核生物だから、飲むと死んじゃうんだねえー

でも傷口が細菌感染して化膿しないために先人たちが

必死に開発してくれたのだね。どちらを取るか。

 

ハロウィーンのイベントで、

子供のほっぺたや手に、フェイスペイントをするのを頼まれた

子どもたちはそりゃいろんな趣向を凝らしていて、

なんというかまあ仮装大会

ほっぺたツヤツヤの子どもたち

一生懸命おしゃれしてる子が可愛い

こんなに小さいうちからちゃんと、自分の美意識のスタイル持ってるよね。

おもしろいな。

黒猫流行ってるな。黒猫率多くね??

そうなんだよな

成人式も、卒業式も。ハロウィーンも、結婚式も。

キレイになりたい女の人の気持ちは永遠です。

 

最近「美塾」というメイクの体験講座を受けた。

電車でメイクする人、偉いなーって思ってた。

自分の属する社会に、受け入れられようとする、その、切なる努力。

昨日も終電だったのに、はやおきして、朝ごはん食べて、メイクして、

洗濯して、皿も洗って、シャツにアイロンもかけて、etc,,,,etc,,,

ああ、いっぱいいっぱい。だよね。

 

私は一重で、メイクしても変わらないよー!

と思っていた。肌に塗ると頭痛がして、目が充血してくるし。

遅刻しないように電車に走り込むのがやっと。

でも、アイプチは違うよなーとも思っていた。

美塾は、そのひとに合ったメイクをする、というのと

実際に実践している人が

その人らしさは失わずに、確実にキレイになっているのが

なんでだろう?不思議だな、と思って受けてみたかった。

 

自分は萌、艶、凛、清(という種類がある)のうちだとダントツの凛、清タイプで、

あんまり色は乗せず、シャープ、直線的、マットな感じが

似合うとのこと。

あと、全面塗らなくていい。これは画期的。

皮膚呼吸大事だよね。目が充血するから。

赤ら顔の人はそのままチークとして活かせばいい、とか。

重ねりゃいいってもんじゃないのね。勉強になります。

大きな鏡を用意するってのも。鏡すらなかった。

 

そして、肌の触り方。残心。鏡を毎日見ること。

慈しむこと。が大事だと教えてもらいました。

そうだよね。初めて、口紅塗ったときのドキドキ感とかね。

で、子どもが一番いうセリフ

「見て!」「ねえ見て!」「絵描いてもらったよ!見て!」

そう見て欲しいんだね。

そうだった。誰もが自分を大事にしたいのだったであるよ。

内側も、外側も、キレイになることに本気になるというのは

自分を、ひいては世界を大事にするためのリハビリなのかもなあ

 

浄化槽に空気穴を入れるのは本当にやろう。

と思いました。

 

空気を入れて、穢れが溜まらないようにするのは大事なようです。

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2016年

8月

23日

気持ち悪さの正体

気持ち悪さの正体を分解する。

 

私はエコひいきが嫌い。

人によって態度を変える人はリスペクトできない。

 

なぜか。

私の中にそういう部分があるのだ。

 

そういう部分を認めて、許してない。

 

私だけが選ばれる、特別。ということに、恐怖を感じる。

 

なんでだろう。

 

絵の上手い、下手は、思いっきり実力主義で構わない。

弱肉強食結構、言い訳はいらない。

むしろ実力主義であってほしい。

むしろそこで選別してほしい。

妥協はいらない。

 

気持ち悪さの正体はなんだろう

 

そしてたちが悪いのは、リスペクトできない人の言うことを

私は聞かない。年上であっても。

万年生意気反抗期。これは儒教に反する。

 

でも彼らは気力体力が落ちてきて、何か自分の人生で

なしえたことが意味あることだったと確認したいのだろう。

 

でもさ。本当に自分の好きなことをして、

勝負してきたのなら、それが認めてもらえてももらえなくてもいいじゃない。

自己満足で。

 

 

気持ち悪さの正体はなんだろう

 

常識とか、当たり前、って言葉は、迫害のように感じる。

気持ち悪い。

初めから、気分と、感情で、動いてるって言ってくれた方がまだ

清々する。

 

ということは、私の中にも、常識とか、当たり前、という言葉で

誰かを迫害する要素が含まれているのだろうか。

 

もっと知らない文化に飛び込んだ方がいいのかもしれない。

未開のジャングルとか。

 

気持ち悪さの正体はなんだろう

 

そこに見えないヒエラルキーがあること。

それを許しているのは自分もだけど、

どうやったらそれを壊せるんだろう。

 

ヒエラルキーに対するこの憎悪はなんだろう。

私の中に他人を支配したいという要素があるのだろうか。

 

ピラミッド型は、若干効率が悪い。

体の反射区みたいに、脳の決済が必要だと、急なことに対応できない。

 

自分で考えろって言われるのに、判断権や裁量権がない。

その人のコピーになりきればできるってこと??

同じ人になることはできないのに。

 

気持ち悪さの正体はなんだろう

 

他人の思惑で、「成長」を押し付けられること。

押し付けられていると感じている時点でOUTだ。

本来は感謝する場面なんだろうけど、私にはそのキャパがない。

 

絵に関してだったら、私は98歳まで生きて、

死ぬ1日前まで成長し続けるだろうその技術に関しては。

それ意外はある意味どうでもいい。

別にそんなにこだわりない。

知識や技術や情報を囲むつもりもない。

 

私のやり方は

私が得意じゃないことを得意とする人を呼んでくる

その人が得意な分野で力を発揮する

それが一番魂が輝く方法だからだ

そしてそれは押し付けであってはならない。

その人が本当にやりたい、やらずにはいられないことであること

 

やりたくないのなら、やらない方がいい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2016年

7月

27日

痛みを想像できるまでの段階

こないだ、生まれて初めて渓流釣りをした。

餌となるミミズを針の先に突き刺した。

ミミズは悶えていた。

畑を掘り返しても、時々シャベルでクラッシュしてしまう。

ミミズにとってみれば、土の中でいい感じに暮らしてたのに、

いきなり天変地異が起きたようなもんだろう。

 

ある男の子が、

ヤモリの尻尾を持ってスーイスイと水につけていた。

まあ人間に例えると、バンジージャンプみたいに

足首掴まれて水の中に首を突っ込まれる感じ。

子どもによく見られる無邪気な動植物に対する拷問。

 

他の男の子が

「おいいじめるなよ、お前もそういうことされたら嫌だろ。やめろよ。」

と言っていた。

でも男の子はやめなかった。多分言われても理解できなかったのだろう。

まだヤモリの身になれない。そういう段階だ。

注意した男の子は、どうやったらヤモリの身になれたのだろう。

よく相手の身になって考えろという言葉があるが、

リアルに相手の身になるってどういうことなのだろう。

 

猫も時々虫や鳥を弄ぶ。

23歳くらいの子も、蟻を潰して遊ぶ。

痛みがわかる自分も、

わからない自分も同時に存在する。

 

相手の痛みを感じるためには、

まず自分の痛みを痛みとして感じれることが必要なのかもしれない。

赤ちゃんは、不快だと、とりあえず泣く。

誰かがおしめを替えたり、おっぱいをあげたりしないと、

自分で快と不快を分けられない。

多分一人では無理だ。

 

小さな子が、誰かをひっかいて年上の子を泣かした。

泣かしてしまったことを後悔してるっぽい。荒削りだけど、優しい魂。

 

泣いて、泣いて、泣いて、

誰かに共感してもらった時に初めて

「これは悲しいということか」という認識をして、

その認識をしたときに悲しみは半分になる気がする。

 

相手の身になって考えるっていうのは、

人間にもともと備わっている能力なのだろうか

それとも誰かに共感してもらって初めて

身につく能力なのだろうか

 

いじめをしている人は、実験しているようにも思う。

いじめっ子を観察してると

 

彼らは誰かが傷つく様を見て喜ぶ節がある

特定の誰かを。それは、

いじめっ子といじめられっ子に似た部分があることを

いじめっ子の子はそれとなくわかるんだ。似てる部分が。

かつての自分に似てるのかなあ??そしてその弱さを嫌悪してるように見える。

暴力は連鎖するように見える。弱い方から強い方には滅多にない。

 

彼らは精神的に傷ついてきたのだろうか??

彼らはこれ以上傷つくことができないのだろうか??

 

私がこれだけ傷ついているのだから

お前も傷ついたらいいって 言ってるのか

なんかね、誰かが傷つくのを見て、

それを「観察」してるようにも見える。

「傷つく」とはどういうことか知りたがっているように見える。

 

彼らは自分の手当ての仕方を知らないように思う。

 

自分がどれだけ傷ついているかの尺度がわからなくて、

実験的に他人で試しているようにも見える。

他人に「持ち物」の様に扱われたから

自分も他人をモノの様に扱ってるようにも見える

他人と自分の区別がある意味ついてない

自分の感情に自分で責任を持つ、という

ことがどういうことか教えられてない。

大人になっても、そうかも。

 

本当はいじめをする人が罰せられるのではなくて、

自分の傷ついた気持ちを自分で手当てする方法を

教えてもらうことが大切だと思う。

 

自分でできなかったらまずは他人に手当てして

もらう必要があると思う。

それは、人でなくて、場所や空間であってもいい

 

逆に自然(山、森とか川とか海)は、

私が悲しくても、楽しくても、いつも変わらない。

それは結構な優しさだと思う。

 

赤ちゃんのうちから、そういう自然の優しさを

感じれればいいけど、

赤ちゃん(人間)はまず周りの人に触れてもらって、

共感(共同注意)を媒介してもらってからじゃないと、

意識を広げて自然の優しさに触れられない人が

多いのではないかと思う。

感覚が閉じているというか。

自閉症や、障がいを持っていると言われる子は

逆にそっちの感覚は最初から開いているように思う。

 

大人になってもいじめをする人が増えている社会というのは

近しい人に共感をされた経験が少なく、

自分と相手の感情を分けることができず、

(従って自分の意見を持つことも許されず)

モノのように扱われている人が増えているということだと思う。

そりゃーまあ生きづらいわなあ。

 

で、自分の痛みを認識することができない人に

「お前は人(あるいは動物)の痛みが想像できないのか、薄情なやつだな」

という。

 

言われた方は傷つかないかと思いきや、

結構傷つくのが不思議だ。

自分の不全感を指摘されると辛いのだ。自分でも感じてるのに

どうしたらいいかわからないから、叫んだりする。

「知ってるよ。俺はロボットだよ。でもどーしたらええのかわからん」

その手でヤモリを弄んでいるのにもかかわらず。

 

まず、痛みを、自分の痛みとして、認識して、(第一段階、媒介が必要)

それから、相手の痛みを想像する。(第二段階、自分が悲しい時、

痛い時の気持ちを思い出す想像力が必要、

 

第一段階がないといきなりはできない)

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2016年

6月

07日

20年経って変わったこと

20年前に、(もう20年も経ってしまった!)

うちの父親は農業高校に赴任になり、

おもむろに平塚で小さな畑を借りてやりだした。

 

牛糞堆肥を使っていたから、

こども心に臭くて嫌だった。正直なところ。

農薬は使ってなかったから、

一応有機か。でっかい、

化け物みたいなきゅうりとかできてた。

味は大ぶり。

 

周りのみんなはみんなポケモンとかゲームに夢中なのに

畑を手伝わされるのが嫌だったので、

あんまり手伝わず、

もっぱら虫と遊んでいた。

てんとう虫とか。

雑草に興味が出てきて、雑草図鑑とか買ってた。

 

10年前に、大学の裏庭で

おもむろに畑をやりだした。

生ゴミを堆肥にしたり、

ミミズコンポストをやってみたり。

生ゴミはやっぱり臭かった。ミミズコンポストは無臭。

でも原っぱに穴掘っていきなり野菜の苗を

植えたりしてたので

大学休学してニュージーランド行った

先輩ほど上手く出来なかった。 

ミミズコンポストは

めっちゃゲテモノ扱いされた。

 

ダニとか小動物の研究してる先生に

「大学まで来て百姓になるのか?」

と言われて返答に困った。

今思えば、

百姓の人の方が百のことができるから偉いと思うけど。

その研究室の初代教授が出してた、

「君のそばにダニがいる」

という子ども向けの本はもう絶版だけど何気に面白かった。

 

20年経って、

今では無肥料無農薬のお米や野菜や果物が

ネットで売れる時代になった。

自然農の見やすいカラーの本も買えるようになった。

もちろん顔が見れる関係がいいに越したことはない

農家さんの日焼けした顔や、

頑張って作業してるところ見たら

ご飯がおいしくなる

 

土に生えている雑草の種類で

土の性質がわかるとのこと!

肥料を使わなくても、野菜が育つ。

確かに1平方メートルの中でも

生えてる雑草の種類が違って、

草を刈ると、違う種類の草が生えてきて

そいつらがまたすぐある種類の虫に食べられたり

いろんなドラマが繰り広げられている。

その仕組みをまだ解明仕切っていない。

 

うちの父親は精神病院に入院して薬まみれになったけど、

リチウム。リチウム中毒は心臓に影響があるらしい。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/shinzo1969/34/Supplement3/34_162/_pdf

野菜の育ち方には他の方法があったのだ。

生きていたら教えてあげたい。

 

放射性物質が増えたら

そのような人が増えるのだろうか???

あと20年くらい経たないとわからない???

 

心の病の人は

死にたくなったらとりあえず、

寝っころがれる場所(アスファルトじゃないところ)

に寝っ転がって見て欲しい。

土で汚れても構わない。汚れた方がいい。

私はとりあえずそうしている。

 

除草剤は主にタンパク質合成の阻害剤。

植物しか作れないアミノ酸を作れなくしたりする。

雑草の植物共生細菌や菌や微生物や虫や土壌動物は

酵素とか出したり、ホルモンを使ってやりとりをしている

それらをぶった切る前に

自然の仕組みを知るための

科学はもっと発達するだろうなあ。

 

 

 

 

 

 

 

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2016年

5月

14日

もやもや

おばあちゃんの料理は美味しかった。

私が信州に来たのはおばあちゃんの影響が強い。

 

遠足のお弁当で、うちのお母さんのお弁当は

茶色いおかずばっかりで

カラフルな友達のお弁当がいいなあと思った。

っていうか汁漏れとかしょっちゅうだし

カバンの中が悲惨なことになるし

こないだもそうめんを水から圧力鍋で煮ようとするし

新しい料理法の発見もあるかもしれないが

いろいろ奇想天外なので

事故を防ぐには、自分で買うか作るしかない

と思い立ち

小学生の頃から週に一回

ご飯を作り始めた。

 

16時ごろから作り始めて

18:30にはできた。

肉は焼けばいいだけだから簡単。簡単なのだ。

学校から帰ってきた子どもでも作れる。

 

一番簡単なのは卵とベーコンのオムレツ

簡単だから。卵が割れればできる。

ベーコンは焼くだけ。

 

それを毎日食べてたら

卵アレルギーになった。

 

保育士の試験には

「牛乳は総合栄養食である →◯か×か?」

みたいな問題があって◯は正解だった。

 

牛乳に5種類あるって最近知った。

牛も人間と一緒で

ストレスが多い環境だと

乳の中の雑菌が増えて増えて

仕方がないから

殺菌するのだそうだ。

その殺菌の時間の長さに5段階あるそうだ。

人間でいうとまず小学生の初潮が始まったくらいの女の子を

妊娠させる。乳牛はストレスが多くて、

本当は7回子どもを産めるけど、

2回だけ産んで、死んでいく。

 

プチダノンは早くて楽だ、

まとめ買いしておいて、

朝あげればいいから。

冷蔵庫を開ければいい

美味しいし。

あまりに普通のことだ。

 

お味噌汁を作るのに

出汁をとったり、

お米を水につけとかなくていいから

 

夜遅く帰ってきた

お母さんの選択肢として

それが一番楽だ。

袋を開ければ済むから。

ただでさえ

社会で

経済的に

自立するということは

大変なのだ

仕事で成果を残し

生き残るということは

 

醤油の転地返しなんて悠長にやってられないし、

朝おっぱいをあげてる時間もない。

 

子どもは小さいうちから

親と引き離されるのが

現代トレンドなのだろうか

私は6か月から保育園にいたので

「もはや自分が不幸なのかどうかも

わからない」というか別に、そう感じてなかったと思う

保育所は楽しい場所だった

 

牛も人間も

母ははたらく

自分が同じことをするかはわからない

子どもは

「ママがいい」って泣いてる。それは顕著

 

早い子は3才から15才まで公教育では

12年間牛乳を飲み続けるシステムになっている

あまりに普通のシステムになっている

 

下水道や、ゴミ処理施設は

小学校4年生で見学するけど、

屠殺場は見学しないのはどうしてだろう。

 

子どもはありんこ潰したり、

カエルを爆竹で破裂させたり、

嬉々としてトカゲの尻尾をちょん切ったり

時にいかんなく残虐性を発揮する。

 

多分、現場を見たらいい。

見たり自分で殺したりした上で選べばいい。

しかし強要はする気になれない。

 

甥っ子は笑顔で

「お肉大好き!」っていう。

帰りが遅いママに会えないで

寝てしまって、朝ぐずってた。

 

プチダノンばっか食ってると

花粉症になるぞと

言ったら

姉が猛反発して怒った。

そりゃそうか 姉の方が私より寝ないで働いているし

これ以上頑張って何かやれというのは酷だ

ただしさの暴力は こわい 

常に自分の中にある

 

姪っ子は味噌汁を

3杯お代わりした

 

多分私がしたらよかったことは

まず自分の疲弊した肝臓にこんにゃく湿布をし

朝、もうすこし早く起きてみんなに味噌汁を

作ることだったのだろう

 

自分に余裕があれば

他人を責めたり批判しない

他人を批判するということは

自分が何か、やろうとして

できていないことを、他人の中に見つけているのかも

「こうあるべき」でがんじがらめで、自分が苦しい。

そして、絶対的に自分が正しいと思っている人の

いうことを 人はあんまり 聞かない

むしろ反発する

自分が認められてないと思うから

「これができていないお前はダメな奴だ」

というメッセージを受け取るから

受け取りたくないのはお互いさま

 

誰かが誰かをねじ伏せるやり方

以外の方法はあるのかな。

別に争いたいわけじゃないのに

許せないことや

責めたい気持ちがあるのは

なんでだろう

本当は争いたいのかな?

コテンパンにやっつければ気がすむ??

いつか受けた傷は癒される??

争うことにうんざりしているのも確か

お互いに傷つけあって消耗する関係は

こりごり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2015年

11月

23日

ミトコンドリア学会に行ってみた。

なんか、すごいバカだなとおもいつつ

福井のミトコンドリア学会に行ってみました。
誰も呼んでねえっつうのw
みたいな感じで一人突っ込みをしながら
気配を消し、真剣に議論する人たちの間に紛れ込んで
ちんぷんかんぷんだけど部分的に聞いてた。
でもミトコンドリアの生体膜は
ほんとにエネルギー効率いいみたいだから
誰かこれをもとに発電機とかつくったらいいんじゃないか
なぜか螺旋状にタンパク質の糸が配置されていて
その穴をイオンがくぐり抜けるという
膜と膜の間にPHの差が生まれると駆動力になる
終わったら、
木曽の方におすすめされた鯖江に行ってみました
「正義はこわいから
 もっと好きキライで決めていいとおもうんだよ」
「人間の仕事はほとんど機械にとられてしまって、
 残るのは遊びなんだって」
と出会った人がいってました印象的
印象に残ったこと
光るクラゲ、楽しいなーと
研究してた人がGFPタンパク質を発見して
ノーベル賞とる。細胞の動態を探るのに一役買う。
ミトコンドリアも、
分裂したりくっついたり動いたりしてたのしーなーと
研究している人がいる
基礎研究の人は比較的無邪気
臨床研究の人は患者さんの切実さと
薬の開発にかかる膨大な予算との板挟みで大変そう
で、手仕事業界においては3Dプリンタは黒船レベル
なのだそうだ。
美しいフォルムは作れてしまうので、
それ以外のところで勝負しないといけないらしい
ますます遊びごころが大切らしい
細胞も、μm単位で表面を焼いて、だんだん削って掘っていって断面図を重ねていくことで
細胞内の立体構造が映像でわかるようになるらしい
どのようにして膜状の複合体に傷をつけるのか
壊れた複合体は修復される
修復酵素を増やす対策をとった方がいいのか
そのシステム自体を司る遺伝子が壊れてしまった
時が問題だ
活性酸素自体を減らすには
脳に届く水素??
香りの方が直接届くのかな。
オートファジーを司るタンパク質が
やられると品質管理をする人がいなくなって
不良品タンパク質が脳内に溜まっていく
神経細胞は同じものを一生使い続ける
ガン細胞は解糖系だけじゃなくてTCAサイクルの最後の方を
部分的に逆回転させてアミノ酸から
エネルギーを得ているというのがおもしろかった。
それかキレッキレなやり方だと
脳内のミトコンドリア膜タンパク質に
酸素に強いヒドロゲナーゼを埋め込む
鳥類のミトコンドリアの方がモレが少ないので
鳥類のミトコンドリアを採用する
というのはちょっと病的な発想なので
脳に届く抗酸化物質と
オートファジーを司る遺伝子を活性化
させるアクチベーター的な物質があれば
いいのかな
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2015年

11月

15日

美しいのと、本物の、微妙なズレ



マンションが、3000万円
スーパーでぽいぽい食材を入れ込む

「テレビ、見ないの?」
うん。見ないよ。
15年くらい。
イライラしてくるから
自分に。

農薬ついた野菜 安い
無農薬 高い??
放射能もこれで 気にならないね

入院代 パンパンに膨らんだ カラダ
人間はこうも膨らむのか
ああ びっくりだ

見た目、外側がきれい
中が空っぽだね 内臓が 悲鳴

美しさ。

うつくしさはなんだろ

最小限でいいんだ

見え方も大事だよね

プラスチックみたいだ
僕たちの命 軽い 吹き飛ばされちゃう

簡単に食べてるから
大切にされてない命を

小さいいのちは
葉っぱについてて
死なない
ぐるぐるまわっている
ぐるぐるまわっているね

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2015年

11月

05日

「おうちに帰りたい」のおうちはどこにあるのか

庭のある祖父母の我が家が
暖かい海辺の町にあった
庭にはみかんがたわわになっていて
梅もたくさんなっていた
そこには全てがあった
幸せの記憶も
ひとをどこか落ち着かせて
幸せな気持ちになる
庭のある家

「おうちに帰りたい」
って10代の頃から
誰かが口癖みたいに言ってた
誰かに必要とされないと
そこに居場所がないかのような

震災が起きて、
庭は少し放射能で汚染された
家にしがみついていれなくなった

いろんな家財道具の中で
写真が一番捨てにくい
記憶が一番捨てにくい
体は死んだらなくなるから持って行く
冥土のみやげには体は持っていけない

体の中にふるさとがあって
どこでもドアみたいに
そこが家になる

誰にも必要とされなくても
生きてていい
だれかの不幸せを代償に
生きていていいのかな
気にしていたら、キリないくらい?
日本に生まれたことは 幸せ?
どこに生まれても 息をしているだけで
十分に幸せなひともいる

帰るおうちはきっとない
ずっと旅 日を別にする旅

閉ざされた空間では
赤ちゃんはお母さんを求めて泣くのに
冒険するときは忘れていられるのね
おもしろいね
旅をするときは
世界が家になるのだろう
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2015年

6月

14日

どうして人を殺してはいけないのか?

小さい頃、
ありを沢山踏んづけた。
踏んづけたら、動かなくなる。
どうして動かなくなるのか、不思議だった。

ダンゴムシを解剖して、
お腹の中に黄色いたまごを見つけた。
ダンゴムシは死んだ。

小学1年生のとき
死んだカエルをビニール袋に入れて、
土に埋めた。一週間後に
どうなったのか気になって、
掘り返してみた。
ビニール袋はでてきたけど、
中は水になっていた。
生きものは分解されて
土に還るということを知った。

高校の実験で、
ねずみの解剖をした。
ネズミにクロロホルムをかがせて、
動かなくした。
「かわいそう」と言っていた男子が
感覚の、スイッチが変わって、
プラモデルの逆バージョンみたいに
夢中になって解剖してた。
魚をさばくときみたいな。

残酷な、残酷でない。
善と悪は、誰が決めるのだろうか。
決められるものなのだろうか。

農薬は、酵素をつくれなくする。
植物や、細菌の。
動物はその酵素をつくらないからと言って。
目に見えない菌なら
遺伝子組み替えても、殺してもいいのかな。
目に見えないから。
全部地球の一部だから
一緒なのかな。
生きても、死んでも。

どうして人を殺したら、
いけないのかな。
どうしてイルカやくじらはダメで
魚はいいのかな。
サイズの問題なのかな。

見かけた子猫に、ウジ虫がわいていた。
もう助からないだろうって誰かが言ってた。
私は子猫サイズ以上のものを殺す勇気はなかった。
家の中で、ゴキブリを叩き潰すのは私の係。

誰かを殺してしまったら、
心から幸せを楽しめなくなるのは、
どうやら多くの人間に起こる反応みたい。

これから戦争をしようとするときに、
人を殺すということを
どのように説明するのだろうか

悪の輩は、全員死刑にすればいいのだろうか
悪の定義がよくわからない。



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2015年

3月

04日

透明な存在

あんまり素直にさみしいと表現する友だちを前に、

自分はあんまり寂しいとおもわないなとおもったら
気付いたことがあった。

うちでは昔からごはんの時にテレビがついてて
母がテレビをみてぽかんとして、
話しかけても聞いてくれないのがイヤだった。

三歳の子の、一番良く言う発言は
「見て」だそうだ。

自分を見てほしい
話を聞いてほしい
側に居てほしい

食事中に携帯をいじる人が嫌なのはそのせいか。
と気付いてしまった。

君はつまらないから
いなくていいよ
目の前にいない
空気みたいな存在
透明なまま育った子は
一体何人いるんだろう

だれかが食事を一緒にするのは
本来は神聖なことなんだよ
て言ってた。

そうかな?
家族ってなんだろう
よくわからない
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2015年

2月

07日

居場所

居場所にひとは集まる


居場所ってなんだろう
きのうはおまつりで、
おじいさんがお酒を飲みに来た
おまつりでふるまわれていたから
きこりみたいな格好のおじいさんがひとりでいた
はなしかけた方がよさそうだったのではなしかけた
「どこからきたのですか」
「なにで知ってきたのですか」
ひとりできたら話しかけられたらきっと嬉しい
わたしが一人で異国に迷い込んだときはそうだったから
正直おじいさんの方言はなにひとつ聞き取れなかった
「来たらよいといわれたので来てみた。雪細工を
 きれいにつくっていてすごいね」みたいなことを言ってた。
居場所ってなんだろう
それは「すきまにいるひと」が集まれる場所
「内側」と「外側」の境界がなくなる場所
「独自の世界観」を披露できる場所
わたしは「すきま」のある場所がすき 路地裏や雑貨屋
「お祭り」のときは
わたしは「すきま」の空気になって醸し出す

たとえば、その街にぽっと来たひとが、
独自の文化を発信し始めればそれで十分 
すきまができる
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2014年

11月

19日

背負い始めた理由とその結果

籠を背負いはじめたとき、
「キチガイか」と周りに言われたが、
これには訳がある。
説明すると長い。
まず、私が生まれ育った茅ヶ崎という街は、
道が入り組んでいて、車が通りにくい。
人口はだんだん増えるものだから、
空き地や公園はどんどん住宅地になっていく。
木登りをした大きな楠木も切られて道路になった。
子どもたちは遊ぶ場所がないから、道路で遊ぶ。
遊んでいるとき、入り組んだ道で車に追い立てられるのは、
子供心にあまり気持ちはよくない。
それをずっと覚えているものだから、
大人になっても車の免許はいらないと思っていた。
石油も使うし。乗ると酔うし。
必要に迫られて免許をとったものの、
合宿免許の場所で寄った尾道からフェリーで島で
渡る船に、日本唯一のモペットに乗る人を発見。
神奈川県の瀬谷で生産されていることを知った。
自転車ほど美しいのりものはないと思っていたので、
自転車に原動機を付けただけの簡素な乗り物を気に入った私は
早速購入した。
なんでも、渋滞している道では、普通の車も
2〜30km/時速しか出せないそうだ。
そして茅ヶ崎はれいによって道が入り組んでいるのでそんなにスピードは出せない。
原付で畑に通い始めて、野菜を沢山もらうようになった。
もらった野菜を持ってかえるのに籠を背負うのがよいと思った。
籠は自然素材なので野菜を収穫するのにも具合がよい。
水分が通しやすいから野菜を入れておいても腐りにくい。
全く持って理にかなっている。
そんなこんなで籠を背負い出してから、
いろんな人に話かけられるようになった。

特に60歳以上の、
ほとんどが昔農家をやっていた人
「懐かしいねえ」と声をかけてくれます。
それはそれで、外国にいるような気になるので、
私は自分が異国の人になった気がします。

コスプレしている人もそんな心境なのかな?
大学時代に常に裸足の先輩がいて、
その人はやはり独特の雰囲気を放っていたけど、
それはそれでやはり、いろんな人に話しかけられていた。

こないだ東京でやっぱり初対面のおばあさんにはなしかけられた。
そのひとの家は昔農家で、
3歳のころから農作業をさせられたとのこと。
働かないとごはんをもらえなかったそうだ。
米俵もわらじも藁からつくることを覚えさせられたという。
すごいポテンシャルだ。
たとえば金融危機がおきて、靴がABCマートで買えなくなったとしても、
藁さえあればこのおばあさん履物つくれるやん。
東北から東京に来て、定年になったから埼玉で畑をやろうとしたら、
みんな開発で住宅地になって、貸してくれるところはどこもなかったとのこと。
実家でも探してみようと思ったら、震災にあって、親戚も家もなにもかも
流されてしまって、もう怖くてテレビが見られなくなってしまった。今はラジオだけ。
おばあさんはそのようなことをその日初めてあった私に話した。
私は籠にあった野生の小松菜の葉っぱをおばさんに食べてもらった。
「田舎の味がするねえ」
と言っていた。
おばあさんは東京でどうやって暮らしているのだろうか?
いろいろ聞いてみたかったけど行かないといけなくて、お礼を言って別れた。
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2014年

11月

12日

のほほんと


お金をもらわないことのほうががんばれることもある。

大学の授業は何故か遅刻しなかった。

仕事は遅刻する。

なんだろう。これ。


仕事は認められる人が一人だから?

認められることを目標にしてた???


新しいことを知りたい。

何を求めていたんだっけ???


電気を使わない。

生きてるだけでいいのかな。

電気をつくるために働いているひとがいるんだよ。


毒がたくさん出てて

それをなんとかするために働いているひとがいる


私は何をするの??

何をする??


私は愛されたかったんだっけ??

それだけ?

そのちんけなプライドを守りたかったんだっけ??

いやいやいや


小さい私と大きい私


全心全力で愛されたい自分と

人類のことを憂いている自分がいる


どっちがほんとうの私??


何をするの??

何をする??


どうしたら一番効率的??

いや、なにが一番できる??

どうしたらいい?

草木染めずっとやってたら言い訳じゃないでしょ。


知りすぎているのだから

なんのために理系のこと勉強したの?

なんのためにドイツ語勉強したの?

なんのために、なんのために??

全部苦手だったのに。

数学なんて成績1だったじゃん。


イラストをずっと描いていていいの??

のほほんと暮らしていていいの??


いいな。猫は。なにも考えてないみたい。

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2014年

10月

23日

根本的に

効率を求められると


いちばんぐずな人がスケープゴートに

使えない人

みんな首にしちゃえば?


ひとりでやってればいい


根本的に競争に向いてないから

のたれしぬのかな?


つかれるのはどうしてかな

だれかを見捨てると

じぶんを見捨てるのと一緒だから

見捨てるだれかのなかに自分をみつけるから


ああかわいそう

また捨てちゃった自分を


だから死にたくなるのね

ああそうなのね


こんな社会はうんざりだっていうのね

どんな社会がいいのかな


見捨てられない社会だよ


はだかのおうさまだ

だれかなにかいって

その統制をぶちこわして


一撃で殺してあげる

言葉で


かわいそう

またやっちゃった


かわいそうだから

殺さないよ



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2014年

9月

22日

過程

愛とは、相手に執着しない、執着しないがゆえにあいてを憎まない、相手に期待しない、 期待しないがゆえに相手に失望しない、相手に見返りを求めない、見返りを求めないがゆえに尽くしすぎない。 そうありながら相手を想う。


と本に書いてあった。

子育てのようなものだというけど、

子どもに尽くさない親がいるだろうか?

子どもに期待しない親がいるだろうか?

(花が咲いたり、実をつけるのを楽しみにしないだろうか?)

子どもに執着しない親がいるだろうか?


逆に置き換えてみたら

放置プレーは慣れっこだけども。

むしろ邪魔されるのは嫌だけども。


相手を憎み始めたら、執着している証拠、ということだ。

かわいさ余って憎さ百倍とはよく言ったものだ。


でも、どうでもよかったら、育てさえしないでしょう。

水をやらないと草は枯れる。


執着するのも、憎むのも、期待するのも、失望するのも、

見返りを求めるのも、尽くしすぎるのも、

愛の過程ではないでしょうか?


その先に進みたいと、いつももがいているのではないでしょうか。

そういった感情さえも、結晶化させたいと。芸の肥やしにしたいと。

創造のかみさまに祈っておるのです。


かみさま

ぼくはもう にくみたくないのです


かみさま

ぼくはもう にくみたくないのです


かみさま 

ぼくはみんながわらっているのがいいのです


かみさま

ぼくは くうきになってもいいので


もっとかみさまにちかづきたいのです


こんな感情は苦しいからね

でもうまれてしまう。それはもう 大変 ばたばた 


ただ ただ 1ミリでも指を動かし

ペンを動かし


世界を愛した証拠を残したいのです。


透明になりたいとおもいます。




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2014年

9月

10日

方法

うん。

どうしよう。

誰も信じてくれない。

ミトコンドリアの損傷が

精神障害にむすびつくことを

うちのお父さん、

セシウム心臓にたまって

心筋梗塞になったって。

こどもがたくさん鼻血だしてるんだ。

これは僕一人の問題じゃない。

ぼくはたまたま水素の研究をしてた。

地球の生物の進化の歴史も習った。

酵母の遺伝子組み換えしてた。

お父さんが原子力の研究してた。

それだけだったんだ。

ほんとうは絵を描いていたいんだ。

でも知ってしまっているんだ。

放っておいてはおけないけど。

難しすぎてどうしようもないんだ。

一人でできるのかなあ。

どうしたらいいんだろう。

途方もない。

途方に暮れる。

一体いくらお金がかかるのか。

薬なんて開発できるのか

でも核戦争とか起こったら

必要になる人は沢山いる。

今だって水素のサプリがバカ売れしているのに。

どうしよう。

ぼく1人が仕合せに生きて、死ぬ問題ではない。


どうしたらいいのだろう。

家族に迷惑はかけられない。

どうしたらいいのだろう。

どうしたらいいのだろう。

かみさま教えてください。

どうしたらいいのだろう。


高麗人参

人参のミネラル?

亜鉛??

珪素??


かみさま教えてください

かみさま教えてください

かみさま

疑問を

自分の疑問が答えを知っているから

たとえば進化の途中

まだ放射線がたくさん降り注いでいたころ

葉緑体をもたない微生物は

どうやって放射能から身を守っていたのか

ストロマトライトは酸素を出していた。

だしたからオゾンができた。

酸素は放射線にあたってオゾンになる。

オゾン層が有害な宇宙船から生き物をまもる


みんな水の中にいたの??

プロトテカも水の中にいた

酸化チタンで活性酸素を出して

そしたらそれを消す酵素を出す??

水素を出す??

昔の生物は水素を出していた。

それは何のため??

その目的はなに?

ヒドロゲナーゼをつくる目的はなんのため????


それを調べる。



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2014年

8月

28日

「お手伝い」はいらないというからには

誰からも教えられなくてもやりたいと思う事

 
できたらいいな。
 
酵母が発酵したあとの排泄物がお酒になるみたいに。
 
赤ちゃんのときは誰だって
自分でおしめも換えられなかったのに
 
いつから「使える人」と
「使えない人」と
選別されるようになったんだ?
 
知っていることは全部教えて、
知らないことは教えてもらえばええやん。
得意な事と不得意なことみんな違うやろ
酵素だってはまる穴が違うやろ
 
森には、「使えない生物」
なんていないのに。
 
君は、どちら側のひと?
僕は、どちら側の人?
ふるい分けられるのはいやだよ。
僕はそれよりも沢山友達つくりたい。
助け合ったらできること、沢山あるでしょう。
誰かを閉じ込めるのはもううんざり。
もう十分排除しすぎて、元気がなくなる。
 
その人がいちばん好きなことをして、
誰かの幸せになれば、いちばんいいのに。
誰からも支配されない。
 
自分の好きな事だったら
だれの「お手伝い」でもない
自主的以外のなんでもない
オリジナルもオリジナル
だれも指図できない
自分で考えるほかない
だれにも譲れない
本気と遊びが一緒になる
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2014年

8月

20日

自主的に考える、空気を読む、手伝うの違いについて

 

 
ボランティア活動というのはなんだろうか
見返りを求めない??
うそうそうそ
 
何かしら望むことがある。
相手が「喜ぶ」という見返りがほしいのでしょう。
相手の喜びを知るためには、
相手を知る必要があるでしょう
独りよがりではだめでしょう。
 
お手伝いはいらない、空気を読んで自主的にって、
空気を読むためには
何が必要とされているか
判断する必要があるでしょう。
その判断は初めからできるものなのかな?
経験や場数が必要でしょう。
初めからなんでもできた訳じゃないでしょう
 
お手伝いじゃなくなるためには、
本当に自主的になるには
ほんとうに好きな事じゃないといけないでしょう
そうしない限りいつまでたっても誰かの「お手伝い」でしょう
 
あなたの好きな事で、誰かを幸せにできる??
好きじゃない事でも、誰かを幸せにできるけど、
あなたの中の誰かが泣いてやしないか。
自分に嘘はつかないでね。
そうしないとクリヤがやってくる
 
微生物は、自分の排泄物を誰かに食べてもらっている
そのくらいに生きているだけで誰かの役に立ちたいもんだ。
戦争の原因になるようなものを売り買いしても
心が病気になってしまうよ。
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2014年

6月

28日

躁状態の人と話すとき

 

 
躁状態の人は、話すのが止まらなくて、止まらなくて、
一緒にいると正直つかれる。
相手が聞いているのかどうかおかまいなしに
しゃべり続ける。
自分は、目の前にいるのにいないような気になる。
やりとり、ができない。
こわれた機械といるみたい。そういうときはなんだか悲しい。
 
初めてそういう人に出会うと、
円滑なコミュニケーションが成り立たないので、
ふつーの人はとまどう。
外国語しかしゃべらない外人が、さらに訳がわからなくなった感じ。
外人の方がまだアイコンタクトとかが通じる。
 
でも、「そういう人もいるものだ」
と慣れてくると、次からはあまり戸惑わなくなる。
ときどきそういう人はいる。
「よっぽど人に話を聞いてもらっていないのだな」と
思う。それは本当は自分もそうなのかも。
いつも、要点をまとめて、簡潔に、って求められているから。
みんな忙しいから。
そういう場面がたまりにたまって、
話をきいてくれそうな人に出会うと、
滝のようにしゃべり続けてしまうのだとおもう。
 
そういうしゃべりつづける人に対しては
私は意識的に会話をぶったぎるようにしている。
そうすると相手は話し続けている自分に気付いて「はっとする」
はっとする人はまだ大丈夫だ。
うちのお父さんはもうそれさえできなかった。
もう壊れてしまっていた。
話が通じるうちに、もっと父といろんなことを話せばよかった。
今では聞きたいことが沢山ある。
 
今までであった「話しすぎる」人で、
「はっとする」人はだいたい回復に向かっている。
私はそういう人にであったらまず、
自分の意見を忌憚なくいうことにしている。
その方がそのひとのためになる。
そういう人は自分自身に
「これ以上嘘がつけなくなっていて、心身に変調をきたしている」
ので、嘘を言う必要がない。
そういう意味では付き合いやすい。
だから私は変な人を避けない。
避けないで、「ほんとのこと」を言うようにしている。
 
最近参加したトーキングサークルというものでは
「ひとのはなしを最後まできく」
というシンプルなルールがある。
普段いかに自分が「人の話をきいていないか」
また、
「話をちゃんと聞いてもらえたと感じていなかったか」
がわかる。
 
 
 
あと、自分の「感じていること」を話すのが
ほんっっっっっとーに苦手な人がいる。
一体何歳の頃から封印され続けているのか。
それは私も然り、自分の感情の動きに鈍い。鈍すぎる。
出来事の1日後に感情がドアをノックすることもある。
 
ほんとは別のことを求めているのに、
口では全く別のことを言っているひともいる。
自分で自分の気持ちがわからない。
世間から求められていることを話しているのに、
自分の体や心がそれと乖離している。
その乖離を整理すると、すっきりすることもあるみたいだ。
そういう意味では、飛行機であった南米の原住民のひととかは
会話がシンプルで、とても付き合いやすかった。
 
で、壊れたロボットみたいな父親をなくしてから、
私は世界中の悲惨な状況に目をつぶることができなくなった。
私はお父さんを壊したのに、
幸せになれるのか。今でも十分幸せだけども。
精神病の人を病院に閉じ込めて、
テレビを見て笑うことはできない。
W杯だぜ、いえーってなれない。
相手を力いっぱい打ち負かすことができない。
自分は十分に排除した側の人間だ。
排除しつづけることができない。
嘘をつきつづけることができない。
世界を憎みつづけることができない。
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2014年

5月

24日

マニュアル人間のうた

 
 
指示を待ってないと、怒られたよね?
勝手に動くなって。
空気を読んでかつ自主的にってなんやねん。
決められたこと通りに動かないと、怒られたね。
 
悲しいね。悲しいね。
 
指示待ち人間はいらない。
お手伝いは、いらない。自分の頭で動けって、
考えて動けっていうんだ。
 
悲しいね。悲しいね。
 
言う事をきくように、育てられたのに。
いいこちゃん。ほんとはいいこじゃないよね。
内側の僕の言う事、聞いてる?
やりたいこと、わくわくすること。
お金をもらわないと、できない?
 
目の前のだれかを、あなたの好きなことで、
喜ばせることできる?
 
誰かを悲しくさせるエネルギー
僕たちの暮らし方。
幸せに、なりたいの?
 
怒られること、こわい?
おこるのは、だれ?
怒られる誰かを、意識するのは、何故?
怒られることを気にしないで、のびのびできることは何?
あなたに残された、誰も侵すことのできない、
最後のばしょは、何?
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2014年

5月

10日

飛行機

畑で作業していると、
飛行機の音がすごい。
軍用機の。
茅ヶ崎に住んでいて、だんだん増えてきている。
こんなに夜中も飛行機が通ったり、したことあったっけ?
だんだん音に慣らされているみたいだ。
「えっ平和だと思っていたの?
 植民地だよ。
 そのためにだんだん自給率へらしてきたじゃん。
 お米まずくして。水に塩素いれて。
 遺伝子組み換えの飼料を大量に使わせて、
 肉食化してきたでしょう。
 有機栽培を、イチオシしてきたじゃん。
 あれ牛と豚の糞つかってほしいからだよ。肥料として。
 水も民営化して、もうすぐ完成だ。
 もう静かにしている必要ないよね」
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2014年

5月

09日

無駄な抵抗?

遺伝子組み換えの作業自体は、

おままごとみたいだ。
ほんとうに簡単。
結構女の人が働いていた。お料理みたい。
料理は命をいただく行為だから。
命をいじくる行為は、神聖なもの???
いのちというこんな巧妙な仕組みのシステムを果たして
人はつくれるのかな?謎だ。
上流の方のコードまで操れるのか?
巨大なドミノ倒しの装置のような常に環境に応答して
変化をする生き物をつくれるのかな?
一体だれが、立体構造の酵素をつくりあげたのかな。
クリエイターってやつかな。
 
ネズミの解体実験みたいに、
「残酷だ」とおもう自分と
「プラモデルの解体だ」と
思う自分の切り替えスイッチが生じる。
人間は誰でも残酷になれる。
 
ネズミや大腸菌を殺すのが仕事の人もいる。
ある目的のために。
素晴らしい成果があれば、
それまで死んだ沢山のいのちに意味はあったのかな?
 
どうして、戦争から帰ってきた人たちは自殺をするのだろう?
なんの良心の呵責も生じないなら、
世界はもっと早く殺戮の現場と化して、
人類はもっと早く滅びていただろう。
 
どうして、私たちの心は痛むのだろう。
痛まないのであれば、
もっともっとやりたい放題できるのに。
ロボットにだってなれるのに。
 
どうして、どんなに少数派だとしても、
声をあげることをやめない人たちがいるのだろう。
何も疑問を感じずに、テレビや流行を追いかけていればいいのに。
素敵なCM。素敵な広告。
まつげを伸ばすことに一生懸命になっていればいいのに。
つけまつければいいのに。
 
どうして、私たちはアレルギーになるんだっけ?
どうして、病気になるんだっけ?
体は何を教えてくれているのかな?
僕たちの世代は、だんだん体が弱くなっている気がするよ。
 
薬をもっと沢山のめばいいのかな?
お金をもっと沢山稼げばいいのかな?
車や、マンションが欲しい?
幸せになりたい?
幸せってなに?
 
不思議だな。
 
そう、滅びるならさっさと滅びればいいの。
どうしてそれを止めようとする人たちがいるのかな?
何がしたいのかな?
 
別に、ほうっておいてもいいんだよ。
 
 
 
 
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2014年

4月

19日

灰色の街

国会議事堂。ドイツの国会議事堂は戦争でめっちゃめちゃにされたので、

ガラス張りにして、そこからエネルギーをとるようにしたらしい。

 

日本みたいに沢山の警官の人はいない。川が近くに流れていて、

観光船もとおっている。

 

何だかスーツは苦手だ。黒としろと灰色。

ああそう。名刺という紙切れ。

クッキーは受け取らない??

庭でとれた夏みかんを使いたいだけなのよ。

食べ物はみんなメディスンなんだって。

 

地球は女の人だと「地球のレッスン」には書いてあった。

日本人にスーツって似合わないな。短足がよけいに目立つよ。

 

ベルリンもそりゃあ灰色の街だけど、

デモのときは色とりどりの旗が色めきだっていたよ。

人々の心で色づく街、ベルリン。

 

そう、「あなたはつまらないわね。」

っていっている人の顔つきってわかる。

でも誰だって、そんな顔で見られたくないでしょ?

だれだって、大切に扱われたいはずだよ。

もっと丁寧に人と人がつながれるような場所を

求めているはずだ。少なくとも私はそう。

 

庭の夏みかんを使いたいだけなんだ。

工場の歯車のひとつになりたいわけではなくて。

生きていく術を知りたいだけなんだ。

 

 

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2014年

3月

11日

あなたの心はうけとりました。

あなたの心はうけとりました
あなたの哀しみはあなただけのものだから
あなたがくれたやさしさで
どれだけのまわりのひとが
すくわれていたのかと
あなたがいなくなる
そのときに誰もがみんな
涙を流して偲ぶことでしょう

ゆっくり ゆっくり
水が滴り落ちるように
哀しみがぽっかりと
胸に空いたときには
少しずつ 時間をかけながら
涙で満たしていくのよ
かなしい思い出や
嬉しい記憶の
つながる 命の ゆくえは
どこへいくのか。
つないで つないで
ゆっくりと

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2013年

12月

28日

種をまくポーズ

緑肥と発酵をした堆肥と有機と無農薬無肥料の違いをよくわかってなかった。
自然農法と自然栽培と自然農の違いもまだ完全にはよくわからないけど。。。
とにかく蒔いた種の芽がでますように。
お釈迦様のポーズは種を蒔いているのではないかと思う。
 
野菜がもともとできた土地とその気候やルーツを調べて、
実際育てる畑の土で野菜を育ててみて御見合いをする。
やはり森の中の土は遷移が極相まで進んでいるから使うと調子がよいらしい。
発酵も、どの位の期間放置すれば窒素が完全に分解されるのか。
有機でも、動物性のものは飼料に何が混ざっているか分からないとのこと。
昔から牛の堆肥の臭いはあまり好きではなかった
でも必要なんだろうなと思っていた。
それを使わないで済むなら農業のイメージが刷新されるではないか。
窒素系の人口肥料もオゾン層破壊の原因とされているらしい。
http://www.jst.go.jp/pr/announce/20101126/
http://www.riken.jp/kankyohokokusho/2011/e-activities/hi-light1101.html
何故広まらないのか?
JAを通さないと農家として認められない不思議。
2/14に岡本よりたかさんがトニーズさんで
その辺のからくりのお話をするらしい。
 
私は特にJAに恨みは持っていない。でもアトピーだから
物理的に体に負担のないものを必要としている。
国会議事堂の前で
「国会議員よ恥を知れ!」
というシュプレヒコールがあったけど、
「恥を知れ」というほどの情熱は自分にはないなと正直思った。
怒りを感じるほど問題の核心にせまっていないのだとおもう。
 
最近は小松菜とれ放題で朝の小松菜リンゴジュースがお気に入りだけど、
りんごの自然栽培が日本で成功しているのは木村秋則さんだけらしい。
長野の御宿分校館でのんだリンゴジュースがおいしくて、
思い出したので注文した。
http://www.yoshizumi-noen.com/o_saibai.html
 
伊那の駒ヶ根〜西春近のあたりは私の遠隔地ナショナリズムが働く
場所だ。暮らしたこともないけど何故だか懐かしい。
善積農園もその辺だった。
 
 
私の世代でクラスに2〜3人だったアトピーの子が
今では二人に1人ということらしい。
体にいらないものを必死に出そうとしている症状のようにも見える。
一体何を出そうとしているのかな。
 
朝起きると心臓が軽く痛むが、
鼻で呼吸をするとラクになる。
 
病気や死や痛みや苦しみはいろんなことを教えてくれる。
 
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2013年

11月

22日

ヘビーローテーション

ずっとヘビロテしている曲。

 

miccaさんは作詞の天才だな。

言葉が美しすぎる。

 

想いは届かず、願いはかなわないから

美しいのかもしれない。

 

そうしたらその想いや願いに存在する意味はあったのかな?

それはわからないままだ。

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2013年

11月

01日

差別、外見、比べることについて


 
瀬谷駅で、フキプランニングのモペットを試乗しにいくときに
小人症の男の人が目の前を歩いていた。
私は小学4年生の平均身長と同じくらいで、
一応免許をとったから原付にものれてしまうわけで、
本物の原動機付き自転車、しかも車輪が24インチのものを
見に行くわけだが(身の丈にあったものを使った方が安全だ)、
背が小さいことによる周囲の反応はなんとなくわかる。
私は別に小学生のふりをするのはいくらでもできるけど
小人症の人はそうはいかない。
街を歩くのは勇気がいることだろうなと思った。
私だったらとても勇気がいる。
 
案の定中学のジャージを着た男子の集団が
好奇の目でその人を見ていた。
わたしはその男子の集団をずっと見ていた。
人が人をそういう風に見るときの顔をスケッチする。
表情でわかってしまうものだ。
脳のカメラに記憶する。
記憶をたぐる。
 
高校生のときにドイツに交換留学していたとき、
登校経路の脇に職業訓練校であるハウプトシューレがあって、
自転車で登校していたら
同じ位の年齢のその学校の子達に、
「中国人!」と叫ばれた。
その叫んだ子は瀬谷駅の中学生男子と同じ表情をしていた。
 
私はむっとした。
むっとしたのは「中国人」と呼ばれたことに対してか?
いやいや中国人ではなくて日本人だぞ。
と訂正したかったけど、
それはつまり「中国人」という言葉が侮蔑の対象になって
いるということだということに気付いて、
「ああドイツでは中国人の人は差別されているんだこれが差別というものか」と思った。
私はその一連の出来事に動転して、何も言えずにその場から立ち去り
学校に行った。
でも結構その出来事がショックで、
教室についたときに思わず泣いてしまった。
クラスメイトの子達がびっくりしてどうしたのと
聞いてきた。
「ハウプトシューレの子達なの?あいつら…私が見つけたら
 とっちめてやる」
とクラスのリーダー的な女子が言ってくれた。
私はその言葉にずいぶん勇気づけられた。
 
その後、その構造について考えてみた。
ギムナジウムは大学に進学するひとの学校で、
ハウプトシューレは職業訓練校だった。
ドイツでは小学4年生位でどの学校に
行くかが決まり、将来の進路が決まる。
 
自分のやりたい職業が見つかればいいけど、
まだよくわからないまま、成績だけで
選別されたハウプトシューレの子達はむしゃくしゃしているのだろう。
差別をする人もまた差別されているのだ。
そこに私のような1年しかいないとはいえ呑気そうな
アジア人がギムナジウムに登校しているのが気に入らないのだろう。
 
江戸時代の士農工商、穢多、非人のようだ。
人を区別して、選別する社会は不満のはけ口を必要とする。
 
私はその後カラオケ大会でアヴリルの歌を練習し、
(ドイツでは日本ほど個人のカラオケは流行しておらず、
 カラオケと言えば歌唱大会のように人前で歌うのが前提)
ANYTHING BUT ORDINARY の歌をみんなの前で歌った。
 
その後から、あまり侮蔑の声をかけられることはなくなった。
人を見た目で判断する人には、
「目に見えない才能」を努力して獲得し、
その人にわかる形で見せるほかないのだ。
つまり感動を与えること。
私はこの歌の一部の歌詞が好きだった。
 
Let down your defenses
守りに入るなんてやめて
Use no common sense
常識なんて捨てて
If you look you will see
そうすれば見えてくる
That this world is a beautiful, accident, turbulent, succulent,
この世は美しく、思いがけず、荒々しく、みずみずしく、豊かで、
Opulent, permanent no way
変わらないものなんて無いってことが
I wanna taste it
私はそういうことを感じたい
Don't wanna waste it away
決して無駄にしたくない
 
自分の本当にやりたいことがわかれば、
誰かと比べる必要もない。
誰かを妬む必要もない。
その時間があれば自分のやりたいことをすればいい。
このシステムの何に乗っかっているのか。
どうしてやりたいことを見つけられないしくみに
なっているんだろう。
 
瀬谷駅で見た中学生の子達も
「選別」され始めていることに苛ついているのかな。
私は自分が小人症だったら
あの人のように勇気をもって街中を歩けるだろうか。
 
祖母に六ヶ所村と東北について少し話しを聞いた。
名古屋の臨時国会でも、なぜか差別の話になり、
内田樹さんの東北論がでてきた。
 
 
このシステムから降りるにはどうしたらいいのだろう。
 
 
 
 
 
 
 
 
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2013年

8月

29日

人が単純に必要としているもの

保育所の仕事で、

 

男の子から踏んだり蹴ったり結構本気で殴られたりして

痛いんだけど、

 

そのうちのひとりが

ある日

「抱っこしろ、さもないと殴るぞ!」

と言ってきたので

とりあえず4歳児だけど

しばらく抱っこしたり肩車したりしたら、

それまで殴ったり暴言を吐いてきた男の子たちが

急にみんなスキンシップを求めるようになってきた。

殴られたり蹴られたりするよりかは

そっちの方が身体的にラクなのでそうするようにした。

 

4歳って微妙な感じで、

甘えられるのと甘えられないちょうど境目くらいの感じで、

でも発達はやはりいきつもどりつするものだから、

小さいうちは思い切り甘えれば良いとおもう。

相手が誰であれ。

 

前の職場は小中学生相手だったから、

下手にスキンシップができなくて

逆にやりづらかった。

 

発達に可塑性があるとしたら、

むしろ何歳になろうが甘えるべきときに甘える方が、

その子の未来は拓けるように思う。

 

しかし荒れてる家庭ほどスキンシップの効果はわかりやすく

出ると思う。

特に父親がいない家庭でお兄さんボランティアが

肩車とかしてあげると子どもはめっちゃ喜ぶ。

 

子どもがふるう暴力は、ある意味メッセージなのだと思った。

「助けて!」って言っているような。

他の方法を知らないのだきっと。

 

誰かが怒ったり、怖い言葉を言ったりしたとき。

それが尊敬する人であるほどすくみ上がってしまうけど

その人がそうなるまで追いつめた自分は

どうしたらよいのだろうか。

 

僕ができることはなんだろう。

その人が楽になるように

荷物を持つことはできるだろうか。

どうやったら支えることができるのだろう。

 

誰かを支えようとしている人ほど

いちばん支えを必要としている。

 

言われたことは直すしかないし、

気づかない自分を責めても仕方ない。

次にできることを考える。

 

嫌われることを気にしていたら

本当の愛ではないなきっと。

 

必要以上に落ち込まず、

心のクッションをいつもやわらかく。

 

喜ぶ顔がみたいのだろうきっと。

その人が喜ぶ顔がみたい。

 

だから何ができるか考える。

ひとりの人を喜ばせることができたらきっと

それを世界全体に広げることができるだろう。

 

 

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2013年

8月

28日

ほんとうに必要な仕事

昨日の話のトピックとして印象に残ったこと。

「葉っぱを使い始めたらトイレットペーパーは全然自分に優しくないことに気づいた。 あじさいの葉が最高」

「君に伝えておくけど、俺たち夫婦が死んだら君が選んだ森に骨を埋めてくれ。 君が一番信用できそうだから。」

「おれはシュレッダーに喜んで紙を入れ続ける。単純作業は好きだ。」


多分、自殺してしまう人って、シュレッダーされる紙の痛みを感じてしまうような人なんだろうな。分子生物学を研究している人たちだって、ネズミを毎日殺すのが仕事の人もいる。


「痛む心では働けない」と誰かが言っていた。


本当に、シンプルに、人が生きるために必要なものを作り出している仕事ってどれだけあるのだろう。

心が痛まない仕事をつくり出せたらいいな。

 
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2013年

7月

22日

私には、一万円を寄付してくれる友人は600人もいない。

私には、一万円を寄付してくれる友人は600人もいない。新しい党として選挙に立候補するというのはそういうことだ。一般人が立候補するのってそういうこと。三宅さんが言っていたように「立候補者を孤独にしてはいけない」のだと思う。政党交付金は、国会議員5人いて、得票率が2%以上だともらえる。今回当選者が出なかったから、供託金は没収されて、またやり直し。緑の党と他の脱原発を唱える党が一緒だったらいけたって声を聞くけど、私は、中に入って実情を知っているわけではない。逆にいえば、「私は」緑の党と他の党が一緒になるのに「何か」主体的に動いたのかと言われれば何もしていない。立候補したひとはみんな「私」を主語にしている。W統一杯 日本予選。サポーターのがんばりがもろ結果に影響する。っていうかサポーターも実はプレーヤーだった。
 「一緒に考えて動く人になりなさい」って言われている気がした。ほんとうは全部自由。他人に何かを強要することはできない。立候補するのも、ギターを一生引き続けるのも自由。政治に興味ないって言って一生終えるのも自由。私はたまたま知り合いが立候補して、話を間近に聞ける位置にいただけ。ちょっとだけ手伝って、そして結果に一緒にくそみそになって悔しがっている。選挙にお金をかけるよりか、再生可能エネルギーの普及にその力を注いだ方がいいっていう声があって、私はなぜ「市民」が政治に関わっていく必要があるのか、うまく説明できるだけの能力がなかった。応援するっていうのは、自分が「立候補者」並みにその政策や考えを体現できるくらい、勉強して立候補者の代わりに対話する相手の心を「戸別訪問」するようなものなのだと思った。私はまだまだ勉強が足らないのだ。ワトソン君。もっとガンガン、考えの違う人と話す訓練が必要なのだ。それこそ非暴力トレーニングだ。批判を聞いて傷ついている場合ではなかった。批判こそ「ありがとう、その点についてよく調べてくるからもう一度話そう」って返すべきだった。相手をコテンパンにやっつけるためではなくて、相手の話を聞いて、誠意をつくして話し合う心がまえが足りなかった。あーんドラえもん。助けて!ドラえもんはいなかった。便利な道具はなかった。心を開く道具なんてない。自分の頭と体と心しか持っていない。TPPに入ることによって、どんな変化が起きるのか。うまく説明できなかったことが、実際にどんなカタチになって生活に現れてくるのか。あるいはまったく現れないのか。家庭菜園をしている人が賢いのか、地に足着いた暮らしってどういうことか。
いろんなことがぐるぐるしている。
暮らし方を変えるのがトランジションタウン。政治に訴えかけること。
地に足のついた暮らしをすること。暮らしを楽しむこと。両方必要なの。
両方。
 
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2013年

7月

20日

つながりとひらめきと行動

木村ゆういちさんが、障害をもったおこさんが福島で生まれているのことを話して、それを脱原発と結びつけることに「統計的根拠」がないということで、批判されている件。私の中でも意見が飛び交っていて、すぐには反応できなかった。
 
私A
因果関係が証明されないと、だめだ。福島に住んでいるヒトたちのいらぬ差別をうんでしまう。
 
私B
おいおい因果関係がそんなに大事かい。今できることってなんだ。
逆にいえばもし証明できてしまったらどうするんだ。数の問題なのか?
それって統計の問題なのか?
予防原則っていうのは「因果関係が証明されてしまったら取り返しが
つかない」から予防原則っていうんじゃないのか?
だってもとに戻す方法がわからないんだから!
 
私C
いずれにしても、私ができることは、障害を持ったヒトたちと接し続けることだ。彼らと接していると…とくに彼らが描く絵は。
人間とは何かを考えさせられる。
 
私D
私Bの気持ちの代弁として、ケネディ大統領が語った言葉がある。あとで引用しよう。
 
私A
誰でも見える調査を行わなければひとびとは納得しない。
そういう調査を行える環境があるのか。勇気を持った科学者はどれだけいるのだろう。すでにそういう調査はあるのだろうか?
12人の甲状腺がんになった子どもがいるという事実はどう世間に受け止められているのだろう?
ひとつの指標として、低身長の子どもの割合を調べることが、
もっともお金をかけずにできる調査だと西尾先生は言っていたよ。
 
私B
もう3年たてばわかる。わかってしまったらどうする。今できることはなんだ。今出来ることは。
 
私C
つながりつづけることだ。一番弱い立場のヒトが声を聞ける位置にたちつづけることだ。心配なことは「心配だ」と声をあげれる社会をつくりつづけることだ。
 
私F
全然話は変わるけど、無事に生まれてきているということは、すでにたくさんの試練を乗り越えてきているということだから、生まれてきた個体は逆に強い生命力を持っている気がする。
 
私D
確かに、生命は環境に応答して、酵素をつくる。危機に大して対抗する酵素を誘導できたものが生きて、生まれてきているのかもしれない。
過酷な環境において、生き延びた種は過剰なほど強くなる。
 
私C
でも、死んでいく命や、障害を持ったヒトの命に意味がないなんてことはないよね。存在で、魂の表現をしきっているのだから。
最首悟さんという教授の方は、星子さんという重度障害の娘さんと一緒に暮らしているけど、脱原発の立場をとっているよ。
僕たちはもうすでに、美しい世界に生きているとおもうんだ。
そんななかで、すべてがもし決まっているのなら、
なぜこんなにもがく必要があるのか
なぜ心が痛むのか、知りたい。
痛む必要がないなら、とっくに楽に生きているはずなんだ。
 
私D
あまりにたくさんの現象がおこりすぎていて、混乱しているな。
こういうときは、体を動かすのが一番だよ。
 
 
映画のチラシを300枚まいて、来てくれたのは一人だった。
もうひとりの自分が、
「おい、紙をまいて、何か変わるのか?お前は何をやっている?資源と労力と時間の無駄ではないか?お金をもらえるわけでもないのに」
と常に問いかけてくる。そんなのわからないよ。。。
よくわからないけど「流れ」がそうさせるのだよ。
そういうふうに、できているから、止められない。愚かでも滑稽でも、
キチガイでもかまわない。病院には入らないもん。
捕まらないぎりぎりのところでキチガイをするんだよ。
薬は、飲まないよ。病気にも、ならないよ。
むしろ捕まってもいいわ、もう。
だってそういうふうにできているんだもん。
でも意外にひとりきてくれたよ。
私が書いたチラシで。
ヒトをかえるのって大変っていうか、かえられないわ、こりゃ。無理だ。
そのヒトの話をきくことしかできない。
人前で話すよりも絵を書いたり、チラシをポスティングする方が
私はやりやすいと思った。あーあーあー
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2013年

7月

11日

学ぶべきスキル

長野の佐久に行ったときに、カラマツばかりが植えられていて、そこが「昔は田んぼだったんだよ」と聞いてびっくりした。森に光が入っていない。人が上田人工林は、人の手が入らないとたちゆかないという。自然の植生は不思議と、木の高低に序列ができる。木の高さが違うから、森に光が入る。それぞれの木が光をわけあっていながら、木の種類はその土地に固有で、それでいて種類が多い。多様性と調和の見本が、自然界にある気がした。人が使うものが食べ物や、水や、空気なら、売れないから、お金が手に入らない(紙幣という信用をともなった紙)といって自分の住んでいる土地に生えている木を使わないというのは、それこそ「合理的でない」と思う。自然の理に沿っていないということだ。お父さんが自殺をしたセレニティの当事者の人も言っていたけど「誰もが置き去りにされない社会」をというのは、何も経済が成長してそのおこぼれを頂戴するためにみんながあくせく働く社会ではなくて、「すでにある」家族や命のつながりの大切さを、それを失った人たちが「いちばんに考えて」ほしい、価値をより高貴なものを高位に置くようにしてほしいと言っているのだとおもう。経済が悪化すると、自殺者が増えるというけど、借金で首がまわらなくなって自殺するというこの社会の仕組みがおかしいだろう。お金は紙で、食べられない。
経済が悪くなっても、それこそ山から木をきってきて家を建てれたり、田んぼでお米をつくったり、いろんなものを融通しあえるようなコミュニティをつくるスキルを身につけていれば、「生きるために必要な」ものはそもそも空気と水と土と人とのつながりでそれがあれば人は生きていけると「実感できる」ような力や知恵があれば、自殺をしたり、心の病にかかる人は少なくなるのだろうか。私にはそのスキルがまだ全部足りない。足りないけど、10年前にドイツに行って、緑の党があるということを知った。緑の党は奇もてらいもなく命が最優先だと言ってくれた。人だけではなくて、微生物も含むすべての生物の命のことを。だから私は緑の党を応援したいし、

「生きるために必要な」スキルをこれからも学んでいくと思う。

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2013年

7月

09日

頭と顔のボディワーク

タオルとペアでヘッドマッサージのワークをした。

いかに普段頭に力を入れているかわかった。

 

顔や頭にまつわるエピソードをみんなで披露した。

 

頭から先に動かすことをした。

 

内側の顔と、外側の顔、というテーマで絵をかいてみた。

 

みんなはよく、どろどろするものがでてくると、いうけど。

 

私の場合は中に閃光があった。

カッとなって感情の制御が効かない状態。

そしてあまりよく考えずに言葉を使って人を傷つけてしまう。

 

しかしそれは実は本来のエゴなのかもしれない。

それを隠すために青とか、沈静化する色をまとっている

ような気がする。

 

とりつくろうために。でもひび割れて、感情の光が漏れだしている。

 

藍は、染めるときに蛍光の黄色が現れる。

なんとも不思議な色の取り合わせ。

 

描いた絵から、両方の動きを表現してみて、といわれ

動いてみた。

さっきの閃光の方は、沸騰した空気分子のような感じ。

いろんな方向に突き出て、ぶつかって、分子は早く動いている。

 

外側は、水のような感じ、ゆったり、穏やかに動いている。

 

お互いの動きのバランスがとれているからいいんじゃない、

といわれた。

外側の動きもそんなに自分で嫌いでないだろうと。

ようは、バランスがとれなくなったときが問題らしい。

外側も内側もあわせて自分。

そういわれて少し楽になる気がした。

 

 

 

 

 

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2013年

7月

03日

なぜ関心をもつのか

何がいいとか、悪いとか、判断基準も、価値観も、持って生まれたものと環境でつちかったものがあるのだろうか?世界は良いことも悪いことも混沌としている。何がよくてわるいかと思うのも自分次第だ。その中で自分が持った悩みというのは多分自分が生まれてきた意味に直結しているのではないだろうか。
どうして社会の問題に無関心といわれるひとたちが圧倒的多数なのか?と問うときに、なぜ自分は逆に関心を示すのか?その関心は一体どこから来た?それは「自分に関わりのあることだから」なぜそう感じるのか?「現状がよくないと感じるできごとがおこったから」それは本当にそう思うに足る因果関係があったのか?「直感的に」「体験から」それをその体験をしていない人に伝えられるのか?「わからない」「でも痛みを感じている自分に嘘をつくことはできない」無関心といわれている人が痛みを感じていないというのか?「否」「感じている」「本当は感じていると思う」「知らないうちに」たくさんの矛盾を抱えながらそれでも伝えることができるのか?「わからない」「独りでは難しい」たくさんの考えの違うなかで、自分も傷つくし、相手も傷つける。それでもその痛みに関わりつづけることが、魂のカタチを表現することにつながる気がする。自分が一体何者なのか?を知る手がかりになる気がする。

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2013年

6月

28日

チャリティハンコ展

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2013年

6月

21日

ドイツ語の勉強に本腰を入れる

私は10年前になんとなくドイツにいった。

ドイツの人たちは理系と文系の両方を学んでいた。

 

グリーンピースとは独立して緑の党がいた。

僕はずっと憧れ続けていた。

緑の少ないドイツで。

頭がおかしくならないようにがんばっている人たちがいた。

 

技術だけでどうにかなるわけではない。

そう、社会をどうしたいかという意思が大切だ。

 

僕はもう少し、実力をつける必要があるみたいだ。

ちっぽけな私が何ができるのか知りたい。

何ができるかな?

もう少し、世界をつなげる言語を学べば、

僕が感じるもどかしさを伝えることができるだろうか。

 

今から思えば親に結構な額のお金を出してもらっているのだから、

それで仕事ができる位になって恩返しになるのだろう。

 

勉強がイチバン楽だ。

やればできるのだから。

人間関係の方が難しい。

独りではできないから。

 

言語はそれでも楽しい。

人と通じ合うための学びだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2013年

6月

05日

手で考える、体を心にする

私は自分が感じているけど、

言い表せなかったことばを

表現している人や本に出会ったときに感動する。

 

逆に言えばそうでない人の言葉を信じない傾向にある。

これは悪い癖かもしれない。

 

Bress made visibleという映画を茅ケ崎でみた。

90歳を過ぎても踊りつづける、アンナ・ハルプリンという女性の

半生を追ったドキュメンタリー。

映画上映準備会の主催者である越地清美さんが部分的に訳した彼女の著書の中に、

ドキッとする言葉があった。

 

「病気の人々について言えることのひとつは、身体的なリアリティに対する

コントロールが欠けていることだ。からだはそうしようとも思わないのに

勝手に変わっていく。真っ白な紙をもってきて、そこにイメージを描くことが、

彼らのこれからの人生をコントロールするための第一歩だ。それらは外的世界をコントロールしている」マイク・サミュエル

 

今朝、姉のうちに転がっていたSFの本の中にあった言葉。

「数限りなく行われた脳科学に関する実験のひとつは、人間の意志、たとえば

 『コップを持つぞ』という決断が、実際にコップを持ったあとで

 (正確には、持つために筋肉が動き出してから)、脳の中に生じている

  ことを明らかにした。意識は肉体の主人とは限らないのだ。つまり意識の

  座である脳が全身を統御しているわけではない。脳ならずとも全身の神経系が行動決定に関与している。言い換えれば指先まで一続きの脳なのかもしれない」(天冥の標 羊と猿と百掬の銀河、小川一水)

 

昔私は双極性障害になった父を朝の散歩に連れ出したことがある。

何か感動するもの、美しいものをみれば父が良くなると

単純に思考したからだ。

中学生の頃から新聞を配りだした私は、

朝に虹がたくさんでること、

朝の海はピンク色と水色がきれいなことを知っていた。

 

感情を感じること。

脳だけでなく体全体で感じること。

ダンスはそのバランスを取り戻す行為のように感じる。

 

たとえば誰かに悪口を言われて、

それを悪口と認識し、

からだのどこかにストレスを感じる。

ストレスというテンション(緊張)を感じた

細胞のいくつかは、壊れてしまうかもしれない。

からだは涙を流して、防御反応を示すかもしれない。

 

身体の再生能力を超えない限り、

「傷つく」という行為は生き物の進化の方向性

を決定づけるのに必要なことだ。環境との相互作用によって、

遺伝子の変異は生じる。傷は、進化の道標になる。

悲しみを感じることができるというのは幸せなことだ。

 

心の病の「こころ」とは一体どこにあるのかという話だけど。

たとえば脳のミトコンドリアが損傷して、

それが再生不可能(不可逆的)な部位だったとしても、

体全体が「こころ」であるならば、

その人はまだ「生きている」

脳死は認められないということになる。

 

絵を描いたり、ダンスをするという身体表現は体を「こころ」化して、
全体性を取り戻す作業なのかもしれない。
まさに「いのち」そのものになる行為。

体の動きを通して、僕たちは自分のこころの形を確かめる。

どこがひっこんでいたりくぼんでいるのか、

でっぱっているのか、ひとつひとつ見ていく作業。

自分を知るための作業。

世界の意味を知るための作業。

映画を見て、癒しとしての身体表現についてもっと取り組んで行きたいと感じた

 

 

 

 

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2013年

5月

25日

ネパールのもの

ヒマラヤンテキスタイルの箱が届いた。

ネパールの手漉きの紙、ロクタ紙でできている

とのこと。

ヒマラヤンマテリアルの糸も買ってみた。

リネンとイラクサの二種類。

流木を海で拾ってきた。

綿もある。

これで包装は何とかなりそう。

好きだと思ったり、愛しいと思う

身の回りのものは何故かネパールのものが多い。

山岳民族のひとたち。

人の手でつくられたものには

そこに込められた愛を感じる。

見ているとうれしくなる。

自然の造形物は美しい。

流木は波に洗われて丸くなるし

綿ははじけてふわふわになる。

 

何かをつくること。

これが私の祈り。

 

 

 

 

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2013年

5月

22日

減反政策を蹴っ飛ばした佐久に植えられたカラマツ

5/18~19で長野の佐久というところにいってきた。

 

2/17~3/19の期間、静岡県の木の花ファミリーというところで

エコビレッジデザインエデュケーションなるものを受けてきた。

 

そこで知り合った長野県佐久市出身のSちゃんが、

幻の長野県産のコシヒカリ”五郎兵衛米をつくっているというので、

興味があったのと

私の父方の祖母が佐久の臼田出身ということで、

どんな風景が広がっているのか見てみようと思った。

 

五郎兵衛米がおいしいと言われる理由

1.水が綺麗なこと(浅科山からひかれた用水路によって)

2.土が強粘土質であること

3.日照量が多い事(国内2位。1位はおそらく飯田市)

4. 朝夕の寒暖の差が激しいこと

5.でもつくれる面積が400ヘクタールしかないからあまり

  流通しない。まさに幻のコメ

 

どうして粘土質だといいのだろう?

日本の土は粘土質で、セシウムも作物に取り込まれにくいという。

行ってみてわかったこと

長野の人の生活スタイル

朝、早くおきる

午前中農作業

午後 昼寝

晩御飯 早め

寝るの 早め

昔祖父母のうちにいたころと同じ生活スタイルだったので、

なんだか懐かしくなった。とくにこたつで昼寝をするところ。

ほんとうに泣きたいくらいに懐かしい。

 

こたつにマメタンというものがつかわれていて、電気を使わずに

ほりごたつがあたたかいのが驚愕だった。

梅干しの黒焼きも初めてみた。ウメぼしを七輪のなかに

入れて、炭化させる。それにお湯をそそいで、上澄みをのむ。

なんともいえず不思議だがおいしかった。極陽性でのどに良いらしい。

 

薪はすべて所有している山から伐採してきており、

薪ストーブ及び炭焼き場で炭化させて、石油ストーブのかわりに

大きな火鉢で鉄瓶でお湯が常に沸いている状態。

冬はほとんどガスは使わないそうだ。

Sちゃんのお兄さんのおうちも見せてもらったが、

古民家に太陽光パネルが広々と乗っかっていた。

オール電化で、ガスはまったく使わず、薪と電気で賄うらしい。

Sちゃんは小さなパネルを乗っければ十分にエネルギー自給

できそうな環境だった。

 

田んぼに行って見せてもらったこと

高齢者の方達がとてもたくましい。

3.11以降、田んぼに水がちらほら入るようになってきた。

水は隣の田んぼから流れてくる(水の加減、時期を守る、

近所づきあい必須)

いい意味でも悪い意味でもコミュニティが根強く残っており、

保守的。

良い意味:お金を使わずに食べ物のやりとりをしている。何かあったら助け合える。田んぼを代々守り続けることで、先祖の土地を守っている。

悪い意味:農家が高齢化していても、新しい若者を呼び込みにくい。

     警戒心が高く、Wooferなどを受け入れるのにハードルがある。

     真面目なので、「来るなら移住するくらいの気持ちで。通いで来てもらうよりもその方が技術が頭に入るだろう。」

この言葉は、都会に住んでいて自然によりそう暮らしにあこがれる人には

結構重たい。

手始めとして気軽に援農にこれる仲介的な役割を担う組織が必要なのかもしれない。

Sちゃんによると3反の畑でも資材やら機械やらで毎年100万円の

赤字だという。6反位でトントンなのだそうだ。

いろんな品種の野菜や宿泊業など収益源を多様化し、

若い人が農業を担っている木の花ファミリーのような

コミュニティは経済的な意味でも持続的だなとおもった。

 

農薬を使うことについて

Sちゃんは13年の試行錯誤を経て、しかるべきタイミングに一回だけ

農薬を使うようにしたという。いろいろな人の助けを借りながら

一人で3反の田んぼをやるというのは相当大変なことみたいだ。

それでも本当に農業をやる人から見たら遊びのようなものなのだという。

苗も、育てるところからはできないので、親戚のつくってくれている

ひとのところに軽トラで取りに行く。

Sちゃんの得意分野は、宇宙エネルギーを使って

おいしいおいしいお米をつくること。

「いろいろやってるのよ」

と言っていて、詳細は聞かなかったが、お米の苗に声掛けは毎日しているという。

おいしさと品質が証明されている出来事として

できたお米は日本に7人しかいない食のマイスター

の人が経営している「職人館」というところにお米を仕入れているらしい。

「うちのお米、おいしいらしいよ~」

Sちゃん、他人ごとのような口調がおもしろい。

そして、日本で一番厳しい審査といわれる(初めて聞いたけど)

共産党の人たちが行っている残留農薬と放射性物質があるかどうか

の検査も、なぜか一回農薬を使っているのにもかかわらず

作物には残留農薬がないという書類を見せてもらった。

宇宙エネルギーの仕業なんでしょうかこれは?

 

 

山に行って見せてもらったこと。

切っている山とそうでない山の違い。

弱い木から枯れ始めている

ハリエンジュが蔓延してきている

ヤマザクラ→松→栗→クヌギ

木の年輪から、20年前に何かあり、そこから木があまり

大きくなれていないとのこと。

北海道と長野では、国策で杉のかわりにカラマツを植えた。

当時は植えないと村八分という状態だったらしいが、

もともと50年前は田畑だったところに真っすぐな

カラマツが生えており、森に光がはいらず、

コケ一つ生えないところを湧水が流れている。

素人が見ても「この森荒れてるんだなあ」と思える有様だった。

カラマツは切っても材にならず、お金にならないため、

そのまま放置する地主もいて、山は荒れ放題。鹿も出放題。

「国の言うことを聞くとときどき痛い目に遭うのよ」

Sちゃん兄弟がもっている山は、木が切ってあり、地面に

光が入るので、緑が生えていた。差は歴然だった。

 

今年(2013年)は桜が咲いた後に雪が降った珍しい年で、

ウメなど木になる実は花がやられてしまって大変とのこと。

 

山菜とりをはじめてした。

こごみ、ギボウシ、サンショウ、フキ、ワサビ、

 

おもしろいとおもったこと

SちゃんはEDE中は体力の限界に達しており、

最後の方は小さくしぼんでいるように見えた(しょぼしょぼしていた)

森や田んぼでのSちゃんは足どり軽く、田んぼの苗も軽々運ぶし、

山でもどんどん先に行ってしまう。イキイキしているように見えた。

そういう人なんだろうな。とEDE中から思っていたので、

現場にいるSちゃんの暮らしを見てみたいと思ったのも

今回行った動機のひとつでもあった。

「あ、これは鹿の通った後だな」

「ちえちゃん、私は長い事教員をやっていたけど、本当にあほな教育を

 していたと思うよ。山の中に、自然の中に教科書に書いてないことが

 たくさんある。」

「こんなに太い茎のたんぽぽ今までみたことない。今年の自然はおかしい。

 放射能のせいじゃないかと思う。」

おもしろいと思った植物

ヒトリシズカ、オキナソウ

 

夜はまた、「懐かしい未来」のフルバージョンを鑑賞した。

途中寝落ちしかけた。

Sちゃんはかまたんの種生ビレッジをあと数年後に見学したいと言っていた。

TPPが通ったら、農家は自分が食べる分だけつくり、

耕作地を放棄するようになるだろう、とSちゃんは

繰り返し言っていた。

もともと農家の人はもうからないのに

「世のため、人のため」で田畑を維持している部分もある。

TPPが通って困るのはおそらく

「日本の安全安心なお米をそれなりの値段で食べたい都市部の中間層

 (今も格差は広がりつつある)」なのかもしれない。→つまり自分

 

あとスピ系の話題しては、Sちゃんのインドのアガスティアの葉の

話を聞いたりしました。おもしろかったです。

Sちゃんの魔女っぷりを見れて私は満足です。また行きたいな。

 

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2013年

5月

06日

子どもの日

喫茶ミンカのトグサは順調に生育していました。
トグサの生育を見守るのが趣味です。
自称冬のムーミン谷の住人としてはGW中に出歩くのは自殺行為です。
世の中には二種類の人間がいる、行列に並べるひととそうでないひとが…(´Д` )
納得のいくものをつくれということでー。
箱を作れるようになりたいっ

 

チャリティ判子展をするんだ、とあるひとに話して
保養キャンプをするんだ
と紹介したら、
福島に住んでいないけど、津波で両親を亡くした子はキャンプに行けるのか?
と聞かれた。
僕たちはほんとうに大きなものを失ってしまった。
しかしそれはひとの痛みがわかる
人が増えたということだ。
そこには大きな穴が空いていて、
穴を埋めるのにはたぶん
10年位時間がかかるけど。
昨日は子どもの日だったけど、
その子は誰かに祝ってもらえただろうか?
子どもでいれるというのは幸せなことだ。
でも子どもでいれない子どもも
それはそれで、その人の人生を生きていく。
素晴らしいひとになるのではないだろうか。
あしながおじさんは
いるのだろうか。
いるとしたらそれはたぶん
未来の自分だ。
幸せってなんだろうな。
私は原子力発電所で働くこともせず、自分のいのちが惜しくてハンコを彫る。
個展は問題ない、
納得できるものをつくれ
床に作品が置いてあっても
見に行くと言われた。
ありがたいことだ。
私は心が汚くても
少しでも美しいものをつくりたい。

 

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2013年

5月

02日

問答

私は何をしたら 神様はもっとも 私という 乗り物を効率よく 動かして

目的を達成することが できるのだろうか? 木の花ファミリーでは、「心を開く」という課題がわかったけど。その目的を忘れてしまったからなあ。思い出せれば良いのだけど。もしかして初めから目的はないのかな?
自分の中に10人位の人がいることが最近わかった。
ひとつのことに打ち込めるひとは、自分が何者かを知って
いて、人格が統合できているのだろう。
やりたいことをどの人格がやりたいのか整理していく
必要があるように思う。
自分のやりたいと思うことが、どれだけ世の中の役に立って
いるのだろうか?
それを一致させる必要はあるのだろうか?
祈りの場で出てきたことばは
「子どもが笑っていますように」
「美しいものがつくられますように」
本当か?本当に私はそうおもっているのか?
じつはやっぱり自分のことしか考えてないんじゃないか?
ここ最近の心の動きはそうとしか思えない。
3文字陽性の中性に近い女の人に相談してみよう。
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2013年

4月

28日

旅が好きな理由

旅は好きだ、

何故好きかというと、
出会いと別れのスパンが短いから
何故か人と別れるときに笑顔になるし仲良くなるまでの時間も短い
目の前の人との時間を大切にするようになる
それと同時に普段のんべんだらりと過ごしていることもわかる
大切にするというのは
自分も含めてであって
違う環境に身を置いたときに
初めて出てくる自分もある
旅をするように生きることが
できれば毎日
いろんなハプニングがあっても
それを楽しめるし
自分や他人の失敗を笑って許せるだろう
知らない人と出会うだけで
笑顔があふれてくる自分を思い出せば
それを日常に少し持ち帰ることもできるだろう
「生きている」感じ
出会えてよかった
ありがとうって言って別れる感じ
自分と出会ったことで、
元気を与えられたり
逆にもらうことができれば
こんなにうれしいことはない
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2013年

4月

20日

映画2本と四神相応

19日は 

Forks over Knives の映画を見た。

感想としては、

胃のセンサーとして容量と濃度を測るセンサーが、

加工品だと働きにくくなってしまうということ。

一物全体とは本当にそうなのだと思った。

その食べ物を消化するのに必要な酵素がその食べ物全体に

含まれている。

肉食でも、頭から足まで全部無駄なくいただく

原住民の人の食べ方なら害がないような気がする。

農薬や重金属、放射能に汚染されていたら問題だけど。

彼らは必要以上にとったりせず、与えられた恵みに

感謝している。

 

 

一部分だけの栄養をとっても、体の酵素をアンバランスに

消費してしまう。

 

代謝性アシドーシスという言葉があるらしい。

 

20日は LIVING without MONEY という映画を見た。

ドイツのハイデマリーというおばあさんが

始めたノーマネー生活。

是非真似したい。

麦わら長者(縄文式)ワークショップは是非

やってみたいとおもった。

かわいい女の子4人位で商店街に押しかけたら

そりゃパン屋のおじさんもサービスしてしまうかもしれないけど。

 

最近もらった40Lの鍋もその現象のひとつなのかもしれない。

おもしろいのは、

「与えるより受け取ることの方が難しいと感じる人が多い」

とのこと。

物乞いをするのに抵抗があるみたいなものなのだろうか。

「悪童日記」を読んでいらい、物乞いすることに少し興味がある。

昔桜木町で仕事をしていたとき、

仙人みたいなホームレスの人が道端に座っていて、

いつも話しかけていた。

いつの間にかいなくなってしまったけど

いつもお地蔵さんのようににこにこしていた。

私が仕事の人間関係でつらいことがあった日も、

おじさんは物理的につらいであろう状況でそこに座っていた。

雪の日とか…

どっちがつらいのだろう。

私はお菓子をあげたりするだけだったから、

きっとフェアではなかったなと映画を見ておもった。

今思い出したけど、おじさんに話しかけた

きっかけになったのがやはり「Rain」という

ヴィム・ヴェンダースの映画だった。

ハリウッド以外の映画が私に与える影響が大きい。

 

ノーマネー生活を送るにあたってハイデマリーさん自身も

精神的な修養を行ったそうだ。

元教師で、セラピスト。パソコンも家ももっていない。

 

20日午前中はアースデイ茅ヶ崎だった。

集まった人は少なかったけど、

オープンマインドな人たちの集まりで心地よかった。

一人で心細そうな人がいたら

「こちらに座ってお茶でもどうですか」

と話しかける。そういうのっていい。

初めのセレモニーは参加できた。

輪になって一人一人感謝と祈りの言葉を述べていた。

こういうときに、スッと言葉がでてくる人ってすごいと思う。

練習してるのだろうか?

午後はリベンデルで行われたエネルギーカフェに行った。

自分が住んでる町でこういうこと話し合えるのっていいな。

まるでEDEみたいだなと思った。

環境面にフォーカスしている人たちが多かったけど、

 

大震災後の計画停電を経験した神奈川県の人たちの意識。

いろんなものを犠牲にして自分たちの都市生活がなりたっていることを

知ってしまった。

そういう共通認識があるように思う。

そういう意味では、最近知り合う湘南地域の人に心を開ける部分が大きいのが

私にとって印象的だ。初対面でも割りと平気。

同じところに住んでいても、放射能のこととか

「話しづらいもしくは話しても通じない空気や感覚」

というのがあるのも確かだ。

 

日高さんの話で面白かったのは四神相応ということば。

南に池や海があると、夏涼しく冬あたたかい。 朱雀

西に道があると、風通しがよい 白虎

北に山があると、冬に北風を防いでくれる 玄武

風は西からふくので生活排水やトイレに使う川は東側にあるとよい 青龍

 

鬼門は山でふさいでおこう。などなど。

微気候という言葉もまた聞いた。

銭湯の話もよいなとおもった。

シェアというキーワードが出てきた。

力を合わせればいろいろできそうな気がした。

 

 

 

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2013年

4月

03日

愛について考えさせられる映画

『ミリオンダラーホテル』がテレビでやっていた。うちはケーブルテレビで母が民放見ないでもっぱら海外の映画やドラマしか見ないから世の中から隔絶されているような気がする。

途中からだけど気になってみてたら監督がヴィム・ヴェンダースだった。
ヴェンダースさんの映画はいつも「愛って何?愛って何?愛ってなんなんだい???」
と痛烈に語りかけてくるから私は好きだ。
人類全体が幸福になるための愛と、個人の愛とかいろいろ。
人類全体に対する優しさも感じる。永遠に届かないものへの讃美も感じる。ひりひりして考えさせられる。
うちの母はあまり好きではないらしい。暗いからかな?
前に『ベルリン、天使の歌』を中国人の女の子と見たら見事に寝てた。
あれは、ドイツ語がすこしでもわかると面白いと思う。
特に人びとの悩みが聞き取れたりしたら。
社会から見捨てられたひとたちの心の中にある美しいもの。
土の中みたいな。
べてるの家にも通じるものがある。行ったことないけど。
Rainという映画もよかった。今日みたいな雨の日に見ると良いと思う。
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2013年

4月

01日

内なるトランジションのさわり


It's easy to take off your clothes and have sex; people do it all the time,
but opening up your soul to someone, letting them into your 
spirit, thoughts, fears,future,hopes,
and dreams... 
that's being naked.
自分の夢やビジョン、未来のことや希望、恐れていること、
希望や価値観をシェアするのって普段あまりしていない。
私がエコビレッジづくりやトランジションの活動に
興味があるのは、本当はそういったことを
シェアしたい欲求があるからなのだと思う。
なぜなら、地球の痛みを自分のこととして感じることが、
おかしいことではないと私は思いたい。
それはいいとか悪いとか、無責任だとか、偽善だとかではなくて、
誰もが多かれ少なかれ感じている部分とそうでない部分があるということ。
本当はひとりひとりちがうことをまだ十分に認識できていない。
価値観が違うことを恐れずに、ただ静かに聞きあうことを
求めている自分がいることに気が付いた。
内なるトランジションのワークの一つをイギリスから来た
デビーさんにしてもらった。
次の4つの段階で一つの輪になってる。

 

1.感謝とつながる

2.感情を大切にする。問題に対する気持ちを表現する

3.違う側面から物事を見る

 4. 大いなる転換に向けた自分の役割を意識する

 

1はひとり一言ずつ

2のワークは、ペアで、行う。

3はオープンな発言

4のワークは3~4人のグループで行った。

 

1 感謝とつながる

 「TTの活動に加わってよかったと思うことは?」

 それぞれ話す

 

 例:価値観が似ている人たちと一緒に未来をつくっていく

   地域で見ず知らずだった人たちと助け合える安心感

   一人じゃないって思えた。地域に生きていると実感した

 

2 感情を大切にする、問題意識に対する気持ちを表現する

   次の4つの質問をペアになってそれぞれ数分ずつ聞きあう

 

 一つ目

 あなたが特に感じている地球における問題はなんですか?

 

 二つ目

 その問題に対してあなたはどんな感情を持っていますか?

 

 三つ目

 その感情を普段どのようにして管理していますか?

 

 四つ目

 ペアで先ほどの3つの項目を話すことで何を感じましたか?

 

3.違う側面から物事を見る

 3つのシナリオを考えてみる

 一つ目 問題を無視する。ないと見なす。現状維持。

 二つ目 世の中は問題だらけ。事態は絶望的。

 三つ目 問題はあるけれど、事態は変わってきている

 

 実際に3つのシナリオに当てはめた例を全員で挙げてみる

 一つ目の例:プラスチック製品を毎日使う。コンビニを使う。

       肉を食べる。車を使う。飛行機を使う。

       フェアトレードでない商品を買う。

 

 二つ目の例:原発の再稼働、選挙で自民党が圧勝したこと

       投票率の低さ、TPPが通ってしまいそう

       放射能汚染…etc

 

 三つ目の例:TTの集まりに大勢の人たちが参加していること

       3.11後に大勢のひとが気づいたこと

       若い人の価値観が変わってきていること

 

一つ目のシナリオを選ぶのは、問題を見たくないから

なぜなら問題を見るのは、痛みを伴うから

このワークでは痛みを大切にする。

私たちが感じる痛みは、地球の痛みである。何故なら私たちは

地球の一部だから。

 

3つのシナリオは私たちの中に常に混在している。今は1と2のシナリオの

中にいても自分の役割がある。

 

4.大きな転換に対する自分の役割は何?

 グループで

 ・もし失敗しないとわかっていたら、あなたは何をしますか?

 ・明日からそれをスタートするとしたら、最初のステップは?

 

 全員で、一言ずつ

 ・このワークからあなたはどんな気づきを得ましたか?

 

 

 

 

 

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2013年

2月

12日

大麻と価値観の違和感について


私が麻薬を吸う現場に初めて遭遇したのは、
ドイツのグリーンピースjugend
の合宿でだった。
今から思えばあれは友好の証だったのだ。
私がもっとドイツ語をうまく話せていたら
友好の証をもっと表すことができたんだけどな。
グリーンピースJugendの
合宿で私は浮いていた。
日本人だし、なんせ日本人は鯨を食べるし、
それでも敵視されてるわけじゃなくてなんとなくみんなも恥ずかしがって話しかけてこない感じ。
ドイツ人はシャイでマジメでやさしい。
その中でドレスデンから来たゲイで日本のピチカート5が大好きな男の子と女の子のペアに話しかけてもらって、
生まれて初めて同志が
できたような気がした。
私はどうしてわざわざ
ドイツまで来たのかな。
この感じを味わうために来たのかな。
私は日本でひとりぼっちだと
思っていたのかな?
青春を楽しむには最適の高校だったのに。
父がいなくなった悲しみを共有できないのが多分嫌だったのだろう。
骨折や、病気ならみんな病院に
お見舞いに行くのに、
どうして精神病にはお見舞いがないんだろう。
どうして死んだことを学校や世間に内緒にしないといけないんだろう?
いじめられるから?
そんな社会は嫌だ。
心の病にかかったひとを
「いないこと」にしないでほしい。
確かにいたのに。
世界に参加していたのに。
病気になる前とは「少し」
違っているけどそれでも確かに
彼はそこにいたのだ。
どうしてみんなそんなに
楽しそうに笑えるの?
どうして東京電力のCMばかりが流れているテレビで
必死に流行を追いかけているの?
日本はどうして自然エネルギーを
伸ばそうとしないの?
ドイツとは何が違うの?
どうして悲しみを共有できずに、
損得ばかりを考えて、勉強しないといけないんだろう。
何かそのような感じだった
気がする。
ドレスデンから来た2人組に
誘われて、公園に行って、
ガラスの不思議な容器が出てきた。
しばらくするうちにそれは
麻薬の類のものだとわかってきて、
「交換留学生の規約で吸ったら日本に強制帰国になってしまうから」
と言って断った。そしたら公園で遊んでいた小学生位の子達が、
「あ!こいつら薬やってる!いけないんだ!いけないんだ!」
と騒ぎ始めて、あわてて合宿のホステルに戻ったら、
子どもたちが追いかけてきて、
「この中に薬をやってるやつがいたんだ」と告発しに来た。
私の方を見て
「お前は断っていた!えらい」
とか言っていた。
スタッフのひとに一体誰に
勧められたのか聞かれたけど、
友情にかけて誰かは言えなかった。
二回目に麻薬に関することに遭遇したのは
大学の先輩が卒業後、
佐渡で大麻を栽培して捕まったという話を聞いたときだった。
その先輩はニュージーランドに行った後に裸足に目覚め、
以後いついかなる時も裸足の生活を営む猛者で、菜食主義で、
大学の敷地を無断で耕して畑をつくっていた。
そのひとに会ったときに
自分はこういうおもしろいけど既存の社会の仕組みとはあいいれないひと達の魅力を伝えるひとになるのだろうなと思った。
何故なら私がそういうひと達に
魅力を感じるから。
そういう人達が生きやすい社会を
つくるために私はいるんだろうなとなんとなく感じた。
先輩は人殺しや盗みをした訳じゃないのに、捕まったことに違和感を覚えた。
本当に悪いことなのかな?
大麻を栽培するのは本当に悪いことなのかな?
そして今私のまわりには、
大麻を栽培したり、使用することは悪くない、と考える人が多い。
先輩は悪くないんだな、
と思って安心した。
少なくともそう思うひとが
存在することに安心した。
既存の社会の価値観に
侵されている部分、
違和感を感じる部分のアンテナを
より研ぎ澄ましていきたい。
そして自分が心地よいと感じる
活動を増やしていきたい。
「生きている」ことを感じられるような。
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2013年

2月

03日

ロケットストーブワークショップ開催しました

今日はキタハラハウスでロケットストーブワークショップを

開催しました!

 

もともとTT茅ヶ崎で参加する3/2の

茅ヶ崎市民活動サポートセンターの

さぽせんまつりで、

ロケットストーブを使いたいね!という

声から始まったこのワークショップ。

 

すずけんさんに講師に来てもらいました。

全部で5組の方に参加してもらったのですが、

ディスクサンダーや電動ドリルなど、

使い慣れない道具に悪戦苦闘しつつも、

5台完成して並んだ時には壮観でした。

 

できたロケットストーブを使って、

地元の茅ヶ崎野菜を調理しました!

調理スタッフ経験のあるブッチさんが、

野菜グリルとベジカレーをつくってくださいました!

薪と竹の火でつくるとおいしいなあ~( ゚v^ ) 

 

すずけんさん、ブッチさん、参加してくれたみなさんどうも

ありがとうございました☆⌒(*^-゜)v

 

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2012年

12月

30日

退化している人類?

職場で大掃除をして、友達のうちを掃除をしてわかったこと。掃除は台所の水まわりから始めると気分が上がる。
大学の教職課程の発達障害に関する授業で、自分、ADDだなーと自覚した。おもしろいのは、ADHDやADDの人の感覚は猫に似ていて、時間感覚が昨日と今日と明日しかない。だからスケジュール組んだり段取りが苦手。優先順位つけるのも苦手。掃除が苦手。優柔不断。メモリが飛ぶ。その癖いきなり突飛な行動にでる。頭の中にハエが飛んでる。目の前のことに猪突猛進しがち。昨日と今日と明日が同じでもいいようなシンプルな生活をすることが解決策か。
そして、ものに「生命がある」というアニミズム思考であること。ADDの人の「それまだ使えるから」は「そいつはまだ生きている!殺さないで!」っていう感じだ。
前頭葉が発達していないと言われている。昔の原始時代の人の頭に戻っているのかな?ある意味おもしろい。
農薬や汚染物質のせいで発達障害の人は増えているというけど。
自分の興味あることしかできない風になればいいのだけど。

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2012年

12月

14日

知らないこと

何か間違ったり、誰かを傷つけてしまったときは、気づいた時点ですぐに謝ったり、なんらかの挽回する行動を起こすと90%位はなんとかなる気がする。
もらった綿のタネは実は和棉だということを今さらながら実感した。
和棉はなんかこうぼすぼすっとしてて、詰まってる感じ。クリスマスリースに飾ってあるようにフワっとした素敵な感じではない。
綿や花が下向きにできる。他の種は上向きにできるそうだ。
そんでもって和棉は霜に強いとのこと。
昔からある種が、その土地の気候を教えてくれる。
こないだ見た映画で、
モンサント社の遺伝子組換えされた綿を買わされて、借金を背負って自殺したインドの農家のひとは25歳だった。おそらく私より若い。
ある種の害虫や微生物を農薬で殺してしまうと、土壌の環境は均一になる。組成が均一になった土壌は病気に弱くなる。
エアコンで部屋の湿度と温度を一定に保つと特定の種類の菌だけが増えて、体はその菌だけに耐性ができるけど、いざ他の菌が入ってきたときの抵抗力が落ちてしまう。
多様性を無くすことが、生物全体の生き残る可能性を狭めてしまう。変化に対応できない。
便利にしようと思ったのに、全体のしくみがわかってなくて部分だけ変えていると、思わぬ弊害が生じる。
サプリで一種類の取り出した栄養だけをとることとか。
僕たちはあとどれくらい自然の仕組みについて学ぶことができるんだろう。
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2012年

11月

19日

発達しつづけるいのち

子どもがピタゴラ装置が好きな理由

スイッチが入ると重力にしたがって、
僕たちは発達し始める。
設計図にしたがって
ドミノ倒しみたいに
お腹の中で
進化の過程を辿る
心臓 目 耳 手 足
つくられていくのが
本当は嬉しかったはずだ
生まれてくることが
うれしかったはずだ
新しい経路を開発して
たんぱく質を修飾できることが
つくってもらった最新のカラダを使うのが
世界を味わえることが
うれしかったはずだ
それらのすべての設計図を読みとかない限り
遺伝子操作は小手先ではできない
僕たちの科学は全然発達していない
何かに役立てようとしている限り
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2012年

10月

26日

食べられること

大橋トリオの「顔」という曲を聞いたら、
ミトコンドリアが真核生物に食べられるときはこんなんだったのかなとおもった。
食べられてひとつの生命体になるってすごいな。どーいうことだ。
食べられた方がさみしくないのかもしれない。

僕たちのからだの中には太古の生命体が宿っている。

いのちの始めがひとつなら、
どんなに増えたり合体しても、
地球にいのちはひとりぼっちで
これは相当さみしい。
恐怖に近い。

 

10月の秋から冬の土用はいつも、

孤独がテーマだ。

ひとりであることと向き合わざるを得ない。

だから先住民族の人が

地球をひとりの女のひとにたとえているのを

聞くとなんだか安心する。

早く宇宙人に会えるといいなあ。

 

たぶんこれは妄想なんだが。

人類がお互いに殺し合う戦争をやめたときに

やっと宇宙人は姿を現してくれる気がする。

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2012年

9月

18日

乳幼児の発達の観察

 

不思議なことに、1歳6ヶ月の甥っ子は

よく笑うとともによく泣く。

理由もなくよく笑うと思ったら

同じ位の確率でよく泣く。

 

最近はちゃぶ台にのって自分の背の届かない

未知のゾーンへ乗り出し、

ボールペンやはさみなどアブナイものを

手にしては、それを取り上げられるとギャン泣きする。

「ぼくがせっかく苦労して手に入れた研究成果なのに!」

といわんばかり。

探究心が旺盛である。

 

冒険が好きになってきた。

それまではママのおっぱいがなければ不安で

仕方がない感じだったけど、

自分からベビーカーに乗り込んで、

笑顔で「出発の準備ができている」アピールをする。

冒険のためならば、ある程度母親と離れても大丈夫なようだ。

バージョンアップした感じである。

今日は裏の倉庫から出てきたニューアイテムである

こども用の砂遊びセットと水筒とおやつを持って

公園に行った。

自分の身体の半分くらいは段差のある階段を登って

滑り台を降りる。相当なレベルだ。

砂場では、はじめてシャベルを使って砂を運ぶ。

砂を運ぶという行為にはいろんなことが含まれていて、

たとえばてこの原理とか、くぼんだ面を上にしないと

多く砂をすくえないとか、水平に保たないと砂がこぼれるとか、

とにかく「自分の行為によって周囲の環境を変える」

ということがリアルに感じられるように思う。

そして砂を自分の身体にこすりつけ、砂のつぶつぶ感を

体得する。

セシウムが含まれている砂では、そういうことが出来ないのは

困った。茅ヶ崎の砂にも若干含まれているだろう。

しかしそんなことは気にもせずにこすりつける。

 

どうしよう。自発的な探究心を飽くなく発揮させることは、

知性の発達にもっとも有効である反面、

放射性物質が入った砂を身体に塗りたくるのは

知能の発達を妨げる恐れがおおいにある。

 

甥っ子の場合母乳で育って超巨大化してるし、

生命力が有り余っているが、

やはり砂場の計測はした方がいいな。

後から責められても困るし。

 

ともかく甥っ子は今日人生で初めての

砂場でシャベルで砂をバケツに入れるという行為をし、

頼んだものを持ってくるということを覚えた。

彼は日々成長している。

 

 

 

 

 

 

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2012年

7月

16日

一生興味があること

保育士試験はもうすぐで、あと一科目受かれば保育士になれる。

 

子どもの頃の夢は漫画家か、保育園の先生だった。

ずいぶん遠回りしたものだ。

 

 私は放射線による内部被曝の人体に及ぼす影響に興味がある。

誰かを責めたい訳じゃなくて、

知りたいのだ。

 

私の父はその昔、京都の大学で

原子力について研究していたらしい。でも途中でやめて、

しばらくごみ拾いとかそういうことをした後、高校の数学教師になった。

その後、激しい双極性障害になり、入院し、原因不明の心臓発作で亡くなった。

 

その間にも子どもはすくすく育ち、大人になった。

 

私はあまりテレビを見なくなった。見るとなんだか悲しい気持ちになったから。

 

父が大学で研究していた頃、放射線が漏れていたこともあったらしい。

 

私の大学の友人に、原発関連の企業で働いている人がいる。

 

大学で勉強して、普通に働いて、結婚して、幸せになりたくて生まれてきた彼らの心境は、震災の後今では複雑なことになっている。

 

24時間稼働している工場で働いている友達もいる。停電になったら、ほんとに困るだろう。

 

一方で私が最近知り合った友達は、原発を使うことから降りていきたいひとが多い。

 

私はこれから、初めて福島の人たちに出会う。

 

私は父がどうして原子力に関する研究をやめたのか知りたくて、

大学ですこしばかり勉強したけど、頭が悪いので、大学で量子力学に関する講義を聞いてもちんぷんかんぷんだった。

もともとアタマが理系ではないのだ。

 

双極性障害は、ミトコンドリアがおかしくなって起こるという説がある。精神障害と、内部被曝の関連性に私は一生興味を持ちつづけると思う。

 

原子力発電を推進してきたひとも、

きっと誰かのお父さんで、

ツバメの親のように何回も何回も

子どもを育てるために餌を運んだのだろう。

「飯を食うために」

すごくよく聞くフレーズ。

 

ウランを運んでくる途中でもたくさんのひとが被曝している。

 

誰かのいのちを食べてすくすく育った私はどういう風に生きたらいいのだろう。

 

大飯原発の再稼働反対に駆けつけた人たちの映像をUSTで見て思った。知ってるひとがたくさんいた。真剣に、反対してる。

ほんとに真剣に。

 

私にできることは、対話をし続けることだと思った。

 

一緒に生きるためにどうしたらいいのか考えたい。

 

滑稽だけど、地球一個ぶんの暮らしを這いずり回って探していきたい。愚か者や偽善者と笑われてもいいし、もはやキチガイと思われてもいい。

日々の暮らしをひたすら丁寧にしていきたい。

なるだけ楽しい方法で。

 

先住民族のひとたちの暮らし方や考え方に、そのヒントがあるように感じる。

 

すべてのお父さんに幸せになってほしい。

時間泥棒にさせられている人にも、幸せになってほしい。

これは私のワガママだ。

 

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2012年

7月

13日

故郷の成分

 

故郷の成分について

私は茅ヶ崎に生まれたけど、

母は熊本で生まれて、山口、京都、大学は東京にきて

父は長野で生まれて、島根、北海道と転々として、大学は京都にいって、

まあなんだかんだであったわけなんだが、

 

父方の祖父母の故郷の伊那というのはなんだか私にとって

特別な場所だ。あんまり行ったこともないのに、

なぜだか懐かしい。

それはやっぱり祖父母がいたからだと思う。

彼らが私にとっての故郷なのだ。

だから彼らが生まれた土地がなぜだかとても懐かしい。

っていうか長野県民に悪い人いないんじゃないかと思う。

Zehensucht ist mehr als ein Gefuel.

 

私にとって故郷の成分は90%人と触れ合った記憶だった。

ドイツも私にとって懐かしいところ。あたたかい人たち。

私が生きている間にあとどれくらい懐かしいひとたちと

出会えるのかな。

 

 

 

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2012年

7月

02日

考える

たとえば、社会的に解決したい問題があって、その問題にどこまで取り組むかはその人次第だ。その問題への切実度は人によって違う。ただ、自分にとって大事な人がその問題にとりくんでいるなら、応援したいとおもうときもある。大飯原発の再稼働反対の抗議をしているひとたちの映像を見て、知っているひとたちが必至に訴えているのを見て、すごく苦しくなった。

 

そして、早く地球一個分の暮らしを私がしなければと思った。

毎日の仕事やなんやかやがあるけど。

 

家庭の分野以外の、工場や運輸部門の節電の仕方を

私はしらない。

でも地球一個分の暮らしを早くしなくちゃと思った。

 

7月1日にはその前の前の誕生日のプレゼントを思いがけずもらった。

私の人生が何で構築されているかといえば、

であった人と、いくつかかいた絵くらいだ。

だからそこに電気を使っているかどうかはあまり問題じゃない。

もちろん、飛行機にのって遠くに行かないと出会えなかった人たちも

たくさんいた。

何か、圧倒的にものがない状況に自分を慣れさせる必要があると思った。

 

私にとって本当に切実なものってなんだろう。

実はそんなにいくつもない。

家族がいて、猫がいて、家があって、幸せ。

ネパールにはいつか行きたいけど、いけなくても別に構わない。

オーロラもいつか生で見たいけど、別に見れなくても構わない。

リンパが腫れている。少しずつ被爆しながら、僕は死ぬのかもしれない。

死ぬまでに、いくつかの絵を描きたい。

本当に切実なのは、あなたにあえてうれしい、その気持ちくらいだ。

 

でも私にとってじゃなくて、これから生まれてくるこどもたちは、

どうしたらいんだろう。見当がつかない。

大人でさえわからないもんだい。

地球一個分の暮らしを私ができれば、

何かヒントになるかもしれない。

 

 

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2012年

6月

24日

ホピの予言をみて

ホピの予言、ずっと見たいと思ってた。

 

アサバで見れたのも何かご縁があったのだろう。

 

保養キャンプのチラシをたくさんもらってもらった。

 

頭ではぼんやり知っていたけど、

アメリカの原子力発電所や、イラク戦争あとのイラクと

同じようにウランを掘り出す過程でも被爆している人達が

映像でくっきりと映し出されていた。

映画ができたのが1986年、私が生まれてからずっと

ウランは掘り出され続けている。

「全人類にとって母なる地球の聖地であるこのホピやディネの土地を

 破壊し、彼らを被爆させながら、それを平和利用という名で消費

 し続けている日本とアメリカの姿、いや人間の持つ貪欲というものの姿

 わたしはそこに見たような気がした。わたしはトーマスがこの土地

 で起こっていることを見なければいけないと言った意味がやっと

 分かってきた。それはまさしく、近代文明を押し進める人間の心の

 あり方を鏡のように写し出している土地だった。

 わたしたちは何も悪いことはしていない、決して誰も他人を傷つけたりは

 していない、と誰もがそう思っている。しかし、わたしたちが多くの

 金や物、それによって得られる豊かさを維持し続けようとすればするほど、

 それはまさしくこのインディアンたちを絶滅させることに加担するという

 ことになっていってしまうこの現代社会というものの構造に、

 わたしたちは互いに気づかなければならない。

 それらは直接に多国籍企業やその他の経済機構とつながり、

 彼らが利益を得るためにわたしたちの心や身体や、

 いのちはコントロールされているのだ。それに気づかないほど、

 わたしたちの心は汚染されてしまっているのだろうか。

 フォー・コ−ナーズの破壊されていく姿を追いながら、

 私は何度も絶望的な気持ちになっていった。」

 宮田 雪さん 未来へつづく道 より

 

彼等はトウモロコシの種を植えるための棒が一本あればいいと

いうくらいの質素な生活をしていた。

福島で自然農をしていた人達と一緒だ。

自然によりそって暮らしたいだけなのに。

いつの間にか「お金がない、貧しい人」と見なされて、

いつしか「お金を稼がないといけない」と思わされる。

 

6.29の首相官邸に行くデモの準備で書いたイラストには、

38億年の生命の歴史を絵で書きたいと思ったけど、

地球カレンダーを参考にすると

多すぎて無理だったので、知っている動物だけにした。

 

地球ができてから今までのことを1年のスケールにまとめた

地球カレンダーによると地球ができてから人類が

誕生するのが12月31日の23:37だそうだ。

そして1月1日には滅ぶだろうと予測されている。

 

大学のときに古生物に興味があった友だちはこう言った。

「いままで何種類の生物が繁栄して滅んでいるのだから、

   やがて人類も滅びる。環境問題でよく地球を救うっていうけど、

 地球は滅びないし、地球の表層で人類が滅ぶだけ。

 だから私は今日を楽しく生きる。

   何世代も先のことなんて考えられない。」

 

それに対して、私はなんとなく違和感を感じつつも、

やがて遠い未来、10億年後に自分が生きてもいないのに

生命が消えてしまうことがとても怖いと思った。

 

どうして、私達は生きているのか?

やがて滅びる運命なのに。ときどきそれがすごく怖く感じる。

真っ暗な宇宙の中、いくら繁殖して増えても、

地球でいのちはひとりぼっちのように感じる。

 

ホピの予言をもらった人達も、あんな怖いことが起きる起きると

知らされたら、初めはパニックになってしまうのではないだろうか。

それでも、淡々と毎日を自然と伝統文化の中で、

世界の平和を祈りながら暮らしている。

 

先住民族の人の暮らし方に、

私の中の恐怖を和らげるヒントがあるように感じた。

手をつないで、円をつくって、人とのつながりを感じること、

自分がいまここにあること、

食べ物や水や自然があることに感謝の祈りを捧げること。

地球を人格を持った一人の女性と見なし、敬うこと。

 

精神的な安らぎが、平和に生きるためにすごく必要なんだなと感じた。

そしてホピの平和宣言これは本当に読むと泣けてくる。

 

 

 

いかに地球に生きるべきかという知識を絶やさないでいる人達。

 

チベットの人達と交流があるというのも初めて知った。

 

ネパールはいつか行ってみたいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

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2012年

6月

18日

梅とドクダミと糸紡ぎ

今年初めて梅シロップなるものをつくってみた

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2012年

6月

18日

気圧の変化と弱肉強食

今日は原因不明の頭痛に悩まされ一日ダウンしていた。

とおもったら台風接近中。

気圧が変化しているみたいだ。夜に復活。動き始める。

 

気圧の変化に伴い頭痛がする。

これは運動して重力や圧力に耐える身体をつくらないといけない。

 

うちはなんとなく雀のひなの乳母捨て山ならぬ子捨て山に

なっているようで、

何年か前に階段のところでぴーぴー音がしていたので

とうとう兄が階段に穴を開けてみてみた所、

死にかけの雀のひなが出てきたそうだ。

 

猫も鯨も雀もそうだけど、動物は生まれてきたときに

弱い、これから生きられそうもない子どもは選別して

捨ててしまう。人間だけは違うね。

うちの猫のミモリも捨てられた当初は目が見えなくて、

雨の中鳴いていたそうだ。

 

今や、目も見えるようになり、

屋根裏でピーピー鳴いているヒナを食べてしまう位の猛者である。

今日うちの母が屋根裏からヒナをくわえて出てきたミモリを見て大騒ぎ。

かわいい顔してあの子わりとやるもんである。

 

ずっと、親のことを呼びながら死んでいくのと、

ミモリに食べられるのはどっちが幸せなんだろう。

わからないけど。ミモリはあのヒナと一緒だった。

 

私は誰かに食べられることがないからその恐怖はわからない。

でもひとりで死んでいくのとどっちが怖いんだろう。

いずれにしても死ぬときはひとりなんだろうけど。

食べられた方がさみしくないのかもしれない。

「風の谷のナウシカ」に出てくる粘菌を思い出した。

 

しかし、生物濃縮というのは恐ろしいもので、

セシウム137の濃度は木などで濃くなる一方とのこと。

これはこれでまた考えないといけないね。

 

 

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2012年

6月

03日

壁塗り

この2日間で11人の人に来てもらった。

準備の段取りとか時間設定で

反省することもたくさんあるけどやってよかった。

 

価値を提供すること。もてなすこと。

壁をぬってみたい人もいるし、人と出会いたい人もいるし…

 

ひとりひとり塗り方に性格がでていておもしろかった。

水と珪藻土を混ぜる比を手応えで覚えた。

 

壁をぬるときは手とモノが対話する。粘り気の感覚。

平にする微妙な力の入れ加減。職人気質の人は、

対話をするのに必死なので、人と話さない。

私もそうなので、3時間位黙って作業に没頭できるけど、

今日はホストなのでなるだけ来たひとに楽しんで

もらえるように話しをするようにした。

 

珪藻のミトコンドリアの形状は人と違って糸状だそうです。

 

最近の感じていることをうまいこと具体的に言い当ててくれた文

技法以前より

『科学的な成果を享受した現代人は、その裏側で人間としてもっとも

 大切な「生命感覚」と「人とのつながり」の両者を見失ってきたのである。

 統合失調症などの精神障害をめぐるテーマの核心も、生命感覚すなわち

 「人(自分)は死ぬ」という当たり前の現実感と、

 「人は一人では生きられない」というわきまえをいかに取り戻すかにある

 と私は考えている.

 中村は、「近代科学が無視し、軽視し、果ては見えなくしてしまった

 〈現実〉」を捉えなおすために必要な原理として、「個別性」

 「多義性」「身体性をそなえた行為」の三つをあげている。

  科学はすべてに共通した要素を抽出し、それを客観と称するのに対して、

 「個別性」とは人間一人ひとりはユニークで独自な存在であると知ること

  である。「多義性」とは、答えは一つではなく、一つの出来事が見方に

  よってさまざまな意味をもつという可能性を受け入れることである。

 「身体性をそなえた行為」というのは、何事も身体で感じる経験というプロ セスを経ることの重要性である。

  私はそれらの要素が江戸文化の中に脈々と息づいているように思う。

 科学文明が世界を浸食するなかで、日本という島国に「個別性」「多義性」

 「身体性をそなえた行為」を重んじる”濃い”文化が、花開いていたのである。』

 

 

 

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2012年

5月

31日

相手の立場を理解するのに

相手の立場を理解するということ

 

私は原発を推進する人がどんな物語を持って

生きてきたのかを知らない。

だから知りたくもある。

 

友達が海外の生活で日本にあこがれていたことは知ってる。

幸せの形は定義できない。

 

それでも会って、友達だったときもあって、

価値観が違うところもあった。

そこには触れないで、付き合ってた。

友達って一体なんだろう。

おじいちゃんは「友達は大事にしなさい」って言ってた。

その子が幸せになるように。

 

自分の物語を語ることならできる。私なりの方法で。

私は漫画という手法が好き。その人の世界に入り込むことができる。

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2012年

5月

27日

魔女先生

小学4年生の時月の満ち欠けについて

教えてくれた恩師を勝手に「魔女先生」と読んでいる。心の中で。

 

父と同じ病気に数年前かかったけど、

持ち直している。良かった。

本当に、坂口恭平さんが総理大臣になればいいと思う。心の底から。

 

魔女先生はすごく植物に詳しい。

今日は久しぶりに会いに行って連絡先を再度教えてもらった。

バラをもらったので、帰りにラマコーヒーに届けた。

 

ecomoから辻堂の方に帰る途中にレンゲの群生地が

あった。レンゲにはてんとう虫の赤ちゃんがたくさんいた。

彼等は相性が良いようだ。今日の発見。

 

松浪のキンカンをすこしとった。家の工事の様子を

写真にとった。これぞTHE・折衷な感じ。大丈夫かな…

今日はとくになんでもない日。

洗濯物と掃除をする日。

こういう日がないとやっぱり次の一週間が

カオスと化すから大事だ。

 

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2012年

5月

26日

空の色と草の色

日本の空は外国と比べて少し紫がかっている。

藤色というか。

私はこの色が好き。

 

火山地帯で土壌が酸性気味なのと関係あるのだろうか。

おおいぬのふぐりとかわすれな草とかそういう小さな花の色。

 

外国はもっとターコイズっぽい色をしている。

 

草の色、アルミニウムをうまく運べないと葉っぱが茶色くなる。

 

ドイツで見た植物は結構沢山茶枯れしていた。

ホストファミリーでは浄水器を使っていた。

ホストマザーは脳腫瘍になった。

2003年の時点ではあちらの方が汚染度合いが激しかったのだろう。 

 

だいたい西欧の人の食生活はすごい。

甘ければよい。肉がよい。

あれでは放射能うんぬんを抜きにして病気になるだろう。

でも家族との時間をとても大切にしていた。

時間がゆっくり流れていた。

そういうのってすごくいい。

 

今身の廻りの植物も茶枯れしているのを見かける。

アジサイは不思議。葉がいきいきしている。

 

小さな毒を取り入れたとき、金属を包み込む酵素を

開発して、生き延びてきた種がいる。

ホメオパシーはそういう酵素の進化を促す力を信じて

いるように思う。体の持つ酵素を開発・設計する力を信じている。

 

セイタカアワダチソウが湿疹に効くというのは驚いた。

雑草という言葉。草の名前をよく知らない。

カタバミはよく見ると宇宙みたいな色をしている。

 

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2012年

5月

24日

茜染め

茜を漉す。3回位使えるそうです。

 

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2012年

5月

21日

13回忌

母が、13回忌は節目だから、した方がよいと父の

友人の先生に言われたそうだ。

 

回忌の忌の字はどうして忌まわしいという字を使うのだろう。

 

思い出したくないからか。

受け止めなければいけないのに。

12年もたてばさすがに記憶も薄れるだろう。

 

己の心を見つめなおすという意味もあるのだろうか。

どうしてそれを避けるのかな。

 

怖いもの、美しいもの、汚いもの、畏れるもの、尊いもの、

おなじところから生まれる。

 

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2012年

5月

15日

体の不調の観察

ここ一年最近よく眠るようになった。

やけに眠い。ひたすら眠い。

 

これが、被爆に対するからだの反応なのだろうか。

細胞を修復してるのかな。

 

お腹がいっぱいになると眠気が異常につよいので、

一回の食事の量を少なめにしている。

 

肌の

酸素を吸ったり吐いたりする力も少し弱くなっているみたいだ。

 

マクロビを怠ると生理のときの仕返しがすごい。

うかつにコーヒーとか飲んでしまうとやばい。

体からの逆襲。頭痛がすごい。

西遊記の猿の緊箍児みたい。

 

少し運動して、体の空気と血の通りをよくする必要がある。

 

手が、ぽろぽろ乾燥して剥がれたり裂けていくような症状も、

卵アレルギーとしって卵を避けてからだいぶおちついた。

しかし、野菜を食べなかったり、油断するとまた出てくる。

からだは敏感だ。

 

男の人で肉や炭水化物、油、コーラ中心の食生活を

続けていても大丈夫な人がいる。

よっぽど体が丈夫なのだろう。

体のつくりが違うみたい。

多分それらのものを分解する酵素を

沢山持っているのだろう。

私は今までの人生で何か別のことに酵素のストックを使ってしまって

いて、弾切れの状態の時に不調が生じる、そんな感じ。

 

ミモリの涙がとまらない状態で心配。目薬はもらった。

ここのところ外出ばかりしていたから

ちゃんとミモリと一緒にいる時間をとりたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2012年

5月

15日

日々の記録

 

児童相談所の21年度の調査によると

虐待者の割合は

実母58.9% 実父30.3% 義父7.5% 義母1.3% とのこと

 

お母さんからの影響が一番つよいということ。

勉強会では先生は

「暴力の根底には虐待がある」と話していた。

お母さんからの虐待があるということは、

そのお母さんがそのまた親から虐待を受けていたということだ。

 

手仕事について(感想および考え)

最近手仕事にはまっている。

足踏みミシンの使い方をおばあちゃんから教えてもらった。

松浪にあった古い足踏みミシンは古道具屋にもらってもらったけど、

母方の祖母のミシンは使い方を知って使っていきたい。

電気を使う一歩手前の器械は美しい。自転車とか。

手仕事は、絵をかくことに似てる。

人は何かをつくっているとき、

自分が愛されているかどうかとか考えなくて済む。

静かなきもちになれる。

だから、心になにがしかを抱えている人に

手仕事は良い気がする。

絵を描くときは、自分の頭の中の「こうしたい!」というイメージと、

手が対話をしている。鉛筆の芯のなくなる感触、紙の感触を

味わっている。

一針一針縫うのも同じ感覚のように思う。

 

すべてのひとに芸術が必要だというのはそういうことだ。

自分や世界を愛するために必要な行為だ。

憎しみの連鎖を断ち切って世界に参加するということ。

芸術は芸術家だけのものであってはいけない。

 

電子楽器ウダーについて

ウダーを聞きに行った。不思議な楽器。巻き付けられたロープを

押して音を出す。

ピアノとかの楽器は「ミ」の音が少し高いそうだ。

ウダーでは、ロープを抑える位置を変えれば音の高い低いを

調整できるので、「本当に調和する」Cコードを聞くことが

できるそうだ。実際聞いてみたらフワーッとなる感覚になった。

 

都会の人酔いについて

横浜の赤レンガ倉庫までウダーを聞きに行ったけど人が多すぎた。

亀はかわいかった。

人が多すぎると不快に感じる。そういう生態。

東京とかに勤めるのは無理だと思う。元気がどんどんなくなる。

人によって、丁度良い人口密度が存在するのだろう。

もう少し、田舎に移動した方がよいのかな。

服をつくっていた人は、

「この辺(湘南近辺)の人は、歩く早さがゆっくりですね」

と言っていた。

 

日焼けどめについて

日が照ってきたので、アベンヌの日焼けどめを塗ったら、

頭痛と目の充血がすごくなった。

10代の頃はこんなことはなかったけど。

化粧もしかり。酸化チタンや酸化亜鉛等、

肌に悪くないとされるミネラルだけが入っているものでも

同じ症状になる。ようするに肌の「穴を埋める」という行為が

酸素の通りを悪くするということで、

体の中の酸素を通す力が弱まっているということかな。

 

 

 

 

 

 

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2012年

5月

12日

茅ヶ崎の

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2012年

5月

07日

逗子の風景

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2012年

5月

07日

トランス??

口琴のすごい演奏を聞いたとき、

すごいリズム感で、口だけでユーロビートみたいな感じに

聞こえたのを覚えている。

 

トランスっていうのは、

今ここにいるのに、宇宙空間に投げ出されたような

感覚になるような音楽のことを指すのだろうと

勝手に解釈しているけど、

 

アイヌやネイティブの人達のウコーク(輪唱)も

同じような感覚を受ける。

 

ときどき駅から自転車で帰る時に鼻歌を歌っていると

新しいメロディーが出てくるが、

昨日出てきた節は短くて素朴だったので、

輪唱できるか試した。

 

子どものあそびとしてもおもしろいと思う。

 

つきあかりのなか

こころあわせて

ほしのながれには

うたをあわせて

おおきくうかぶ

まるいおつきさま

こよいはわたしと

ともにうたおう

 

 

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2012年

5月

04日

朗読ワークショップ

今日はモバイルワークハウスづくりショップで一緒に作業したOさんと

一緒に完成間近のWakkaさんのモバイルハウスを見に行った。

 

しかし実際モバイルハウスを見たのは10分ほどで、

だいたいの時間をビーチマフィンというお店で

まったり過ごしてしまった。

でもこの空間がかわいくてかわいくて。

聞けばやっぱりアート系大工、インチャリさんが手がけたらしい。

すごいなあ。

 

私のよく行く近所のラマコーヒーというお店の内装も、

マスターとインチャリさんが協力して手がけたそうだ。

ぼろくてふるくてかわいい感じが好き!

 

その後、OさんがMAMEBOOKSという移動本屋さんが

主催する朗読ワークショップに参加したいという事で、

私も好きな本の朗読に参加してみた。

 

朗読っておもしろい。

小学生〜中学生の国語の授業以来だ。

小学生のときに、

「本を読んでいる間は、所詮、頭の中が他人の思想の運動場に

 なっているに過ぎない」

みたいな言葉を知って衝撃を受けたけど、

実際読むと、自分の中でリトマス試験紙みたいに、

「ビビッ」と来る言葉がある訳で…

反応しているから、本は自分の思想を探すための

手がかりみたいな意味もあるのかなと思う。

 

その部分を他の人に話す機会ってあまりないから、

選ぶときも楽しいし、話すのもドキドキするけど楽しいし、

他の人の話を聞くのも楽しい。

 

昔から、引っ込み思案だけど、台本とかがあると

割と声を出せるタイプなのでおもしろかった。

 

参加した人の中で、ミュージシャンの人で何か顔を見たこあるなあと思って

帰りにラマコーヒーのマスターに聞いてみたら、

その人が描いたらしきポストカードがそこで売っていた。

 

世の中せまいね。

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2012年

5月

02日

匂いの正体

 

 

匂いの記憶ってすごいと思う。

 

自分の中に故郷の匂いというのがあって、

それは主に祖父母の家の匂いなんだけど、

おじいちゃんがつけるポマードとか、

おかゆみたいなごはんの香りだとか、

いろんな香りが混ざった独特の匂いだ。

それは生活の中で出てくる香りだと思っていて、

祖父母が亡くなったら、てっきりその匂いはなくなってしまうものだと

思っていた。

でも5年経っても、なんとなくその香りは残っていたから不思議に

思っていた。

 

最近その家をリフォームするので、色々

ひっぺがした空間に忍び込んだら、

ほとんど木の空間だった。

その匂いの正体がわかった。

木と土の香りだ。

 

山に登ったら、山の上の山小屋や祠に入るとある匂い。

私はずっとその香りに懐かしさを覚えていたのだということがわかった。

基本、木と漆喰でできていた家だから、木の香りが常に漂っていた。

それにずっと守られて暮らしてきた。

 

祖父母は長野出身で、庭にはコブシの花が植えられている。

雪国で一番真っ先に春を告げてくれるのは、コブシやモクレンの花

だということが、去年春先に富山に行ってわかった。

 

そうやってひとつひとつ、大好きだった人達の

ルーツを知っていくのは楽しい。

 

 

 

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2012年

4月

30日

家の解体

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2012年

4月

29日

緑の政治フォーラムかながわ

29日は緑の政治フォーラムかながわのお手伝いをした。

Oさんがゲストスピーカーなのに

途中で抜け出していったのにはタイムキーパーとしては

胃が痛くなるような瞬間だったが、

Oさんの話す3分くらい前に戻ってきて、

どうやら資料をつくっていたようだ。

著作権フリーなので後であげようと思う。

 

結果的には36名の新しい人が集まってくれた。

もう少し広報をがんばればよかったが次がんばろう。

 

開港記念会館は初めて中に入った。

とてもきれいな空間だった。

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2012年

4月

28日

田んぼの準備

午前中は職場の研修で、午後から

自給道場に参加した。

湘南台からSFCまでバス、そっから歩き。

職場でとれた筍が余ったので持参した。

筍半端なく重かった。暑かった。もう筍渡せればいいや。

たどりつくまでがくじけそうになった。無茶だった。

3か月に一回くらいの割合でときどき無茶を犯すと思う。

 

ついたら皆さんは種もみの種を植える場所の準備をしていた。

雑草の根っこをある程度取り除いたら、草をかぶせて乾燥を

ふせぐとのこと。

田んぼの面積を測っていた。

 

解散後は車に乗っけてもらって、農業指導をしている

通称「食研」を見に行った。

やぎとかぶたさんがいた。

 

台形じゃないいわゆる四角形の辺の中点同士を結んだたてと横の線

の長さを掛け合わせるとだいたいの面積が出るというのが

不思議で家に帰って確かめてみた。

 

K夫妻と、自然農を教えてくれるBさんに筍を無事に

渡すことができ、その日のミッションはクリアすることができた。

 

 

 

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2012年

4月

25日

六本木まで


大地を守る会で働いている知り合いの人に教えてもらい、

中沢新一さんの話を聞きに行った。

 

六本木農園の外側だけ初めてみた。Ondesignの設計だそうです

 

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2012年

4月

24日

寝るこはそだつ

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2012年

4月

21日

モバイルハウスづくりワークショップin葉山

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2012年

4月

20日

観察日記(春の土用)

猫はよく毛が抜ける。房で抜ける。

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2012年

4月

19日

言葉と統合失調症

マンガでわかる統合失調症という本がころがっていて、

なんのけなしにぱらぱらめくっていたが、

一番最期らへんのページに、

 

統合失調症の人は人類がホモ・サピエンスになったとき

から必ず1%存在するとのこと。

 

ティム・クロウさんのwikiを見てみると、

言葉を獲得したことと、

大脳皮質の発達の非対称性と関連してるそうだ。

 

私はあまり言葉を信頼していない。

あまりうまく使えたためしがない。

不用意に使うと、沢山人を傷つけてしまう。

ちゃんと使える人を尊敬する。

 

祈りの言葉や精神性を大切にする文化が重要なのは、

この言葉の剣を保護する鞘みたいなのかもしれない。

 

進化はアンバランスさももたらして、病気も生み出す。

1/4の奇跡という本に、6本指の人を大切にする文化が

ペルーにはあったと書いてあった。

 

昔の人は必然的に病気や違う特性を持って生まれて

きた人達は進化を担っていることを知っていたのだ。

進化はいびつさを内包している。

そうでないと環境の変化に対応して生き残れないから。

同じ血を分けた兄妹は違った特性をもって、

自然が嵐を持って選別していく、

でもどんな特性も、

生き物が全体的に生き伸びる可能性を延ばしている。

 

いろんないびつさを抱えた人が、

自分の存在を許せるようになるといいと思う。

 

 

 

 

 

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2012年

4月

17日

山野草料理教室

今日は春の山菜を食べる料理教室に誘われて参加した。

大磯の星槎学園の分校が会場で、先生は中川さんという方。

 

今日の発見

野菜を50℃の水で洗ってから

沸騰しないように野菜をゆでると、

苦みがないということ。

90℃以下にすることで、酵素を壊さないようにするとのこと。

 

食べたもの

たけのこ

こごみ

たんぽぽ

かたくり

つくし

あしたば

ふきのとう

つわぶき

よもぎ

 

ほとんどてんぷらにした。

素材の味を楽しむには、小麦粉に水だけの衣に、塩が良いのだとか。

実際おいしかった。

 

何か食べ物がなくなったらとりあえず山菜

食べればいいのかと思い、少し心強く。

山菜を見分けてとる修行が必要だけど…

 

参加している人達の様子

・魔女みたい

 

帰りに大磯周辺を散策した。

港町は路地裏が多くて、尾道に少し似ていた。

てづくりの形がかわいい椅子があった。

 

 

 

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2011年

11月

11日

「悩む力」から。ヒントをくれた文章

「精神医療の世界では、一般的に病気の再発・再入院はできるだけ避けるべきこととされている。病気が再発しないよう厳重に薬の管理をし、きちんと外来に通い、ストレスのない生活を送るようにと、患者ははれもののように扱われがちだ。けれどべてるではそのようなことはしない。薬を飲むか飲まないか、どこまでがんばるか、それは本人が決め、選びとることなのだ。その結果再発してもそれは当然おきることであり、予想されたことなのだからという意味をこめ「順調です」といわれてしまう。どんなに症状が悪化して再入院しても非難されるということはなく、本人が悩み、考えたすえに通り抜けてくることは「すべて順調」なのである。それは病気についてのべられていることではない。人間としての苦労の重ね方についていわれることなのだ。だから、再入院をくり返し順調に苦労を重ねてくると、べてるではむしろ「顔つきがよくなる」と積極的に評価されている。」p48

 

「べてるの家を訪れたとき、訪問者は自分の目の前にいるのがおおむねどこかおかしな人びとだということに気づくだろう。彼らは冬眠中のクマのように緩慢で怠惰な暮らしをしているかと思えば、突然「俺は死ぬー!」と叫んで海に入り、あるいはじっと引きこもって生死の境をさまよっている。健常者からみればおよそ非常識で、欠点と不可解な言動ばかりが目立つ彼らだが、そうしたすべてのことをとおして見えてくるのは、彼らのかけねのない正直さともいえる生き方なのである。病気があっても、いや病気であるがゆえに、彼らはあるがままの自分をそのままに生きている。そう生きなければならない。飾り、気取り、自分を作ろうとすれば、どこかで破綻してしまう人々なのだ。それはまるであらゆる飾りを取りのぞいた後にあらわれる、原初の人間の姿のようにもみえる。

 そのような彼らとともにいるうちに、訪問者はそこにあぶりだされてくるのがけっして精神障害者の真実の姿などではなく、彼らの前にいる自分自身なのだということに気づくのである。飾らず、作らず、そのままで生きているべてるの人びとの前にいるとき、仮面をかぶり、対面をとりつくろうことに懸命で、いつもまわりの評価を気にして奮闘し、気が休まることのない「こっけい」な自分というものが見えてくる。」p88

2011年

2月

08日

consensusu desition のワークショップ

 

昨日と今日でconsensus desition making のワークショップに参加した。

 

重要なこと。equality.

 

要約すること。summarize.

 

話しをきくこと。

 

proposal (企画)を一緒に 吟味・改善すること。modificate

 

尊敬すること。

 

ちょっと、やり方がわかってよかった。

 

木の花ファミリーに行ってみたい。

 

mission & purpose を明確にすること。

 

英語の勉強になった。

 

外国の人と話している方が自然と笑顔になる。なんでだろ。

 

言葉が幼稚になるから、表情でカバーしようとがんばるみたい。

 

やっぱり外国に行った方がいいのかな。

 

 

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2011年

1月

11日

ヤコブの手紙試写会感想

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2011年

1月

03日

なんかハーブっぽいやつ

Ginger Blend
Ginger Blend

Aさんからお年賀を

をもらった。

 

ハーブ液でなんかお茶とかに入れるやつ。

 

ジャンジャーブレンド ハニー&ハーブ

 

ほのかにレモングラスの香り。

オーガニックレモンとハチミツと

ペパーミントとショウガが入って

いるらしい。なんか風邪予防できそう。

 

ナッツのタルトもおいしかった。

http://www.flojapon.co.jp/baked/tartelette.html

 

こういうアマランタンみたいなやつ好き。

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2017年

7月

11日

私たちを活き活きさせるものって一体なんなんだろう。

私は人の表情を観察するのが好きだ。

 

絶望や嫉妬、怒り、無関心、蔑み、悲しみ。

そういう時の人の表情も、見てみたい。

素っ裸になった心を覗きたい。

(そういう意味ではちと変態かも!)

 

あと、狂っている、狂っていない、とはどういうことかも気になる。

 

精神病院の病棟内にいる人の表情を観察した。

彼らは、感情が動くことがない。

感情が動くところを見てみたい。

感動するところを見てみたい。

 

私のいろんな破壊的衝動は

そこから来ている場合がある。

人を活き活きさせない状況を破壊したい。

精神科の病棟の壁を破壊したい。

 

活き活きするということはどういうことか。

脈動するということはどういうことか。

 

心からの笑顔と、そうでない笑顔。

病とともにいる人の表情を観察すると

だんだん見分けがつくようになる。

瞳にそれらの表情は宿っている。

 

逆にいうと、病んでいるからこそ、

健全ということはどういうことかわかるような気がする。

 

本の整理をしてて、

素っ裸の子どもの笑顔の写真の広告が出て来て度肝を抜かれた。

田んぼで泥んこになって、裸ん坊なのになぜか靴は履いていて

リュックを背負った子どもたちが並んでニッコリしている写真。

(大人が同じ格好して広告に載ったら強制わいせつ罪になるし、

 昔の本だからできたことだろう)

注目したいのは子どもたちの表情だ。

彼らは心からの笑顔で笑ってる。

 

よく「アジアの子どもたちは瞳が活き活きしている」

と言うけど、いつの時代だかわからないが日本でも

そう言う子どもはいたのだ。

 

私たちを活き活きさせるものって一体なんなんだろう。

 

絶望の淵を覗くと、その片鱗が見える気がする。

2017年

1月

01日

憎しみを溶かして悲しみを癒す色

私たちの家族は仲が悪いわけではない

しかし、なぜか正月になると四方八方に飛散していく

おじいちゃん、おばあちゃんや、一家の主が生きていると

集まっていたわけだ。

 

重し、やオモリみたいな存在だったのかもしれない。

重しがなくなったので、普通が裏返り始めている。

 

家にテレビがないので、ある意味先入観がない。

甥っ子はアンパンマンでいうところのドキンちゃんが好きだし、

姪っ子はばいきんまんが好きで、あんぱんまんが嫌い。

青が男の子の色で、赤が女の子の色って、誰が決めたの??

集合体の無意識で決まったことなのだろうか?

子どもは本当に正直なので、学んだ文化をすぐ口に出す。

「先生、ピンク、着ないの?ピンクは女の子の色なんだよ」

と保育士だった頃に言われた。

それは5歳くらいの子。一生懸命暗黙の文化を取り入れようとしている。けなげだな。

23歳のうちはまだ先入観がない。からその頃の子どもの趣向を観察すると、

本来のその子の性質がわかりやすい。

 

みくさのみたからの人が言っていた

「これ(みくさのみたから)は、だいだい女の人に受け継がれてきたものだったんだ。

 でも、今は男の私が受け継いでいる。末世だからかもしれない。」

 

陽性と陰性の名前の法則を教えてもらって、

「陽性の女の子は男性社会では生きづらい」

と教えてもらった。3文字の人ほどの打算や、したたかさを持っていない。

単純バカだから。向こうみずで飛び込んで行くのが特徴だ。

自分が違うと思うことにはどうしてもyesと言えない。

 

だって、10万年単位でどうしたらいいかわからないことで人類は常に

自転車操業しているのに、細かい損得をきにして生きることが

本当に一番だと思っているの、、、?

一体誰が向こう見ずで、考えなしなのか。

 

どうしたものか、と思うのは、

出会う小さい女の子の多くが陽性の名前なのだ。

大抵目がキラキラしていて、野生児で、少年のようにあどけない。

大丈夫かな?生きにくいのにな。

 

でも、美しいものは本当に美しい。

甥っ子が泣いているのはとても美しかったので、

「男の子なんだから泣くのはやめなさい」と絶対に言わない。

 

もともと陽性の人は玄米は食べない 白米でいい

青菜、セロリ、白菜。りんご。いちご笑

 

どうして、ピンク色とか、着ないの?

「似合うと思うなあ、ピンクとか」

 

って今までの人生で何回か言われた。

ハローキティーちゃんが嫌いになった瞬間は覚えている

 

紺色がとにかく落ち着く。

なんでだろうと思ってたら、本に書いてあった。

藍に茶色をかけた鈍色とか。サイコーだなと思ってたら

それはお葬式に着たり、僧侶がきる色らしい。

そうか、鎮魂したいんだな。

 

あの世とこの世の境目で死んだ人の応援をもらいたいんだ。

 

境目で、溶かしたいのだ。憎しみを。

私が自分を許せるようになったら、他の色も着るようになるだろう。

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2016年

10月

31日

キレイになろうとすること

土用だから掃除しようと思って、

浄化槽に空気穴を入れていない倉庫を掃除したら

 

出っ張った釘がおでこに引っかかり、

リアルハロウィーン、リアルハリーポッター状態に

 

まず高いところから降りる時に

めんどくさがって飛び降りようとした。

前方に何があるかを確認しなかった。ああいつもの癖、向こう見ず

土用という季節も急回転の時期に

あんまり飛んだり跳ねたりしないように、とか

顔を傷つけた時に

「あーあ、女の子なのに」

と、自分の中の誰かが言った。

おや、そんな気持ちもあったのだね。

そうだった!

ちゃんと大切にしないといけないよ。

大事なお顔ですから

 

自分のことで久しぶりに病院に行った。3年ぶりくらい??

やっぱり外科は必要だな。ありがとうございます。

お医者さんも笑っていた

一体どうやったらこんな傷ができるのか

「でも目じゃなくてよかったね」

本当にそうです。

「大事なお顔ですからね。縫わないよりかは」と言ってひと針。

3割負担てすごいなあ 国民皆保険

でも、薬のお姉さんが

「腸内細菌が死んじゃうお薬ですからねー」

と言っていたので、

この土用の時期に、腸内細菌殺しちゃまずいだろ、

と思って、断食をすることにしました。強制宿便アンインストール。

ちゃんと大切にしないといけないよ

大事な菌ですから

 

抗生物質というのは、原核生物のタンパク合成やRNA合成を阻害する。

腸内細菌も、原核生物だから、飲むと死んじゃうんだねえー

でも傷口が細菌感染して化膿しないために先人たちが

必死に開発してくれたのだね。どちらを取るか。

 

ハロウィーンのイベントで、

子供のほっぺたや手に、フェイスペイントをするのを頼まれた

子どもたちはそりゃいろんな趣向を凝らしていて、

なんというかまあ仮装大会

ほっぺたツヤツヤの子どもたち

一生懸命おしゃれしてる子が可愛い

こんなに小さいうちからちゃんと、自分の美意識のスタイル持ってるよね。

おもしろいな。

黒猫流行ってるな。黒猫率多くね??

そうなんだよな

成人式も、卒業式も。ハロウィーンも、結婚式も。

キレイになりたい女の人の気持ちは永遠です。

 

最近「美塾」というメイクの体験講座を受けた。

電車でメイクする人、偉いなーって思ってた。

自分の属する社会に、受け入れられようとする、その、切なる努力。

昨日も終電だったのに、はやおきして、朝ごはん食べて、メイクして、

洗濯して、皿も洗って、シャツにアイロンもかけて、etc,,,,etc,,,

ああ、いっぱいいっぱい。だよね。

 

私は一重で、メイクしても変わらないよー!

と思っていた。肌に塗ると頭痛がして、目が充血してくるし。

遅刻しないように電車に走り込むのがやっと。

でも、アイプチは違うよなーとも思っていた。

美塾は、そのひとに合ったメイクをする、というのと

実際に実践している人が

その人らしさは失わずに、確実にキレイになっているのが

なんでだろう?不思議だな、と思って受けてみたかった。

 

自分は萌、艶、凛、清(という種類がある)のうちだとダントツの凛、清タイプで、

あんまり色は乗せず、シャープ、直線的、マットな感じが

似合うとのこと。

あと、全面塗らなくていい。これは画期的。

皮膚呼吸大事だよね。目が充血するから。

赤ら顔の人はそのままチークとして活かせばいい、とか。

重ねりゃいいってもんじゃないのね。勉強になります。

大きな鏡を用意するってのも。鏡すらなかった。

 

そして、肌の触り方。残心。鏡を毎日見ること。

慈しむこと。が大事だと教えてもらいました。

そうだよね。初めて、口紅塗ったときのドキドキ感とかね。

で、子どもが一番いうセリフ

「見て!」「ねえ見て!」「絵描いてもらったよ!見て!」

そう見て欲しいんだね。

そうだった。誰もが自分を大事にしたいのだったであるよ。

内側も、外側も、キレイになることに本気になるというのは

自分を、ひいては世界を大事にするためのリハビリなのかもなあ

 

浄化槽に空気穴を入れるのは本当にやろう。

と思いました。

 

空気を入れて、穢れが溜まらないようにするのは大事なようです。

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2016年

8月

23日

気持ち悪さの正体

気持ち悪さの正体を分解する。

 

私はエコひいきが嫌い。

人によって態度を変える人はリスペクトできない。

 

なぜか。

私の中にそういう部分があるのだ。

 

そういう部分を認めて、許してない。

 

私だけが選ばれる、特別。ということに、恐怖を感じる。

 

なんでだろう。

 

絵の上手い、下手は、思いっきり実力主義で構わない。

弱肉強食結構、言い訳はいらない。

むしろ実力主義であってほしい。

むしろそこで選別してほしい。

妥協はいらない。

 

気持ち悪さの正体はなんだろう

 

そしてたちが悪いのは、リスペクトできない人の言うことを

私は聞かない。年上であっても。

万年生意気反抗期。これは儒教に反する。

 

でも彼らは気力体力が落ちてきて、何か自分の人生で

なしえたことが意味あることだったと確認したいのだろう。

 

でもさ。本当に自分の好きなことをして、

勝負してきたのなら、それが認めてもらえてももらえなくてもいいじゃない。

自己満足で。

 

 

気持ち悪さの正体はなんだろう

 

常識とか、当たり前、って言葉は、迫害のように感じる。

気持ち悪い。

初めから、気分と、感情で、動いてるって言ってくれた方がまだ

清々する。

 

ということは、私の中にも、常識とか、当たり前、という言葉で

誰かを迫害する要素が含まれているのだろうか。

 

もっと知らない文化に飛び込んだ方がいいのかもしれない。

未開のジャングルとか。

 

気持ち悪さの正体はなんだろう

 

そこに見えないヒエラルキーがあること。

それを許しているのは自分もだけど、

どうやったらそれを壊せるんだろう。

 

ヒエラルキーに対するこの憎悪はなんだろう。

私の中に他人を支配したいという要素があるのだろうか。

 

ピラミッド型は、若干効率が悪い。

体の反射区みたいに、脳の決済が必要だと、急なことに対応できない。

 

自分で考えろって言われるのに、判断権や裁量権がない。

その人のコピーになりきればできるってこと??

同じ人になることはできないのに。

 

気持ち悪さの正体はなんだろう

 

他人の思惑で、「成長」を押し付けられること。

押し付けられていると感じている時点でOUTだ。

本来は感謝する場面なんだろうけど、私にはそのキャパがない。

 

絵に関してだったら、私は98歳まで生きて、

死ぬ1日前まで成長し続けるだろうその技術に関しては。

それ意外はある意味どうでもいい。

別にそんなにこだわりない。

知識や技術や情報を囲むつもりもない。

 

私のやり方は

私が得意じゃないことを得意とする人を呼んでくる

その人が得意な分野で力を発揮する

それが一番魂が輝く方法だからだ

そしてそれは押し付けであってはならない。

その人が本当にやりたい、やらずにはいられないことであること

 

やりたくないのなら、やらない方がいい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2016年

7月

27日

痛みを想像できるまでの段階

こないだ、生まれて初めて渓流釣りをした。

餌となるミミズを針の先に突き刺した。

ミミズは悶えていた。

畑を掘り返しても、時々シャベルでクラッシュしてしまう。

ミミズにとってみれば、土の中でいい感じに暮らしてたのに、

いきなり天変地異が起きたようなもんだろう。

 

ある男の子が、

ヤモリの尻尾を持ってスーイスイと水につけていた。

まあ人間に例えると、バンジージャンプみたいに

足首掴まれて水の中に首を突っ込まれる感じ。

子どもによく見られる無邪気な動植物に対する拷問。

 

他の男の子が

「おいいじめるなよ、お前もそういうことされたら嫌だろ。やめろよ。」

と言っていた。

でも男の子はやめなかった。多分言われても理解できなかったのだろう。

まだヤモリの身になれない。そういう段階だ。

注意した男の子は、どうやったらヤモリの身になれたのだろう。

よく相手の身になって考えろという言葉があるが、

リアルに相手の身になるってどういうことなのだろう。

 

猫も時々虫や鳥を弄ぶ。

23歳くらいの子も、蟻を潰して遊ぶ。

痛みがわかる自分も、

わからない自分も同時に存在する。

 

相手の痛みを感じるためには、

まず自分の痛みを痛みとして感じれることが必要なのかもしれない。

赤ちゃんは、不快だと、とりあえず泣く。

誰かがおしめを替えたり、おっぱいをあげたりしないと、

自分で快と不快を分けられない。

多分一人では無理だ。

 

小さな子が、誰かをひっかいて年上の子を泣かした。

泣かしてしまったことを後悔してるっぽい。荒削りだけど、優しい魂。

 

泣いて、泣いて、泣いて、

誰かに共感してもらった時に初めて

「これは悲しいということか」という認識をして、

その認識をしたときに悲しみは半分になる気がする。

 

相手の身になって考えるっていうのは、

人間にもともと備わっている能力なのだろうか

それとも誰かに共感してもらって初めて

身につく能力なのだろうか

 

いじめをしている人は、実験しているようにも思う。

いじめっ子を観察してると

 

彼らは誰かが傷つく様を見て喜ぶ節がある

特定の誰かを。それは、

いじめっ子といじめられっ子に似た部分があることを

いじめっ子の子はそれとなくわかるんだ。似てる部分が。

かつての自分に似てるのかなあ??そしてその弱さを嫌悪してるように見える。

暴力は連鎖するように見える。弱い方から強い方には滅多にない。

 

彼らは精神的に傷ついてきたのだろうか??

彼らはこれ以上傷つくことができないのだろうか??

 

私がこれだけ傷ついているのだから

お前も傷ついたらいいって 言ってるのか

なんかね、誰かが傷つくのを見て、

それを「観察」してるようにも見える。

「傷つく」とはどういうことか知りたがっているように見える。

 

彼らは自分の手当ての仕方を知らないように思う。

 

自分がどれだけ傷ついているかの尺度がわからなくて、

実験的に他人で試しているようにも見える。

他人に「持ち物」の様に扱われたから

自分も他人をモノの様に扱ってるようにも見える

他人と自分の区別がある意味ついてない

自分の感情に自分で責任を持つ、という

ことがどういうことか教えられてない。

大人になっても、そうかも。

 

本当はいじめをする人が罰せられるのではなくて、

自分の傷ついた気持ちを自分で手当てする方法を

教えてもらうことが大切だと思う。

 

自分でできなかったらまずは他人に手当てして

もらう必要があると思う。

それは、人でなくて、場所や空間であってもいい

 

逆に自然(山、森とか川とか海)は、

私が悲しくても、楽しくても、いつも変わらない。

それは結構な優しさだと思う。

 

赤ちゃんのうちから、そういう自然の優しさを

感じれればいいけど、

赤ちゃん(人間)はまず周りの人に触れてもらって、

共感(共同注意)を媒介してもらってからじゃないと、

意識を広げて自然の優しさに触れられない人が

多いのではないかと思う。

感覚が閉じているというか。

自閉症や、障がいを持っていると言われる子は

逆にそっちの感覚は最初から開いているように思う。

 

大人になってもいじめをする人が増えている社会というのは

近しい人に共感をされた経験が少なく、

自分と相手の感情を分けることができず、

(従って自分の意見を持つことも許されず)

モノのように扱われている人が増えているということだと思う。

そりゃーまあ生きづらいわなあ。

 

で、自分の痛みを認識することができない人に

「お前は人(あるいは動物)の痛みが想像できないのか、薄情なやつだな」

という。

 

言われた方は傷つかないかと思いきや、

結構傷つくのが不思議だ。

自分の不全感を指摘されると辛いのだ。自分でも感じてるのに

どうしたらいいかわからないから、叫んだりする。

「知ってるよ。俺はロボットだよ。でもどーしたらええのかわからん」

その手でヤモリを弄んでいるのにもかかわらず。

 

まず、痛みを、自分の痛みとして、認識して、(第一段階、媒介が必要)

それから、相手の痛みを想像する。(第二段階、自分が悲しい時、

痛い時の気持ちを思い出す想像力が必要、

 

第一段階がないといきなりはできない)

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2016年

6月

07日

20年経って変わったこと

20年前に、(もう20年も経ってしまった!)

うちの父親は農業高校に赴任になり、

おもむろに平塚で小さな畑を借りてやりだした。

 

牛糞堆肥を使っていたから、

こども心に臭くて嫌だった。正直なところ。

農薬は使ってなかったから、

一応有機か。でっかい、

化け物みたいなきゅうりとかできてた。

味は大ぶり。

 

周りのみんなはみんなポケモンとかゲームに夢中なのに

畑を手伝わされるのが嫌だったので、

あんまり手伝わず、

もっぱら虫と遊んでいた。

てんとう虫とか。

雑草に興味が出てきて、雑草図鑑とか買ってた。

 

10年前に、大学の裏庭で

おもむろに畑をやりだした。

生ゴミを堆肥にしたり、

ミミズコンポストをやってみたり。

生ゴミはやっぱり臭かった。ミミズコンポストは無臭。

でも原っぱに穴掘っていきなり野菜の苗を

植えたりしてたので

大学休学してニュージーランド行った

先輩ほど上手く出来なかった。 

ミミズコンポストは

めっちゃゲテモノ扱いされた。

 

ダニとか小動物の研究してる先生に

「大学まで来て百姓になるのか?」

と言われて返答に困った。

今思えば、

百姓の人の方が百のことができるから偉いと思うけど。

その研究室の初代教授が出してた、

「君のそばにダニがいる」

という子ども向けの本はもう絶版だけど何気に面白かった。

 

20年経って、

今では無肥料無農薬のお米や野菜や果物が

ネットで売れる時代になった。

自然農の見やすいカラーの本も買えるようになった。

もちろん顔が見れる関係がいいに越したことはない

農家さんの日焼けした顔や、

頑張って作業してるところ見たら

ご飯がおいしくなる

 

土に生えている雑草の種類で

土の性質がわかるとのこと!

肥料を使わなくても、野菜が育つ。

確かに1平方メートルの中でも

生えてる雑草の種類が違って、

草を刈ると、違う種類の草が生えてきて

そいつらがまたすぐある種類の虫に食べられたり

いろんなドラマが繰り広げられている。

その仕組みをまだ解明仕切っていない。

 

うちの父親は精神病院に入院して薬まみれになったけど、

リチウム。リチウム中毒は心臓に影響があるらしい。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/shinzo1969/34/Supplement3/34_162/_pdf

野菜の育ち方には他の方法があったのだ。

生きていたら教えてあげたい。

 

放射性物質が増えたら

そのような人が増えるのだろうか???

あと20年くらい経たないとわからない???

 

心の病の人は

死にたくなったらとりあえず、

寝っころがれる場所(アスファルトじゃないところ)

に寝っ転がって見て欲しい。

土で汚れても構わない。汚れた方がいい。

私はとりあえずそうしている。

 

除草剤は主にタンパク質合成の阻害剤。

植物しか作れないアミノ酸を作れなくしたりする。

雑草の植物共生細菌や菌や微生物や虫や土壌動物は

酵素とか出したり、ホルモンを使ってやりとりをしている

それらをぶった切る前に

自然の仕組みを知るための

科学はもっと発達するだろうなあ。

 

 

 

 

 

 

 

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2016年

5月

14日

もやもや

おばあちゃんの料理は美味しかった。

私が信州に来たのはおばあちゃんの影響が強い。

 

遠足のお弁当で、うちのお母さんのお弁当は

茶色いおかずばっかりで

カラフルな友達のお弁当がいいなあと思った。

っていうか汁漏れとかしょっちゅうだし

カバンの中が悲惨なことになるし

こないだもそうめんを水から圧力鍋で煮ようとするし

新しい料理法の発見もあるかもしれないが

いろいろ奇想天外なので

事故を防ぐには、自分で買うか作るしかない

と思い立ち

小学生の頃から週に一回

ご飯を作り始めた。

 

16時ごろから作り始めて

18:30にはできた。

肉は焼けばいいだけだから簡単。簡単なのだ。

学校から帰ってきた子どもでも作れる。

 

一番簡単なのは卵とベーコンのオムレツ

簡単だから。卵が割れればできる。

ベーコンは焼くだけ。

 

それを毎日食べてたら

卵アレルギーになった。

 

保育士の試験には

「牛乳は総合栄養食である →◯か×か?」

みたいな問題があって◯は正解だった。

 

牛乳に5種類あるって最近知った。

牛も人間と一緒で

ストレスが多い環境だと

乳の中の雑菌が増えて増えて

仕方がないから

殺菌するのだそうだ。

その殺菌の時間の長さに5段階あるそうだ。

人間でいうとまず小学生の初潮が始まったくらいの女の子を

妊娠させる。乳牛はストレスが多くて、

本当は7回子どもを産めるけど、

2回だけ産んで、死んでいく。

 

プチダノンは早くて楽だ、

まとめ買いしておいて、

朝あげればいいから。

冷蔵庫を開ければいい

美味しいし。

あまりに普通のことだ。

 

お味噌汁を作るのに

出汁をとったり、

お米を水につけとかなくていいから

 

夜遅く帰ってきた

お母さんの選択肢として

それが一番楽だ。

袋を開ければ済むから。

ただでさえ

社会で

経済的に

自立するということは

大変なのだ

仕事で成果を残し

生き残るということは

 

醤油の転地返しなんて悠長にやってられないし、

朝おっぱいをあげてる時間もない。

 

子どもは小さいうちから

親と引き離されるのが

現代トレンドなのだろうか

私は6か月から保育園にいたので

「もはや自分が不幸なのかどうかも

わからない」というか別に、そう感じてなかったと思う

保育所は楽しい場所だった

 

牛も人間も

母ははたらく

自分が同じことをするかはわからない

子どもは

「ママがいい」って泣いてる。それは顕著

 

早い子は3才から15才まで公教育では

12年間牛乳を飲み続けるシステムになっている

あまりに普通のシステムになっている

 

下水道や、ゴミ処理施設は

小学校4年生で見学するけど、

屠殺場は見学しないのはどうしてだろう。

 

子どもはありんこ潰したり、

カエルを爆竹で破裂させたり、

嬉々としてトカゲの尻尾をちょん切ったり

時にいかんなく残虐性を発揮する。

 

多分、現場を見たらいい。

見たり自分で殺したりした上で選べばいい。

しかし強要はする気になれない。

 

甥っ子は笑顔で

「お肉大好き!」っていう。

帰りが遅いママに会えないで

寝てしまって、朝ぐずってた。

 

プチダノンばっか食ってると

花粉症になるぞと

言ったら

姉が猛反発して怒った。

そりゃそうか 姉の方が私より寝ないで働いているし

これ以上頑張って何かやれというのは酷だ

ただしさの暴力は こわい 

常に自分の中にある

 

姪っ子は味噌汁を

3杯お代わりした

 

多分私がしたらよかったことは

まず自分の疲弊した肝臓にこんにゃく湿布をし

朝、もうすこし早く起きてみんなに味噌汁を

作ることだったのだろう

 

自分に余裕があれば

他人を責めたり批判しない

他人を批判するということは

自分が何か、やろうとして

できていないことを、他人の中に見つけているのかも

「こうあるべき」でがんじがらめで、自分が苦しい。

そして、絶対的に自分が正しいと思っている人の

いうことを 人はあんまり 聞かない

むしろ反発する

自分が認められてないと思うから

「これができていないお前はダメな奴だ」

というメッセージを受け取るから

受け取りたくないのはお互いさま

 

誰かが誰かをねじ伏せるやり方

以外の方法はあるのかな。

別に争いたいわけじゃないのに

許せないことや

責めたい気持ちがあるのは

なんでだろう

本当は争いたいのかな?

コテンパンにやっつければ気がすむ??

いつか受けた傷は癒される??

争うことにうんざりしているのも確か

お互いに傷つけあって消耗する関係は

こりごり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2015年

11月

23日

ミトコンドリア学会に行ってみた。

なんか、すごいバカだなとおもいつつ

福井のミトコンドリア学会に行ってみました。
誰も呼んでねえっつうのw
みたいな感じで一人突っ込みをしながら
気配を消し、真剣に議論する人たちの間に紛れ込んで
ちんぷんかんぷんだけど部分的に聞いてた。
でもミトコンドリアの生体膜は
ほんとにエネルギー効率いいみたいだから
誰かこれをもとに発電機とかつくったらいいんじゃないか
なぜか螺旋状にタンパク質の糸が配置されていて
その穴をイオンがくぐり抜けるという
膜と膜の間にPHの差が生まれると駆動力になる
終わったら、
木曽の方におすすめされた鯖江に行ってみました
「正義はこわいから
 もっと好きキライで決めていいとおもうんだよ」
「人間の仕事はほとんど機械にとられてしまって、
 残るのは遊びなんだって」
と出会った人がいってました印象的
印象に残ったこと
光るクラゲ、楽しいなーと
研究してた人がGFPタンパク質を発見して
ノーベル賞とる。細胞の動態を探るのに一役買う。
ミトコンドリアも、
分裂したりくっついたり動いたりしてたのしーなーと
研究している人がいる
基礎研究の人は比較的無邪気
臨床研究の人は患者さんの切実さと
薬の開発にかかる膨大な予算との板挟みで大変そう
で、手仕事業界においては3Dプリンタは黒船レベル
なのだそうだ。
美しいフォルムは作れてしまうので、
それ以外のところで勝負しないといけないらしい
ますます遊びごころが大切らしい
細胞も、μm単位で表面を焼いて、だんだん削って掘っていって断面図を重ねていくことで
細胞内の立体構造が映像でわかるようになるらしい
どのようにして膜状の複合体に傷をつけるのか
壊れた複合体は修復される
修復酵素を増やす対策をとった方がいいのか
そのシステム自体を司る遺伝子が壊れてしまった
時が問題だ
活性酸素自体を減らすには
脳に届く水素??
香りの方が直接届くのかな。
オートファジーを司るタンパク質が
やられると品質管理をする人がいなくなって
不良品タンパク質が脳内に溜まっていく
神経細胞は同じものを一生使い続ける
ガン細胞は解糖系だけじゃなくてTCAサイクルの最後の方を
部分的に逆回転させてアミノ酸から
エネルギーを得ているというのがおもしろかった。
それかキレッキレなやり方だと
脳内のミトコンドリア膜タンパク質に
酸素に強いヒドロゲナーゼを埋め込む
鳥類のミトコンドリアの方がモレが少ないので
鳥類のミトコンドリアを採用する
というのはちょっと病的な発想なので
脳に届く抗酸化物質と
オートファジーを司る遺伝子を活性化
させるアクチベーター的な物質があれば
いいのかな
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2015年

11月

15日

美しいのと、本物の、微妙なズレ



マンションが、3000万円
スーパーでぽいぽい食材を入れ込む

「テレビ、見ないの?」
うん。見ないよ。
15年くらい。
イライラしてくるから
自分に。

農薬ついた野菜 安い
無農薬 高い??
放射能もこれで 気にならないね

入院代 パンパンに膨らんだ カラダ
人間はこうも膨らむのか
ああ びっくりだ

見た目、外側がきれい
中が空っぽだね 内臓が 悲鳴

美しさ。

うつくしさはなんだろ

最小限でいいんだ

見え方も大事だよね

プラスチックみたいだ
僕たちの命 軽い 吹き飛ばされちゃう

簡単に食べてるから
大切にされてない命を

小さいいのちは
葉っぱについてて
死なない
ぐるぐるまわっている
ぐるぐるまわっているね

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2015年

11月

05日

「おうちに帰りたい」のおうちはどこにあるのか

庭のある祖父母の我が家が
暖かい海辺の町にあった
庭にはみかんがたわわになっていて
梅もたくさんなっていた
そこには全てがあった
幸せの記憶も
ひとをどこか落ち着かせて
幸せな気持ちになる
庭のある家

「おうちに帰りたい」
って10代の頃から
誰かが口癖みたいに言ってた
誰かに必要とされないと
そこに居場所がないかのような

震災が起きて、
庭は少し放射能で汚染された
家にしがみついていれなくなった

いろんな家財道具の中で
写真が一番捨てにくい
記憶が一番捨てにくい
体は死んだらなくなるから持って行く
冥土のみやげには体は持っていけない

体の中にふるさとがあって
どこでもドアみたいに
そこが家になる

誰にも必要とされなくても
生きてていい
だれかの不幸せを代償に
生きていていいのかな
気にしていたら、キリないくらい?
日本に生まれたことは 幸せ?
どこに生まれても 息をしているだけで
十分に幸せなひともいる

帰るおうちはきっとない
ずっと旅 日を別にする旅

閉ざされた空間では
赤ちゃんはお母さんを求めて泣くのに
冒険するときは忘れていられるのね
おもしろいね
旅をするときは
世界が家になるのだろう
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2015年

6月

14日

どうして人を殺してはいけないのか?

小さい頃、
ありを沢山踏んづけた。
踏んづけたら、動かなくなる。
どうして動かなくなるのか、不思議だった。

ダンゴムシを解剖して、
お腹の中に黄色いたまごを見つけた。
ダンゴムシは死んだ。

小学1年生のとき
死んだカエルをビニール袋に入れて、
土に埋めた。一週間後に
どうなったのか気になって、
掘り返してみた。
ビニール袋はでてきたけど、
中は水になっていた。
生きものは分解されて
土に還るということを知った。

高校の実験で、
ねずみの解剖をした。
ネズミにクロロホルムをかがせて、
動かなくした。
「かわいそう」と言っていた男子が
感覚の、スイッチが変わって、
プラモデルの逆バージョンみたいに
夢中になって解剖してた。
魚をさばくときみたいな。

残酷な、残酷でない。
善と悪は、誰が決めるのだろうか。
決められるものなのだろうか。

農薬は、酵素をつくれなくする。
植物や、細菌の。
動物はその酵素をつくらないからと言って。
目に見えない菌なら
遺伝子組み替えても、殺してもいいのかな。
目に見えないから。
全部地球の一部だから
一緒なのかな。
生きても、死んでも。

どうして人を殺したら、
いけないのかな。
どうしてイルカやくじらはダメで
魚はいいのかな。
サイズの問題なのかな。

見かけた子猫に、ウジ虫がわいていた。
もう助からないだろうって誰かが言ってた。
私は子猫サイズ以上のものを殺す勇気はなかった。
家の中で、ゴキブリを叩き潰すのは私の係。

誰かを殺してしまったら、
心から幸せを楽しめなくなるのは、
どうやら多くの人間に起こる反応みたい。

これから戦争をしようとするときに、
人を殺すということを
どのように説明するのだろうか

悪の輩は、全員死刑にすればいいのだろうか
悪の定義がよくわからない。



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2015年

3月

04日

透明な存在

あんまり素直にさみしいと表現する友だちを前に、

自分はあんまり寂しいとおもわないなとおもったら
気付いたことがあった。

うちでは昔からごはんの時にテレビがついてて
母がテレビをみてぽかんとして、
話しかけても聞いてくれないのがイヤだった。

三歳の子の、一番良く言う発言は
「見て」だそうだ。

自分を見てほしい
話を聞いてほしい
側に居てほしい

食事中に携帯をいじる人が嫌なのはそのせいか。
と気付いてしまった。

君はつまらないから
いなくていいよ
目の前にいない
空気みたいな存在
透明なまま育った子は
一体何人いるんだろう

だれかが食事を一緒にするのは
本来は神聖なことなんだよ
て言ってた。

そうかな?
家族ってなんだろう
よくわからない
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2015年

2月

07日

居場所

居場所にひとは集まる


居場所ってなんだろう
きのうはおまつりで、
おじいさんがお酒を飲みに来た
おまつりでふるまわれていたから
きこりみたいな格好のおじいさんがひとりでいた
はなしかけた方がよさそうだったのではなしかけた
「どこからきたのですか」
「なにで知ってきたのですか」
ひとりできたら話しかけられたらきっと嬉しい
わたしが一人で異国に迷い込んだときはそうだったから
正直おじいさんの方言はなにひとつ聞き取れなかった
「来たらよいといわれたので来てみた。雪細工を
 きれいにつくっていてすごいね」みたいなことを言ってた。
居場所ってなんだろう
それは「すきまにいるひと」が集まれる場所
「内側」と「外側」の境界がなくなる場所
「独自の世界観」を披露できる場所
わたしは「すきま」のある場所がすき 路地裏や雑貨屋
「お祭り」のときは
わたしは「すきま」の空気になって醸し出す

たとえば、その街にぽっと来たひとが、
独自の文化を発信し始めればそれで十分 
すきまができる
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2014年

11月

19日

背負い始めた理由とその結果

籠を背負いはじめたとき、
「キチガイか」と周りに言われたが、
これには訳がある。
説明すると長い。
まず、私が生まれ育った茅ヶ崎という街は、
道が入り組んでいて、車が通りにくい。
人口はだんだん増えるものだから、
空き地や公園はどんどん住宅地になっていく。
木登りをした大きな楠木も切られて道路になった。
子どもたちは遊ぶ場所がないから、道路で遊ぶ。
遊んでいるとき、入り組んだ道で車に追い立てられるのは、
子供心にあまり気持ちはよくない。
それをずっと覚えているものだから、
大人になっても車の免許はいらないと思っていた。
石油も使うし。乗ると酔うし。
必要に迫られて免許をとったものの、
合宿免許の場所で寄った尾道からフェリーで島で
渡る船に、日本唯一のモペットに乗る人を発見。
神奈川県の瀬谷で生産されていることを知った。
自転車ほど美しいのりものはないと思っていたので、
自転車に原動機を付けただけの簡素な乗り物を気に入った私は
早速購入した。
なんでも、渋滞している道では、普通の車も
2〜30km/時速しか出せないそうだ。
そして茅ヶ崎はれいによって道が入り組んでいるのでそんなにスピードは出せない。
原付で畑に通い始めて、野菜を沢山もらうようになった。
もらった野菜を持ってかえるのに籠を背負うのがよいと思った。
籠は自然素材なので野菜を収穫するのにも具合がよい。
水分が通しやすいから野菜を入れておいても腐りにくい。
全く持って理にかなっている。
そんなこんなで籠を背負い出してから、
いろんな人に話かけられるようになった。

特に60歳以上の、
ほとんどが昔農家をやっていた人
「懐かしいねえ」と声をかけてくれます。
それはそれで、外国にいるような気になるので、
私は自分が異国の人になった気がします。

コスプレしている人もそんな心境なのかな?
大学時代に常に裸足の先輩がいて、
その人はやはり独特の雰囲気を放っていたけど、
それはそれでやはり、いろんな人に話しかけられていた。

こないだ東京でやっぱり初対面のおばあさんにはなしかけられた。
そのひとの家は昔農家で、
3歳のころから農作業をさせられたとのこと。
働かないとごはんをもらえなかったそうだ。
米俵もわらじも藁からつくることを覚えさせられたという。
すごいポテンシャルだ。
たとえば金融危機がおきて、靴がABCマートで買えなくなったとしても、
藁さえあればこのおばあさん履物つくれるやん。
東北から東京に来て、定年になったから埼玉で畑をやろうとしたら、
みんな開発で住宅地になって、貸してくれるところはどこもなかったとのこと。
実家でも探してみようと思ったら、震災にあって、親戚も家もなにもかも
流されてしまって、もう怖くてテレビが見られなくなってしまった。今はラジオだけ。
おばあさんはそのようなことをその日初めてあった私に話した。
私は籠にあった野生の小松菜の葉っぱをおばさんに食べてもらった。
「田舎の味がするねえ」
と言っていた。
おばあさんは東京でどうやって暮らしているのだろうか?
いろいろ聞いてみたかったけど行かないといけなくて、お礼を言って別れた。
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2014年

11月

12日

のほほんと


お金をもらわないことのほうががんばれることもある。

大学の授業は何故か遅刻しなかった。

仕事は遅刻する。

なんだろう。これ。


仕事は認められる人が一人だから?

認められることを目標にしてた???


新しいことを知りたい。

何を求めていたんだっけ???


電気を使わない。

生きてるだけでいいのかな。

電気をつくるために働いているひとがいるんだよ。


毒がたくさん出てて

それをなんとかするために働いているひとがいる


私は何をするの??

何をする??


私は愛されたかったんだっけ??

それだけ?

そのちんけなプライドを守りたかったんだっけ??

いやいやいや


小さい私と大きい私


全心全力で愛されたい自分と

人類のことを憂いている自分がいる


どっちがほんとうの私??


何をするの??

何をする??


どうしたら一番効率的??

いや、なにが一番できる??

どうしたらいい?

草木染めずっとやってたら言い訳じゃないでしょ。


知りすぎているのだから

なんのために理系のこと勉強したの?

なんのためにドイツ語勉強したの?

なんのために、なんのために??

全部苦手だったのに。

数学なんて成績1だったじゃん。


イラストをずっと描いていていいの??

のほほんと暮らしていていいの??


いいな。猫は。なにも考えてないみたい。

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2014年

10月

23日

根本的に

効率を求められると


いちばんぐずな人がスケープゴートに

使えない人

みんな首にしちゃえば?


ひとりでやってればいい


根本的に競争に向いてないから

のたれしぬのかな?


つかれるのはどうしてかな

だれかを見捨てると

じぶんを見捨てるのと一緒だから

見捨てるだれかのなかに自分をみつけるから


ああかわいそう

また捨てちゃった自分を


だから死にたくなるのね

ああそうなのね


こんな社会はうんざりだっていうのね

どんな社会がいいのかな


見捨てられない社会だよ


はだかのおうさまだ

だれかなにかいって

その統制をぶちこわして


一撃で殺してあげる

言葉で


かわいそう

またやっちゃった


かわいそうだから

殺さないよ



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2014年

9月

22日

過程

愛とは、相手に執着しない、執着しないがゆえにあいてを憎まない、相手に期待しない、 期待しないがゆえに相手に失望しない、相手に見返りを求めない、見返りを求めないがゆえに尽くしすぎない。 そうありながら相手を想う。


と本に書いてあった。

子育てのようなものだというけど、

子どもに尽くさない親がいるだろうか?

子どもに期待しない親がいるだろうか?

(花が咲いたり、実をつけるのを楽しみにしないだろうか?)

子どもに執着しない親がいるだろうか?


逆に置き換えてみたら

放置プレーは慣れっこだけども。

むしろ邪魔されるのは嫌だけども。


相手を憎み始めたら、執着している証拠、ということだ。

かわいさ余って憎さ百倍とはよく言ったものだ。


でも、どうでもよかったら、育てさえしないでしょう。

水をやらないと草は枯れる。


執着するのも、憎むのも、期待するのも、失望するのも、

見返りを求めるのも、尽くしすぎるのも、

愛の過程ではないでしょうか?


その先に進みたいと、いつももがいているのではないでしょうか。

そういった感情さえも、結晶化させたいと。芸の肥やしにしたいと。

創造のかみさまに祈っておるのです。


かみさま

ぼくはもう にくみたくないのです


かみさま

ぼくはもう にくみたくないのです


かみさま 

ぼくはみんながわらっているのがいいのです


かみさま

ぼくは くうきになってもいいので


もっとかみさまにちかづきたいのです


こんな感情は苦しいからね

でもうまれてしまう。それはもう 大変 ばたばた 


ただ ただ 1ミリでも指を動かし

ペンを動かし


世界を愛した証拠を残したいのです。


透明になりたいとおもいます。




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2014年

9月

10日

方法

うん。

どうしよう。

誰も信じてくれない。

ミトコンドリアの損傷が

精神障害にむすびつくことを

うちのお父さん、

セシウム心臓にたまって

心筋梗塞になったって。

こどもがたくさん鼻血だしてるんだ。

これは僕一人の問題じゃない。

ぼくはたまたま水素の研究をしてた。

地球の生物の進化の歴史も習った。

酵母の遺伝子組み換えしてた。

お父さんが原子力の研究してた。

それだけだったんだ。

ほんとうは絵を描いていたいんだ。

でも知ってしまっているんだ。

放っておいてはおけないけど。

難しすぎてどうしようもないんだ。

一人でできるのかなあ。

どうしたらいいんだろう。

途方もない。

途方に暮れる。

一体いくらお金がかかるのか。

薬なんて開発できるのか

でも核戦争とか起こったら

必要になる人は沢山いる。

今だって水素のサプリがバカ売れしているのに。

どうしよう。

ぼく1人が仕合せに生きて、死ぬ問題ではない。


どうしたらいいのだろう。

家族に迷惑はかけられない。

どうしたらいいのだろう。

どうしたらいいのだろう。

かみさま教えてください。

どうしたらいいのだろう。


高麗人参

人参のミネラル?

亜鉛??

珪素??


かみさま教えてください

かみさま教えてください

かみさま

疑問を

自分の疑問が答えを知っているから

たとえば進化の途中

まだ放射線がたくさん降り注いでいたころ

葉緑体をもたない微生物は

どうやって放射能から身を守っていたのか

ストロマトライトは酸素を出していた。

だしたからオゾンができた。

酸素は放射線にあたってオゾンになる。

オゾン層が有害な宇宙船から生き物をまもる


みんな水の中にいたの??

プロトテカも水の中にいた

酸化チタンで活性酸素を出して

そしたらそれを消す酵素を出す??

水素を出す??

昔の生物は水素を出していた。

それは何のため??

その目的はなに?

ヒドロゲナーゼをつくる目的はなんのため????


それを調べる。



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2014年

8月

28日

「お手伝い」はいらないというからには

誰からも教えられなくてもやりたいと思う事

 
できたらいいな。
 
酵母が発酵したあとの排泄物がお酒になるみたいに。
 
赤ちゃんのときは誰だって
自分でおしめも換えられなかったのに
 
いつから「使える人」と
「使えない人」と
選別されるようになったんだ?
 
知っていることは全部教えて、
知らないことは教えてもらえばええやん。
得意な事と不得意なことみんな違うやろ
酵素だってはまる穴が違うやろ
 
森には、「使えない生物」
なんていないのに。
 
君は、どちら側のひと?
僕は、どちら側の人?
ふるい分けられるのはいやだよ。
僕はそれよりも沢山友達つくりたい。
助け合ったらできること、沢山あるでしょう。
誰かを閉じ込めるのはもううんざり。
もう十分排除しすぎて、元気がなくなる。
 
その人がいちばん好きなことをして、
誰かの幸せになれば、いちばんいいのに。
誰からも支配されない。
 
自分の好きな事だったら
だれの「お手伝い」でもない
自主的以外のなんでもない
オリジナルもオリジナル
だれも指図できない
自分で考えるほかない
だれにも譲れない
本気と遊びが一緒になる
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2014年

8月

20日

自主的に考える、空気を読む、手伝うの違いについて

 

 
ボランティア活動というのはなんだろうか
見返りを求めない??
うそうそうそ
 
何かしら望むことがある。
相手が「喜ぶ」という見返りがほしいのでしょう。
相手の喜びを知るためには、
相手を知る必要があるでしょう
独りよがりではだめでしょう。
 
お手伝いはいらない、空気を読んで自主的にって、
空気を読むためには
何が必要とされているか
判断する必要があるでしょう。
その判断は初めからできるものなのかな?
経験や場数が必要でしょう。
初めからなんでもできた訳じゃないでしょう
 
お手伝いじゃなくなるためには、
本当に自主的になるには
ほんとうに好きな事じゃないといけないでしょう
そうしない限りいつまでたっても誰かの「お手伝い」でしょう
 
あなたの好きな事で、誰かを幸せにできる??
好きじゃない事でも、誰かを幸せにできるけど、
あなたの中の誰かが泣いてやしないか。
自分に嘘はつかないでね。
そうしないとクリヤがやってくる
 
微生物は、自分の排泄物を誰かに食べてもらっている
そのくらいに生きているだけで誰かの役に立ちたいもんだ。
戦争の原因になるようなものを売り買いしても
心が病気になってしまうよ。
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2014年

6月

28日

躁状態の人と話すとき

 

 
躁状態の人は、話すのが止まらなくて、止まらなくて、
一緒にいると正直つかれる。
相手が聞いているのかどうかおかまいなしに
しゃべり続ける。
自分は、目の前にいるのにいないような気になる。
やりとり、ができない。
こわれた機械といるみたい。そういうときはなんだか悲しい。
 
初めてそういう人に出会うと、
円滑なコミュニケーションが成り立たないので、
ふつーの人はとまどう。
外国語しかしゃべらない外人が、さらに訳がわからなくなった感じ。
外人の方がまだアイコンタクトとかが通じる。
 
でも、「そういう人もいるものだ」
と慣れてくると、次からはあまり戸惑わなくなる。
ときどきそういう人はいる。
「よっぽど人に話を聞いてもらっていないのだな」と
思う。それは本当は自分もそうなのかも。
いつも、要点をまとめて、簡潔に、って求められているから。
みんな忙しいから。
そういう場面がたまりにたまって、
話をきいてくれそうな人に出会うと、
滝のようにしゃべり続けてしまうのだとおもう。
 
そういうしゃべりつづける人に対しては
私は意識的に会話をぶったぎるようにしている。
そうすると相手は話し続けている自分に気付いて「はっとする」
はっとする人はまだ大丈夫だ。
うちのお父さんはもうそれさえできなかった。
もう壊れてしまっていた。
話が通じるうちに、もっと父といろんなことを話せばよかった。
今では聞きたいことが沢山ある。
 
今までであった「話しすぎる」人で、
「はっとする」人はだいたい回復に向かっている。
私はそういう人にであったらまず、
自分の意見を忌憚なくいうことにしている。
その方がそのひとのためになる。
そういう人は自分自身に
「これ以上嘘がつけなくなっていて、心身に変調をきたしている」
ので、嘘を言う必要がない。
そういう意味では付き合いやすい。
だから私は変な人を避けない。
避けないで、「ほんとのこと」を言うようにしている。
 
最近参加したトーキングサークルというものでは
「ひとのはなしを最後まできく」
というシンプルなルールがある。
普段いかに自分が「人の話をきいていないか」
また、
「話をちゃんと聞いてもらえたと感じていなかったか」
がわかる。
 
 
 
あと、自分の「感じていること」を話すのが
ほんっっっっっとーに苦手な人がいる。
一体何歳の頃から封印され続けているのか。
それは私も然り、自分の感情の動きに鈍い。鈍すぎる。
出来事の1日後に感情がドアをノックすることもある。
 
ほんとは別のことを求めているのに、
口では全く別のことを言っているひともいる。
自分で自分の気持ちがわからない。
世間から求められていることを話しているのに、
自分の体や心がそれと乖離している。
その乖離を整理すると、すっきりすることもあるみたいだ。
そういう意味では、飛行機であった南米の原住民のひととかは
会話がシンプルで、とても付き合いやすかった。
 
で、壊れたロボットみたいな父親をなくしてから、
私は世界中の悲惨な状況に目をつぶることができなくなった。
私はお父さんを壊したのに、
幸せになれるのか。今でも十分幸せだけども。
精神病の人を病院に閉じ込めて、
テレビを見て笑うことはできない。
W杯だぜ、いえーってなれない。
相手を力いっぱい打ち負かすことができない。
自分は十分に排除した側の人間だ。
排除しつづけることができない。
嘘をつきつづけることができない。
世界を憎みつづけることができない。
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2014年

5月

24日

マニュアル人間のうた

 
 
指示を待ってないと、怒られたよね?
勝手に動くなって。
空気を読んでかつ自主的にってなんやねん。
決められたこと通りに動かないと、怒られたね。
 
悲しいね。悲しいね。
 
指示待ち人間はいらない。
お手伝いは、いらない。自分の頭で動けって、
考えて動けっていうんだ。
 
悲しいね。悲しいね。
 
言う事をきくように、育てられたのに。
いいこちゃん。ほんとはいいこじゃないよね。
内側の僕の言う事、聞いてる?
やりたいこと、わくわくすること。
お金をもらわないと、できない?
 
目の前のだれかを、あなたの好きなことで、
喜ばせることできる?
 
誰かを悲しくさせるエネルギー
僕たちの暮らし方。
幸せに、なりたいの?
 
怒られること、こわい?
おこるのは、だれ?
怒られる誰かを、意識するのは、何故?
怒られることを気にしないで、のびのびできることは何?
あなたに残された、誰も侵すことのできない、
最後のばしょは、何?
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2014年

5月

10日

飛行機

畑で作業していると、
飛行機の音がすごい。
軍用機の。
茅ヶ崎に住んでいて、だんだん増えてきている。
こんなに夜中も飛行機が通ったり、したことあったっけ?
だんだん音に慣らされているみたいだ。
「えっ平和だと思っていたの?
 植民地だよ。
 そのためにだんだん自給率へらしてきたじゃん。
 お米まずくして。水に塩素いれて。
 遺伝子組み換えの飼料を大量に使わせて、
 肉食化してきたでしょう。
 有機栽培を、イチオシしてきたじゃん。
 あれ牛と豚の糞つかってほしいからだよ。肥料として。
 水も民営化して、もうすぐ完成だ。
 もう静かにしている必要ないよね」
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2014年

5月

09日

無駄な抵抗?

遺伝子組み換えの作業自体は、

おままごとみたいだ。
ほんとうに簡単。
結構女の人が働いていた。お料理みたい。
料理は命をいただく行為だから。
命をいじくる行為は、神聖なもの???
いのちというこんな巧妙な仕組みのシステムを果たして
人はつくれるのかな?謎だ。
上流の方のコードまで操れるのか?
巨大なドミノ倒しの装置のような常に環境に応答して
変化をする生き物をつくれるのかな?
一体だれが、立体構造の酵素をつくりあげたのかな。
クリエイターってやつかな。
 
ネズミの解体実験みたいに、
「残酷だ」とおもう自分と
「プラモデルの解体だ」と
思う自分の切り替えスイッチが生じる。
人間は誰でも残酷になれる。
 
ネズミや大腸菌を殺すのが仕事の人もいる。
ある目的のために。
素晴らしい成果があれば、
それまで死んだ沢山のいのちに意味はあったのかな?
 
どうして、戦争から帰ってきた人たちは自殺をするのだろう?
なんの良心の呵責も生じないなら、
世界はもっと早く殺戮の現場と化して、
人類はもっと早く滅びていただろう。
 
どうして、私たちの心は痛むのだろう。
痛まないのであれば、
もっともっとやりたい放題できるのに。
ロボットにだってなれるのに。
 
どうして、どんなに少数派だとしても、
声をあげることをやめない人たちがいるのだろう。
何も疑問を感じずに、テレビや流行を追いかけていればいいのに。
素敵なCM。素敵な広告。
まつげを伸ばすことに一生懸命になっていればいいのに。
つけまつければいいのに。
 
どうして、私たちはアレルギーになるんだっけ?
どうして、病気になるんだっけ?
体は何を教えてくれているのかな?
僕たちの世代は、だんだん体が弱くなっている気がするよ。
 
薬をもっと沢山のめばいいのかな?
お金をもっと沢山稼げばいいのかな?
車や、マンションが欲しい?
幸せになりたい?
幸せってなに?
 
不思議だな。
 
そう、滅びるならさっさと滅びればいいの。
どうしてそれを止めようとする人たちがいるのかな?
何がしたいのかな?
 
別に、ほうっておいてもいいんだよ。
 
 
 
 
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2014年

4月

19日

灰色の街

国会議事堂。ドイツの国会議事堂は戦争でめっちゃめちゃにされたので、

ガラス張りにして、そこからエネルギーをとるようにしたらしい。

 

日本みたいに沢山の警官の人はいない。川が近くに流れていて、

観光船もとおっている。

 

何だかスーツは苦手だ。黒としろと灰色。

ああそう。名刺という紙切れ。

クッキーは受け取らない??

庭でとれた夏みかんを使いたいだけなのよ。

食べ物はみんなメディスンなんだって。

 

地球は女の人だと「地球のレッスン」には書いてあった。

日本人にスーツって似合わないな。短足がよけいに目立つよ。

 

ベルリンもそりゃあ灰色の街だけど、

デモのときは色とりどりの旗が色めきだっていたよ。

人々の心で色づく街、ベルリン。

 

そう、「あなたはつまらないわね。」

っていっている人の顔つきってわかる。

でも誰だって、そんな顔で見られたくないでしょ?

だれだって、大切に扱われたいはずだよ。

もっと丁寧に人と人がつながれるような場所を

求めているはずだ。少なくとも私はそう。

 

庭の夏みかんを使いたいだけなんだ。

工場の歯車のひとつになりたいわけではなくて。

生きていく術を知りたいだけなんだ。

 

 

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2014年

3月

11日

あなたの心はうけとりました。

あなたの心はうけとりました
あなたの哀しみはあなただけのものだから
あなたがくれたやさしさで
どれだけのまわりのひとが
すくわれていたのかと
あなたがいなくなる
そのときに誰もがみんな
涙を流して偲ぶことでしょう

ゆっくり ゆっくり
水が滴り落ちるように
哀しみがぽっかりと
胸に空いたときには
少しずつ 時間をかけながら
涙で満たしていくのよ
かなしい思い出や
嬉しい記憶の
つながる 命の ゆくえは
どこへいくのか。
つないで つないで
ゆっくりと

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2013年

12月

28日

種をまくポーズ

緑肥と発酵をした堆肥と有機と無農薬無肥料の違いをよくわかってなかった。
自然農法と自然栽培と自然農の違いもまだ完全にはよくわからないけど。。。
とにかく蒔いた種の芽がでますように。
お釈迦様のポーズは種を蒔いているのではないかと思う。
 
野菜がもともとできた土地とその気候やルーツを調べて、
実際育てる畑の土で野菜を育ててみて御見合いをする。
やはり森の中の土は遷移が極相まで進んでいるから使うと調子がよいらしい。
発酵も、どの位の期間放置すれば窒素が完全に分解されるのか。
有機でも、動物性のものは飼料に何が混ざっているか分からないとのこと。
昔から牛の堆肥の臭いはあまり好きではなかった
でも必要なんだろうなと思っていた。
それを使わないで済むなら農業のイメージが刷新されるではないか。
窒素系の人口肥料もオゾン層破壊の原因とされているらしい。
http://www.jst.go.jp/pr/announce/20101126/
http://www.riken.jp/kankyohokokusho/2011/e-activities/hi-light1101.html
何故広まらないのか?
JAを通さないと農家として認められない不思議。
2/14に岡本よりたかさんがトニーズさんで
その辺のからくりのお話をするらしい。
 
私は特にJAに恨みは持っていない。でもアトピーだから
物理的に体に負担のないものを必要としている。
国会議事堂の前で
「国会議員よ恥を知れ!」
というシュプレヒコールがあったけど、
「恥を知れ」というほどの情熱は自分にはないなと正直思った。
怒りを感じるほど問題の核心にせまっていないのだとおもう。
 
最近は小松菜とれ放題で朝の小松菜リンゴジュースがお気に入りだけど、
りんごの自然栽培が日本で成功しているのは木村秋則さんだけらしい。
長野の御宿分校館でのんだリンゴジュースがおいしくて、
思い出したので注文した。
http://www.yoshizumi-noen.com/o_saibai.html
 
伊那の駒ヶ根〜西春近のあたりは私の遠隔地ナショナリズムが働く
場所だ。暮らしたこともないけど何故だか懐かしい。
善積農園もその辺だった。
 
 
私の世代でクラスに2〜3人だったアトピーの子が
今では二人に1人ということらしい。
体にいらないものを必死に出そうとしている症状のようにも見える。
一体何を出そうとしているのかな。
 
朝起きると心臓が軽く痛むが、
鼻で呼吸をするとラクになる。
 
病気や死や痛みや苦しみはいろんなことを教えてくれる。
 
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2013年

11月

22日

ヘビーローテーション

ずっとヘビロテしている曲。

 

miccaさんは作詞の天才だな。

言葉が美しすぎる。

 

想いは届かず、願いはかなわないから

美しいのかもしれない。

 

そうしたらその想いや願いに存在する意味はあったのかな?

それはわからないままだ。

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2013年

11月

01日

差別、外見、比べることについて


 
瀬谷駅で、フキプランニングのモペットを試乗しにいくときに
小人症の男の人が目の前を歩いていた。
私は小学4年生の平均身長と同じくらいで、
一応免許をとったから原付にものれてしまうわけで、
本物の原動機付き自転車、しかも車輪が24インチのものを
見に行くわけだが(身の丈にあったものを使った方が安全だ)、
背が小さいことによる周囲の反応はなんとなくわかる。
私は別に小学生のふりをするのはいくらでもできるけど
小人症の人はそうはいかない。
街を歩くのは勇気がいることだろうなと思った。
私だったらとても勇気がいる。
 
案の定中学のジャージを着た男子の集団が
好奇の目でその人を見ていた。
わたしはその男子の集団をずっと見ていた。
人が人をそういう風に見るときの顔をスケッチする。
表情でわかってしまうものだ。
脳のカメラに記憶する。
記憶をたぐる。
 
高校生のときにドイツに交換留学していたとき、
登校経路の脇に職業訓練校であるハウプトシューレがあって、
自転車で登校していたら
同じ位の年齢のその学校の子達に、
「中国人!」と叫ばれた。
その叫んだ子は瀬谷駅の中学生男子と同じ表情をしていた。
 
私はむっとした。
むっとしたのは「中国人」と呼ばれたことに対してか?
いやいや中国人ではなくて日本人だぞ。
と訂正したかったけど、
それはつまり「中国人」という言葉が侮蔑の対象になって
いるということだということに気付いて、
「ああドイツでは中国人の人は差別されているんだこれが差別というものか」と思った。
私はその一連の出来事に動転して、何も言えずにその場から立ち去り
学校に行った。
でも結構その出来事がショックで、
教室についたときに思わず泣いてしまった。
クラスメイトの子達がびっくりしてどうしたのと
聞いてきた。
「ハウプトシューレの子達なの?あいつら…私が見つけたら
 とっちめてやる」
とクラスのリーダー的な女子が言ってくれた。
私はその言葉にずいぶん勇気づけられた。
 
その後、その構造について考えてみた。
ギムナジウムは大学に進学するひとの学校で、
ハウプトシューレは職業訓練校だった。
ドイツでは小学4年生位でどの学校に
行くかが決まり、将来の進路が決まる。
 
自分のやりたい職業が見つかればいいけど、
まだよくわからないまま、成績だけで
選別されたハウプトシューレの子達はむしゃくしゃしているのだろう。
差別をする人もまた差別されているのだ。
そこに私のような1年しかいないとはいえ呑気そうな
アジア人がギムナジウムに登校しているのが気に入らないのだろう。
 
江戸時代の士農工商、穢多、非人のようだ。
人を区別して、選別する社会は不満のはけ口を必要とする。
 
私はその後カラオケ大会でアヴリルの歌を練習し、
(ドイツでは日本ほど個人のカラオケは流行しておらず、
 カラオケと言えば歌唱大会のように人前で歌うのが前提)
ANYTHING BUT ORDINARY の歌をみんなの前で歌った。
 
その後から、あまり侮蔑の声をかけられることはなくなった。
人を見た目で判断する人には、
「目に見えない才能」を努力して獲得し、
その人にわかる形で見せるほかないのだ。
つまり感動を与えること。
私はこの歌の一部の歌詞が好きだった。
 
Let down your defenses
守りに入るなんてやめて
Use no common sense
常識なんて捨てて
If you look you will see
そうすれば見えてくる
That this world is a beautiful, accident, turbulent, succulent,
この世は美しく、思いがけず、荒々しく、みずみずしく、豊かで、
Opulent, permanent no way
変わらないものなんて無いってことが
I wanna taste it
私はそういうことを感じたい
Don't wanna waste it away
決して無駄にしたくない
 
自分の本当にやりたいことがわかれば、
誰かと比べる必要もない。
誰かを妬む必要もない。
その時間があれば自分のやりたいことをすればいい。
このシステムの何に乗っかっているのか。
どうしてやりたいことを見つけられないしくみに
なっているんだろう。
 
瀬谷駅で見た中学生の子達も
「選別」され始めていることに苛ついているのかな。
私は自分が小人症だったら
あの人のように勇気をもって街中を歩けるだろうか。
 
祖母に六ヶ所村と東北について少し話しを聞いた。
名古屋の臨時国会でも、なぜか差別の話になり、
内田樹さんの東北論がでてきた。
 
 
このシステムから降りるにはどうしたらいいのだろう。
 
 
 
 
 
 
 
 
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2013年

8月

29日

人が単純に必要としているもの

保育所の仕事で、

 

男の子から踏んだり蹴ったり結構本気で殴られたりして

痛いんだけど、

 

そのうちのひとりが

ある日

「抱っこしろ、さもないと殴るぞ!」

と言ってきたので

とりあえず4歳児だけど

しばらく抱っこしたり肩車したりしたら、

それまで殴ったり暴言を吐いてきた男の子たちが

急にみんなスキンシップを求めるようになってきた。

殴られたり蹴られたりするよりかは

そっちの方が身体的にラクなのでそうするようにした。

 

4歳って微妙な感じで、

甘えられるのと甘えられないちょうど境目くらいの感じで、

でも発達はやはりいきつもどりつするものだから、

小さいうちは思い切り甘えれば良いとおもう。

相手が誰であれ。

 

前の職場は小中学生相手だったから、

下手にスキンシップができなくて

逆にやりづらかった。

 

発達に可塑性があるとしたら、

むしろ何歳になろうが甘えるべきときに甘える方が、

その子の未来は拓けるように思う。

 

しかし荒れてる家庭ほどスキンシップの効果はわかりやすく

出ると思う。

特に父親がいない家庭でお兄さんボランティアが

肩車とかしてあげると子どもはめっちゃ喜ぶ。

 

子どもがふるう暴力は、ある意味メッセージなのだと思った。

「助けて!」って言っているような。

他の方法を知らないのだきっと。

 

誰かが怒ったり、怖い言葉を言ったりしたとき。

それが尊敬する人であるほどすくみ上がってしまうけど

その人がそうなるまで追いつめた自分は

どうしたらよいのだろうか。

 

僕ができることはなんだろう。

その人が楽になるように

荷物を持つことはできるだろうか。

どうやったら支えることができるのだろう。

 

誰かを支えようとしている人ほど

いちばん支えを必要としている。

 

言われたことは直すしかないし、

気づかない自分を責めても仕方ない。

次にできることを考える。

 

嫌われることを気にしていたら

本当の愛ではないなきっと。

 

必要以上に落ち込まず、

心のクッションをいつもやわらかく。

 

喜ぶ顔がみたいのだろうきっと。

その人が喜ぶ顔がみたい。

 

だから何ができるか考える。

ひとりの人を喜ばせることができたらきっと

それを世界全体に広げることができるだろう。

 

 

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2013年

8月

28日

ほんとうに必要な仕事

昨日の話のトピックとして印象に残ったこと。

「葉っぱを使い始めたらトイレットペーパーは全然自分に優しくないことに気づいた。 あじさいの葉が最高」

「君に伝えておくけど、俺たち夫婦が死んだら君が選んだ森に骨を埋めてくれ。 君が一番信用できそうだから。」

「おれはシュレッダーに喜んで紙を入れ続ける。単純作業は好きだ。」


多分、自殺してしまう人って、シュレッダーされる紙の痛みを感じてしまうような人なんだろうな。分子生物学を研究している人たちだって、ネズミを毎日殺すのが仕事の人もいる。


「痛む心では働けない」と誰かが言っていた。


本当に、シンプルに、人が生きるために必要なものを作り出している仕事ってどれだけあるのだろう。

心が痛まない仕事をつくり出せたらいいな。

 
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2013年

7月

22日

私には、一万円を寄付してくれる友人は600人もいない。

私には、一万円を寄付してくれる友人は600人もいない。新しい党として選挙に立候補するというのはそういうことだ。一般人が立候補するのってそういうこと。三宅さんが言っていたように「立候補者を孤独にしてはいけない」のだと思う。政党交付金は、国会議員5人いて、得票率が2%以上だともらえる。今回当選者が出なかったから、供託金は没収されて、またやり直し。緑の党と他の脱原発を唱える党が一緒だったらいけたって声を聞くけど、私は、中に入って実情を知っているわけではない。逆にいえば、「私は」緑の党と他の党が一緒になるのに「何か」主体的に動いたのかと言われれば何もしていない。立候補したひとはみんな「私」を主語にしている。W統一杯 日本予選。サポーターのがんばりがもろ結果に影響する。っていうかサポーターも実はプレーヤーだった。
 「一緒に考えて動く人になりなさい」って言われている気がした。ほんとうは全部自由。他人に何かを強要することはできない。立候補するのも、ギターを一生引き続けるのも自由。政治に興味ないって言って一生終えるのも自由。私はたまたま知り合いが立候補して、話を間近に聞ける位置にいただけ。ちょっとだけ手伝って、そして結果に一緒にくそみそになって悔しがっている。選挙にお金をかけるよりか、再生可能エネルギーの普及にその力を注いだ方がいいっていう声があって、私はなぜ「市民」が政治に関わっていく必要があるのか、うまく説明できるだけの能力がなかった。応援するっていうのは、自分が「立候補者」並みにその政策や考えを体現できるくらい、勉強して立候補者の代わりに対話する相手の心を「戸別訪問」するようなものなのだと思った。私はまだまだ勉強が足らないのだ。ワトソン君。もっとガンガン、考えの違う人と話す訓練が必要なのだ。それこそ非暴力トレーニングだ。批判を聞いて傷ついている場合ではなかった。批判こそ「ありがとう、その点についてよく調べてくるからもう一度話そう」って返すべきだった。相手をコテンパンにやっつけるためではなくて、相手の話を聞いて、誠意をつくして話し合う心がまえが足りなかった。あーんドラえもん。助けて!ドラえもんはいなかった。便利な道具はなかった。心を開く道具なんてない。自分の頭と体と心しか持っていない。TPPに入ることによって、どんな変化が起きるのか。うまく説明できなかったことが、実際にどんなカタチになって生活に現れてくるのか。あるいはまったく現れないのか。家庭菜園をしている人が賢いのか、地に足着いた暮らしってどういうことか。
いろんなことがぐるぐるしている。
暮らし方を変えるのがトランジションタウン。政治に訴えかけること。
地に足のついた暮らしをすること。暮らしを楽しむこと。両方必要なの。
両方。
 
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2013年

7月

20日

つながりとひらめきと行動

木村ゆういちさんが、障害をもったおこさんが福島で生まれているのことを話して、それを脱原発と結びつけることに「統計的根拠」がないということで、批判されている件。私の中でも意見が飛び交っていて、すぐには反応できなかった。
 
私A
因果関係が証明されないと、だめだ。福島に住んでいるヒトたちのいらぬ差別をうんでしまう。
 
私B
おいおい因果関係がそんなに大事かい。今できることってなんだ。
逆にいえばもし証明できてしまったらどうするんだ。数の問題なのか?
それって統計の問題なのか?
予防原則っていうのは「因果関係が証明されてしまったら取り返しが
つかない」から予防原則っていうんじゃないのか?
だってもとに戻す方法がわからないんだから!
 
私C
いずれにしても、私ができることは、障害を持ったヒトたちと接し続けることだ。彼らと接していると…とくに彼らが描く絵は。
人間とは何かを考えさせられる。
 
私D
私Bの気持ちの代弁として、ケネディ大統領が語った言葉がある。あとで引用しよう。
 
私A
誰でも見える調査を行わなければひとびとは納得しない。
そういう調査を行える環境があるのか。勇気を持った科学者はどれだけいるのだろう。すでにそういう調査はあるのだろうか?
12人の甲状腺がんになった子どもがいるという事実はどう世間に受け止められているのだろう?
ひとつの指標として、低身長の子どもの割合を調べることが、
もっともお金をかけずにできる調査だと西尾先生は言っていたよ。
 
私B
もう3年たてばわかる。わかってしまったらどうする。今できることはなんだ。今出来ることは。
 
私C
つながりつづけることだ。一番弱い立場のヒトが声を聞ける位置にたちつづけることだ。心配なことは「心配だ」と声をあげれる社会をつくりつづけることだ。
 
私F
全然話は変わるけど、無事に生まれてきているということは、すでにたくさんの試練を乗り越えてきているということだから、生まれてきた個体は逆に強い生命力を持っている気がする。
 
私D
確かに、生命は環境に応答して、酵素をつくる。危機に大して対抗する酵素を誘導できたものが生きて、生まれてきているのかもしれない。
過酷な環境において、生き延びた種は過剰なほど強くなる。
 
私C
でも、死んでいく命や、障害を持ったヒトの命に意味がないなんてことはないよね。存在で、魂の表現をしきっているのだから。
最首悟さんという教授の方は、星子さんという重度障害の娘さんと一緒に暮らしているけど、脱原発の立場をとっているよ。
僕たちはもうすでに、美しい世界に生きているとおもうんだ。
そんななかで、すべてがもし決まっているのなら、
なぜこんなにもがく必要があるのか
なぜ心が痛むのか、知りたい。
痛む必要がないなら、とっくに楽に生きているはずなんだ。
 
私D
あまりにたくさんの現象がおこりすぎていて、混乱しているな。
こういうときは、体を動かすのが一番だよ。
 
 
映画のチラシを300枚まいて、来てくれたのは一人だった。
もうひとりの自分が、
「おい、紙をまいて、何か変わるのか?お前は何をやっている?資源と労力と時間の無駄ではないか?お金をもらえるわけでもないのに」
と常に問いかけてくる。そんなのわからないよ。。。
よくわからないけど「流れ」がそうさせるのだよ。
そういうふうに、できているから、止められない。愚かでも滑稽でも、
キチガイでもかまわない。病院には入らないもん。
捕まらないぎりぎりのところでキチガイをするんだよ。
薬は、飲まないよ。病気にも、ならないよ。
むしろ捕まってもいいわ、もう。
だってそういうふうにできているんだもん。
でも意外にひとりきてくれたよ。
私が書いたチラシで。
ヒトをかえるのって大変っていうか、かえられないわ、こりゃ。無理だ。
そのヒトの話をきくことしかできない。
人前で話すよりも絵を書いたり、チラシをポスティングする方が
私はやりやすいと思った。あーあーあー
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2013年

7月

11日

学ぶべきスキル

長野の佐久に行ったときに、カラマツばかりが植えられていて、そこが「昔は田んぼだったんだよ」と聞いてびっくりした。森に光が入っていない。人が上田人工林は、人の手が入らないとたちゆかないという。自然の植生は不思議と、木の高低に序列ができる。木の高さが違うから、森に光が入る。それぞれの木が光をわけあっていながら、木の種類はその土地に固有で、それでいて種類が多い。多様性と調和の見本が、自然界にある気がした。人が使うものが食べ物や、水や、空気なら、売れないから、お金が手に入らない(紙幣という信用をともなった紙)といって自分の住んでいる土地に生えている木を使わないというのは、それこそ「合理的でない」と思う。自然の理に沿っていないということだ。お父さんが自殺をしたセレニティの当事者の人も言っていたけど「誰もが置き去りにされない社会」をというのは、何も経済が成長してそのおこぼれを頂戴するためにみんながあくせく働く社会ではなくて、「すでにある」家族や命のつながりの大切さを、それを失った人たちが「いちばんに考えて」ほしい、価値をより高貴なものを高位に置くようにしてほしいと言っているのだとおもう。経済が悪化すると、自殺者が増えるというけど、借金で首がまわらなくなって自殺するというこの社会の仕組みがおかしいだろう。お金は紙で、食べられない。
経済が悪くなっても、それこそ山から木をきってきて家を建てれたり、田んぼでお米をつくったり、いろんなものを融通しあえるようなコミュニティをつくるスキルを身につけていれば、「生きるために必要な」ものはそもそも空気と水と土と人とのつながりでそれがあれば人は生きていけると「実感できる」ような力や知恵があれば、自殺をしたり、心の病にかかる人は少なくなるのだろうか。私にはそのスキルがまだ全部足りない。足りないけど、10年前にドイツに行って、緑の党があるということを知った。緑の党は奇もてらいもなく命が最優先だと言ってくれた。人だけではなくて、微生物も含むすべての生物の命のことを。だから私は緑の党を応援したいし、

「生きるために必要な」スキルをこれからも学んでいくと思う。

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2013年

7月

09日

頭と顔のボディワーク

タオルとペアでヘッドマッサージのワークをした。

いかに普段頭に力を入れているかわかった。

 

顔や頭にまつわるエピソードをみんなで披露した。

 

頭から先に動かすことをした。

 

内側の顔と、外側の顔、というテーマで絵をかいてみた。

 

みんなはよく、どろどろするものがでてくると、いうけど。

 

私の場合は中に閃光があった。

カッとなって感情の制御が効かない状態。

そしてあまりよく考えずに言葉を使って人を傷つけてしまう。

 

しかしそれは実は本来のエゴなのかもしれない。

それを隠すために青とか、沈静化する色をまとっている

ような気がする。

 

とりつくろうために。でもひび割れて、感情の光が漏れだしている。

 

藍は、染めるときに蛍光の黄色が現れる。

なんとも不思議な色の取り合わせ。

 

描いた絵から、両方の動きを表現してみて、といわれ

動いてみた。

さっきの閃光の方は、沸騰した空気分子のような感じ。

いろんな方向に突き出て、ぶつかって、分子は早く動いている。

 

外側は、水のような感じ、ゆったり、穏やかに動いている。

 

お互いの動きのバランスがとれているからいいんじゃない、

といわれた。

外側の動きもそんなに自分で嫌いでないだろうと。

ようは、バランスがとれなくなったときが問題らしい。

外側も内側もあわせて自分。

そういわれて少し楽になる気がした。

 

 

 

 

 

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2013年

7月

03日

なぜ関心をもつのか

何がいいとか、悪いとか、判断基準も、価値観も、持って生まれたものと環境でつちかったものがあるのだろうか?世界は良いことも悪いことも混沌としている。何がよくてわるいかと思うのも自分次第だ。その中で自分が持った悩みというのは多分自分が生まれてきた意味に直結しているのではないだろうか。
どうして社会の問題に無関心といわれるひとたちが圧倒的多数なのか?と問うときに、なぜ自分は逆に関心を示すのか?その関心は一体どこから来た?それは「自分に関わりのあることだから」なぜそう感じるのか?「現状がよくないと感じるできごとがおこったから」それは本当にそう思うに足る因果関係があったのか?「直感的に」「体験から」それをその体験をしていない人に伝えられるのか?「わからない」「でも痛みを感じている自分に嘘をつくことはできない」無関心といわれている人が痛みを感じていないというのか?「否」「感じている」「本当は感じていると思う」「知らないうちに」たくさんの矛盾を抱えながらそれでも伝えることができるのか?「わからない」「独りでは難しい」たくさんの考えの違うなかで、自分も傷つくし、相手も傷つける。それでもその痛みに関わりつづけることが、魂のカタチを表現することにつながる気がする。自分が一体何者なのか?を知る手がかりになる気がする。

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2013年

6月

28日

チャリティハンコ展

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2013年

6月

21日

ドイツ語の勉強に本腰を入れる

私は10年前になんとなくドイツにいった。

ドイツの人たちは理系と文系の両方を学んでいた。

 

グリーンピースとは独立して緑の党がいた。

僕はずっと憧れ続けていた。

緑の少ないドイツで。

頭がおかしくならないようにがんばっている人たちがいた。

 

技術だけでどうにかなるわけではない。

そう、社会をどうしたいかという意思が大切だ。

 

僕はもう少し、実力をつける必要があるみたいだ。

ちっぽけな私が何ができるのか知りたい。

何ができるかな?

もう少し、世界をつなげる言語を学べば、

僕が感じるもどかしさを伝えることができるだろうか。

 

今から思えば親に結構な額のお金を出してもらっているのだから、

それで仕事ができる位になって恩返しになるのだろう。

 

勉強がイチバン楽だ。

やればできるのだから。

人間関係の方が難しい。

独りではできないから。

 

言語はそれでも楽しい。

人と通じ合うための学びだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2013年

6月

05日

手で考える、体を心にする

私は自分が感じているけど、

言い表せなかったことばを

表現している人や本に出会ったときに感動する。

 

逆に言えばそうでない人の言葉を信じない傾向にある。

これは悪い癖かもしれない。

 

Bress made visibleという映画を茅ケ崎でみた。

90歳を過ぎても踊りつづける、アンナ・ハルプリンという女性の

半生を追ったドキュメンタリー。

映画上映準備会の主催者である越地清美さんが部分的に訳した彼女の著書の中に、

ドキッとする言葉があった。

 

「病気の人々について言えることのひとつは、身体的なリアリティに対する

コントロールが欠けていることだ。からだはそうしようとも思わないのに

勝手に変わっていく。真っ白な紙をもってきて、そこにイメージを描くことが、

彼らのこれからの人生をコントロールするための第一歩だ。それらは外的世界をコントロールしている」マイク・サミュエル

 

今朝、姉のうちに転がっていたSFの本の中にあった言葉。

「数限りなく行われた脳科学に関する実験のひとつは、人間の意志、たとえば

 『コップを持つぞ』という決断が、実際にコップを持ったあとで

 (正確には、持つために筋肉が動き出してから)、脳の中に生じている

  ことを明らかにした。意識は肉体の主人とは限らないのだ。つまり意識の

  座である脳が全身を統御しているわけではない。脳ならずとも全身の神経系が行動決定に関与している。言い換えれば指先まで一続きの脳なのかもしれない」(天冥の標 羊と猿と百掬の銀河、小川一水)

 

昔私は双極性障害になった父を朝の散歩に連れ出したことがある。

何か感動するもの、美しいものをみれば父が良くなると

単純に思考したからだ。

中学生の頃から新聞を配りだした私は、

朝に虹がたくさんでること、

朝の海はピンク色と水色がきれいなことを知っていた。

 

感情を感じること。

脳だけでなく体全体で感じること。

ダンスはそのバランスを取り戻す行為のように感じる。

 

たとえば誰かに悪口を言われて、

それを悪口と認識し、

からだのどこかにストレスを感じる。

ストレスというテンション(緊張)を感じた

細胞のいくつかは、壊れてしまうかもしれない。

からだは涙を流して、防御反応を示すかもしれない。

 

身体の再生能力を超えない限り、

「傷つく」という行為は生き物の進化の方向性

を決定づけるのに必要なことだ。環境との相互作用によって、

遺伝子の変異は生じる。傷は、進化の道標になる。

悲しみを感じることができるというのは幸せなことだ。

 

心の病の「こころ」とは一体どこにあるのかという話だけど。

たとえば脳のミトコンドリアが損傷して、

それが再生不可能(不可逆的)な部位だったとしても、

体全体が「こころ」であるならば、

その人はまだ「生きている」

脳死は認められないということになる。

 

絵を描いたり、ダンスをするという身体表現は体を「こころ」化して、
全体性を取り戻す作業なのかもしれない。
まさに「いのち」そのものになる行為。

体の動きを通して、僕たちは自分のこころの形を確かめる。

どこがひっこんでいたりくぼんでいるのか、

でっぱっているのか、ひとつひとつ見ていく作業。

自分を知るための作業。

世界の意味を知るための作業。

映画を見て、癒しとしての身体表現についてもっと取り組んで行きたいと感じた

 

 

 

 

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2013年

5月

25日

ネパールのもの

ヒマラヤンテキスタイルの箱が届いた。

ネパールの手漉きの紙、ロクタ紙でできている

とのこと。

ヒマラヤンマテリアルの糸も買ってみた。

リネンとイラクサの二種類。

流木を海で拾ってきた。

綿もある。

これで包装は何とかなりそう。

好きだと思ったり、愛しいと思う

身の回りのものは何故かネパールのものが多い。

山岳民族のひとたち。

人の手でつくられたものには

そこに込められた愛を感じる。

見ているとうれしくなる。

自然の造形物は美しい。

流木は波に洗われて丸くなるし

綿ははじけてふわふわになる。

 

何かをつくること。

これが私の祈り。

 

 

 

 

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2013年

5月

22日

減反政策を蹴っ飛ばした佐久に植えられたカラマツ

5/18~19で長野の佐久というところにいってきた。

 

2/17~3/19の期間、静岡県の木の花ファミリーというところで

エコビレッジデザインエデュケーションなるものを受けてきた。

 

そこで知り合った長野県佐久市出身のSちゃんが、

幻の長野県産のコシヒカリ”五郎兵衛米をつくっているというので、

興味があったのと

私の父方の祖母が佐久の臼田出身ということで、

どんな風景が広がっているのか見てみようと思った。

 

五郎兵衛米がおいしいと言われる理由

1.水が綺麗なこと(浅科山からひかれた用水路によって)

2.土が強粘土質であること

3.日照量が多い事(国内2位。1位はおそらく飯田市)

4. 朝夕の寒暖の差が激しいこと

5.でもつくれる面積が400ヘクタールしかないからあまり

  流通しない。まさに幻のコメ

 

どうして粘土質だといいのだろう?

日本の土は粘土質で、セシウムも作物に取り込まれにくいという。

行ってみてわかったこと

長野の人の生活スタイル

朝、早くおきる

午前中農作業

午後 昼寝

晩御飯 早め

寝るの 早め

昔祖父母のうちにいたころと同じ生活スタイルだったので、

なんだか懐かしくなった。とくにこたつで昼寝をするところ。

ほんとうに泣きたいくらいに懐かしい。

 

こたつにマメタンというものがつかわれていて、電気を使わずに

ほりごたつがあたたかいのが驚愕だった。

梅干しの黒焼きも初めてみた。ウメぼしを七輪のなかに

入れて、炭化させる。それにお湯をそそいで、上澄みをのむ。

なんともいえず不思議だがおいしかった。極陽性でのどに良いらしい。

 

薪はすべて所有している山から伐採してきており、

薪ストーブ及び炭焼き場で炭化させて、石油ストーブのかわりに

大きな火鉢で鉄瓶でお湯が常に沸いている状態。

冬はほとんどガスは使わないそうだ。

Sちゃんのお兄さんのおうちも見せてもらったが、

古民家に太陽光パネルが広々と乗っかっていた。

オール電化で、ガスはまったく使わず、薪と電気で賄うらしい。

Sちゃんは小さなパネルを乗っければ十分にエネルギー自給

できそうな環境だった。

 

田んぼに行って見せてもらったこと

高齢者の方達がとてもたくましい。

3.11以降、田んぼに水がちらほら入るようになってきた。

水は隣の田んぼから流れてくる(水の加減、時期を守る、

近所づきあい必須)

いい意味でも悪い意味でもコミュニティが根強く残っており、

保守的。

良い意味:お金を使わずに食べ物のやりとりをしている。何かあったら助け合える。田んぼを代々守り続けることで、先祖の土地を守っている。

悪い意味:農家が高齢化していても、新しい若者を呼び込みにくい。

     警戒心が高く、Wooferなどを受け入れるのにハードルがある。

     真面目なので、「来るなら移住するくらいの気持ちで。通いで来てもらうよりもその方が技術が頭に入るだろう。」

この言葉は、都会に住んでいて自然によりそう暮らしにあこがれる人には

結構重たい。

手始めとして気軽に援農にこれる仲介的な役割を担う組織が必要なのかもしれない。

Sちゃんによると3反の畑でも資材やら機械やらで毎年100万円の

赤字だという。6反位でトントンなのだそうだ。

いろんな品種の野菜や宿泊業など収益源を多様化し、

若い人が農業を担っている木の花ファミリーのような

コミュニティは経済的な意味でも持続的だなとおもった。

 

農薬を使うことについて

Sちゃんは13年の試行錯誤を経て、しかるべきタイミングに一回だけ

農薬を使うようにしたという。いろいろな人の助けを借りながら

一人で3反の田んぼをやるというのは相当大変なことみたいだ。

それでも本当に農業をやる人から見たら遊びのようなものなのだという。

苗も、育てるところからはできないので、親戚のつくってくれている

ひとのところに軽トラで取りに行く。

Sちゃんの得意分野は、宇宙エネルギーを使って

おいしいおいしいお米をつくること。

「いろいろやってるのよ」

と言っていて、詳細は聞かなかったが、お米の苗に声掛けは毎日しているという。

おいしさと品質が証明されている出来事として

できたお米は日本に7人しかいない食のマイスター

の人が経営している「職人館」というところにお米を仕入れているらしい。

「うちのお米、おいしいらしいよ~」

Sちゃん、他人ごとのような口調がおもしろい。

そして、日本で一番厳しい審査といわれる(初めて聞いたけど)

共産党の人たちが行っている残留農薬と放射性物質があるかどうか

の検査も、なぜか一回農薬を使っているのにもかかわらず

作物には残留農薬がないという書類を見せてもらった。

宇宙エネルギーの仕業なんでしょうかこれは?

 

 

山に行って見せてもらったこと。

切っている山とそうでない山の違い。

弱い木から枯れ始めている

ハリエンジュが蔓延してきている

ヤマザクラ→松→栗→クヌギ

木の年輪から、20年前に何かあり、そこから木があまり

大きくなれていないとのこと。

北海道と長野では、国策で杉のかわりにカラマツを植えた。

当時は植えないと村八分という状態だったらしいが、

もともと50年前は田畑だったところに真っすぐな

カラマツが生えており、森に光がはいらず、

コケ一つ生えないところを湧水が流れている。

素人が見ても「この森荒れてるんだなあ」と思える有様だった。

カラマツは切っても材にならず、お金にならないため、

そのまま放置する地主もいて、山は荒れ放題。鹿も出放題。

「国の言うことを聞くとときどき痛い目に遭うのよ」

Sちゃん兄弟がもっている山は、木が切ってあり、地面に

光が入るので、緑が生えていた。差は歴然だった。

 

今年(2013年)は桜が咲いた後に雪が降った珍しい年で、

ウメなど木になる実は花がやられてしまって大変とのこと。

 

山菜とりをはじめてした。

こごみ、ギボウシ、サンショウ、フキ、ワサビ、

 

おもしろいとおもったこと

SちゃんはEDE中は体力の限界に達しており、

最後の方は小さくしぼんでいるように見えた(しょぼしょぼしていた)

森や田んぼでのSちゃんは足どり軽く、田んぼの苗も軽々運ぶし、

山でもどんどん先に行ってしまう。イキイキしているように見えた。

そういう人なんだろうな。とEDE中から思っていたので、

現場にいるSちゃんの暮らしを見てみたいと思ったのも

今回行った動機のひとつでもあった。

「あ、これは鹿の通った後だな」

「ちえちゃん、私は長い事教員をやっていたけど、本当にあほな教育を

 していたと思うよ。山の中に、自然の中に教科書に書いてないことが

 たくさんある。」

「こんなに太い茎のたんぽぽ今までみたことない。今年の自然はおかしい。

 放射能のせいじゃないかと思う。」

おもしろいと思った植物

ヒトリシズカ、オキナソウ

 

夜はまた、「懐かしい未来」のフルバージョンを鑑賞した。

途中寝落ちしかけた。

Sちゃんはかまたんの種生ビレッジをあと数年後に見学したいと言っていた。

TPPが通ったら、農家は自分が食べる分だけつくり、

耕作地を放棄するようになるだろう、とSちゃんは

繰り返し言っていた。

もともと農家の人はもうからないのに

「世のため、人のため」で田畑を維持している部分もある。

TPPが通って困るのはおそらく

「日本の安全安心なお米をそれなりの値段で食べたい都市部の中間層

 (今も格差は広がりつつある)」なのかもしれない。→つまり自分

 

あとスピ系の話題しては、Sちゃんのインドのアガスティアの葉の

話を聞いたりしました。おもしろかったです。

Sちゃんの魔女っぷりを見れて私は満足です。また行きたいな。

 

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2013年

5月

06日

子どもの日

喫茶ミンカのトグサは順調に生育していました。
トグサの生育を見守るのが趣味です。
自称冬のムーミン谷の住人としてはGW中に出歩くのは自殺行為です。
世の中には二種類の人間がいる、行列に並べるひととそうでないひとが…(´Д` )
納得のいくものをつくれということでー。
箱を作れるようになりたいっ

 

チャリティ判子展をするんだ、とあるひとに話して
保養キャンプをするんだ
と紹介したら、
福島に住んでいないけど、津波で両親を亡くした子はキャンプに行けるのか?
と聞かれた。
僕たちはほんとうに大きなものを失ってしまった。
しかしそれはひとの痛みがわかる
人が増えたということだ。
そこには大きな穴が空いていて、
穴を埋めるのにはたぶん
10年位時間がかかるけど。
昨日は子どもの日だったけど、
その子は誰かに祝ってもらえただろうか?
子どもでいれるというのは幸せなことだ。
でも子どもでいれない子どもも
それはそれで、その人の人生を生きていく。
素晴らしいひとになるのではないだろうか。
あしながおじさんは
いるのだろうか。
いるとしたらそれはたぶん
未来の自分だ。
幸せってなんだろうな。
私は原子力発電所で働くこともせず、自分のいのちが惜しくてハンコを彫る。
個展は問題ない、
納得できるものをつくれ
床に作品が置いてあっても
見に行くと言われた。
ありがたいことだ。
私は心が汚くても
少しでも美しいものをつくりたい。

 

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2013年

5月

02日

問答

私は何をしたら 神様はもっとも 私という 乗り物を効率よく 動かして

目的を達成することが できるのだろうか? 木の花ファミリーでは、「心を開く」という課題がわかったけど。その目的を忘れてしまったからなあ。思い出せれば良いのだけど。もしかして初めから目的はないのかな?
自分の中に10人位の人がいることが最近わかった。
ひとつのことに打ち込めるひとは、自分が何者かを知って
いて、人格が統合できているのだろう。
やりたいことをどの人格がやりたいのか整理していく
必要があるように思う。
自分のやりたいと思うことが、どれだけ世の中の役に立って
いるのだろうか?
それを一致させる必要はあるのだろうか?
祈りの場で出てきたことばは
「子どもが笑っていますように」
「美しいものがつくられますように」
本当か?本当に私はそうおもっているのか?
じつはやっぱり自分のことしか考えてないんじゃないか?
ここ最近の心の動きはそうとしか思えない。
3文字陽性の中性に近い女の人に相談してみよう。
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2013年

4月

28日

旅が好きな理由

旅は好きだ、

何故好きかというと、
出会いと別れのスパンが短いから
何故か人と別れるときに笑顔になるし仲良くなるまでの時間も短い
目の前の人との時間を大切にするようになる
それと同時に普段のんべんだらりと過ごしていることもわかる
大切にするというのは
自分も含めてであって
違う環境に身を置いたときに
初めて出てくる自分もある
旅をするように生きることが
できれば毎日
いろんなハプニングがあっても
それを楽しめるし
自分や他人の失敗を笑って許せるだろう
知らない人と出会うだけで
笑顔があふれてくる自分を思い出せば
それを日常に少し持ち帰ることもできるだろう
「生きている」感じ
出会えてよかった
ありがとうって言って別れる感じ
自分と出会ったことで、
元気を与えられたり
逆にもらうことができれば
こんなにうれしいことはない
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2013年

4月

20日

映画2本と四神相応

19日は 

Forks over Knives の映画を見た。

感想としては、

胃のセンサーとして容量と濃度を測るセンサーが、

加工品だと働きにくくなってしまうということ。

一物全体とは本当にそうなのだと思った。

その食べ物を消化するのに必要な酵素がその食べ物全体に

含まれている。

肉食でも、頭から足まで全部無駄なくいただく

原住民の人の食べ方なら害がないような気がする。

農薬や重金属、放射能に汚染されていたら問題だけど。

彼らは必要以上にとったりせず、与えられた恵みに

感謝している。

 

 

一部分だけの栄養をとっても、体の酵素をアンバランスに

消費してしまう。

 

代謝性アシドーシスという言葉があるらしい。

 

20日は LIVING without MONEY という映画を見た。

ドイツのハイデマリーというおばあさんが

始めたノーマネー生活。

是非真似したい。

麦わら長者(縄文式)ワークショップは是非

やってみたいとおもった。

かわいい女の子4人位で商店街に押しかけたら

そりゃパン屋のおじさんもサービスしてしまうかもしれないけど。

 

最近もらった40Lの鍋もその現象のひとつなのかもしれない。

おもしろいのは、

「与えるより受け取ることの方が難しいと感じる人が多い」

とのこと。

物乞いをするのに抵抗があるみたいなものなのだろうか。

「悪童日記」を読んでいらい、物乞いすることに少し興味がある。

昔桜木町で仕事をしていたとき、

仙人みたいなホームレスの人が道端に座っていて、

いつも話しかけていた。

いつの間にかいなくなってしまったけど

いつもお地蔵さんのようににこにこしていた。

私が仕事の人間関係でつらいことがあった日も、

おじさんは物理的につらいであろう状況でそこに座っていた。

雪の日とか…

どっちがつらいのだろう。

私はお菓子をあげたりするだけだったから、

きっとフェアではなかったなと映画を見ておもった。

今思い出したけど、おじさんに話しかけた

きっかけになったのがやはり「Rain」という

ヴィム・ヴェンダースの映画だった。

ハリウッド以外の映画が私に与える影響が大きい。

 

ノーマネー生活を送るにあたってハイデマリーさん自身も

精神的な修養を行ったそうだ。

元教師で、セラピスト。パソコンも家ももっていない。

 

20日午前中はアースデイ茅ヶ崎だった。

集まった人は少なかったけど、

オープンマインドな人たちの集まりで心地よかった。

一人で心細そうな人がいたら

「こちらに座ってお茶でもどうですか」

と話しかける。そういうのっていい。

初めのセレモニーは参加できた。

輪になって一人一人感謝と祈りの言葉を述べていた。

こういうときに、スッと言葉がでてくる人ってすごいと思う。

練習してるのだろうか?

午後はリベンデルで行われたエネルギーカフェに行った。

自分が住んでる町でこういうこと話し合えるのっていいな。

まるでEDEみたいだなと思った。

環境面にフォーカスしている人たちが多かったけど、

 

大震災後の計画停電を経験した神奈川県の人たちの意識。

いろんなものを犠牲にして自分たちの都市生活がなりたっていることを

知ってしまった。

そういう共通認識があるように思う。

そういう意味では、最近知り合う湘南地域の人に心を開ける部分が大きいのが

私にとって印象的だ。初対面でも割りと平気。

同じところに住んでいても、放射能のこととか

「話しづらいもしくは話しても通じない空気や感覚」

というのがあるのも確かだ。

 

日高さんの話で面白かったのは四神相応ということば。

南に池や海があると、夏涼しく冬あたたかい。 朱雀

西に道があると、風通しがよい 白虎

北に山があると、冬に北風を防いでくれる 玄武

風は西からふくので生活排水やトイレに使う川は東側にあるとよい 青龍

 

鬼門は山でふさいでおこう。などなど。

微気候という言葉もまた聞いた。

銭湯の話もよいなとおもった。

シェアというキーワードが出てきた。

力を合わせればいろいろできそうな気がした。

 

 

 

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2013年

4月

03日

愛について考えさせられる映画

『ミリオンダラーホテル』がテレビでやっていた。うちはケーブルテレビで母が民放見ないでもっぱら海外の映画やドラマしか見ないから世の中から隔絶されているような気がする。

途中からだけど気になってみてたら監督がヴィム・ヴェンダースだった。
ヴェンダースさんの映画はいつも「愛って何?愛って何?愛ってなんなんだい???」
と痛烈に語りかけてくるから私は好きだ。
人類全体が幸福になるための愛と、個人の愛とかいろいろ。
人類全体に対する優しさも感じる。永遠に届かないものへの讃美も感じる。ひりひりして考えさせられる。
うちの母はあまり好きではないらしい。暗いからかな?
前に『ベルリン、天使の歌』を中国人の女の子と見たら見事に寝てた。
あれは、ドイツ語がすこしでもわかると面白いと思う。
特に人びとの悩みが聞き取れたりしたら。
社会から見捨てられたひとたちの心の中にある美しいもの。
土の中みたいな。
べてるの家にも通じるものがある。行ったことないけど。
Rainという映画もよかった。今日みたいな雨の日に見ると良いと思う。
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2013年

4月

01日

内なるトランジションのさわり


It's easy to take off your clothes and have sex; people do it all the time,
but opening up your soul to someone, letting them into your 
spirit, thoughts, fears,future,hopes,
and dreams... 
that's being naked.
自分の夢やビジョン、未来のことや希望、恐れていること、
希望や価値観をシェアするのって普段あまりしていない。
私がエコビレッジづくりやトランジションの活動に
興味があるのは、本当はそういったことを
シェアしたい欲求があるからなのだと思う。
なぜなら、地球の痛みを自分のこととして感じることが、
おかしいことではないと私は思いたい。
それはいいとか悪いとか、無責任だとか、偽善だとかではなくて、
誰もが多かれ少なかれ感じている部分とそうでない部分があるということ。
本当はひとりひとりちがうことをまだ十分に認識できていない。
価値観が違うことを恐れずに、ただ静かに聞きあうことを
求めている自分がいることに気が付いた。
内なるトランジションのワークの一つをイギリスから来た
デビーさんにしてもらった。
次の4つの段階で一つの輪になってる。

 

1.感謝とつながる

2.感情を大切にする。問題に対する気持ちを表現する

3.違う側面から物事を見る

 4. 大いなる転換に向けた自分の役割を意識する

 

1はひとり一言ずつ

2のワークは、ペアで、行う。

3はオープンな発言

4のワークは3~4人のグループで行った。

 

1 感謝とつながる

 「TTの活動に加わってよかったと思うことは?」

 それぞれ話す

 

 例:価値観が似ている人たちと一緒に未来をつくっていく

   地域で見ず知らずだった人たちと助け合える安心感

   一人じゃないって思えた。地域に生きていると実感した

 

2 感情を大切にする、問題意識に対する気持ちを表現する

   次の4つの質問をペアになってそれぞれ数分ずつ聞きあう

 

 一つ目

 あなたが特に感じている地球における問題はなんですか?

 

 二つ目

 その問題に対してあなたはどんな感情を持っていますか?

 

 三つ目

 その感情を普段どのようにして管理していますか?

 

 四つ目

 ペアで先ほどの3つの項目を話すことで何を感じましたか?

 

3.違う側面から物事を見る

 3つのシナリオを考えてみる

 一つ目 問題を無視する。ないと見なす。現状維持。

 二つ目 世の中は問題だらけ。事態は絶望的。

 三つ目 問題はあるけれど、事態は変わってきている

 

 実際に3つのシナリオに当てはめた例を全員で挙げてみる

 一つ目の例:プラスチック製品を毎日使う。コンビニを使う。

       肉を食べる。車を使う。飛行機を使う。

       フェアトレードでない商品を買う。

 

 二つ目の例:原発の再稼働、選挙で自民党が圧勝したこと

       投票率の低さ、TPPが通ってしまいそう

       放射能汚染…etc

 

 三つ目の例:TTの集まりに大勢の人たちが参加していること

       3.11後に大勢のひとが気づいたこと

       若い人の価値観が変わってきていること

 

一つ目のシナリオを選ぶのは、問題を見たくないから

なぜなら問題を見るのは、痛みを伴うから

このワークでは痛みを大切にする。

私たちが感じる痛みは、地球の痛みである。何故なら私たちは

地球の一部だから。

 

3つのシナリオは私たちの中に常に混在している。今は1と2のシナリオの

中にいても自分の役割がある。

 

4.大きな転換に対する自分の役割は何?

 グループで

 ・もし失敗しないとわかっていたら、あなたは何をしますか?

 ・明日からそれをスタートするとしたら、最初のステップは?

 

 全員で、一言ずつ

 ・このワークからあなたはどんな気づきを得ましたか?

 

 

 

 

 

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2013年

2月

12日

大麻と価値観の違和感について


私が麻薬を吸う現場に初めて遭遇したのは、
ドイツのグリーンピースjugend
の合宿でだった。
今から思えばあれは友好の証だったのだ。
私がもっとドイツ語をうまく話せていたら
友好の証をもっと表すことができたんだけどな。
グリーンピースJugendの
合宿で私は浮いていた。
日本人だし、なんせ日本人は鯨を食べるし、
それでも敵視されてるわけじゃなくてなんとなくみんなも恥ずかしがって話しかけてこない感じ。
ドイツ人はシャイでマジメでやさしい。
その中でドレスデンから来たゲイで日本のピチカート5が大好きな男の子と女の子のペアに話しかけてもらって、
生まれて初めて同志が
できたような気がした。
私はどうしてわざわざ
ドイツまで来たのかな。
この感じを味わうために来たのかな。
私は日本でひとりぼっちだと
思っていたのかな?
青春を楽しむには最適の高校だったのに。
父がいなくなった悲しみを共有できないのが多分嫌だったのだろう。
骨折や、病気ならみんな病院に
お見舞いに行くのに、
どうして精神病にはお見舞いがないんだろう。
どうして死んだことを学校や世間に内緒にしないといけないんだろう?
いじめられるから?
そんな社会は嫌だ。
心の病にかかったひとを
「いないこと」にしないでほしい。
確かにいたのに。
世界に参加していたのに。
病気になる前とは「少し」
違っているけどそれでも確かに
彼はそこにいたのだ。
どうしてみんなそんなに
楽しそうに笑えるの?
どうして東京電力のCMばかりが流れているテレビで
必死に流行を追いかけているの?
日本はどうして自然エネルギーを
伸ばそうとしないの?
ドイツとは何が違うの?
どうして悲しみを共有できずに、
損得ばかりを考えて、勉強しないといけないんだろう。
何かそのような感じだった
気がする。
ドレスデンから来た2人組に
誘われて、公園に行って、
ガラスの不思議な容器が出てきた。
しばらくするうちにそれは
麻薬の類のものだとわかってきて、
「交換留学生の規約で吸ったら日本に強制帰国になってしまうから」
と言って断った。そしたら公園で遊んでいた小学生位の子達が、
「あ!こいつら薬やってる!いけないんだ!いけないんだ!」
と騒ぎ始めて、あわてて合宿のホステルに戻ったら、
子どもたちが追いかけてきて、
「この中に薬をやってるやつがいたんだ」と告発しに来た。
私の方を見て
「お前は断っていた!えらい」
とか言っていた。
スタッフのひとに一体誰に
勧められたのか聞かれたけど、
友情にかけて誰かは言えなかった。
二回目に麻薬に関することに遭遇したのは
大学の先輩が卒業後、
佐渡で大麻を栽培して捕まったという話を聞いたときだった。
その先輩はニュージーランドに行った後に裸足に目覚め、
以後いついかなる時も裸足の生活を営む猛者で、菜食主義で、
大学の敷地を無断で耕して畑をつくっていた。
そのひとに会ったときに
自分はこういうおもしろいけど既存の社会の仕組みとはあいいれないひと達の魅力を伝えるひとになるのだろうなと思った。
何故なら私がそういうひと達に
魅力を感じるから。
そういう人達が生きやすい社会を
つくるために私はいるんだろうなとなんとなく感じた。
先輩は人殺しや盗みをした訳じゃないのに、捕まったことに違和感を覚えた。
本当に悪いことなのかな?
大麻を栽培するのは本当に悪いことなのかな?
そして今私のまわりには、
大麻を栽培したり、使用することは悪くない、と考える人が多い。
先輩は悪くないんだな、
と思って安心した。
少なくともそう思うひとが
存在することに安心した。
既存の社会の価値観に
侵されている部分、
違和感を感じる部分のアンテナを
より研ぎ澄ましていきたい。
そして自分が心地よいと感じる
活動を増やしていきたい。
「生きている」ことを感じられるような。
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2013年

2月

03日

ロケットストーブワークショップ開催しました

今日はキタハラハウスでロケットストーブワークショップを

開催しました!

 

もともとTT茅ヶ崎で参加する3/2の

茅ヶ崎市民活動サポートセンターの

さぽせんまつりで、

ロケットストーブを使いたいね!という

声から始まったこのワークショップ。

 

すずけんさんに講師に来てもらいました。

全部で5組の方に参加してもらったのですが、

ディスクサンダーや電動ドリルなど、

使い慣れない道具に悪戦苦闘しつつも、

5台完成して並んだ時には壮観でした。

 

できたロケットストーブを使って、

地元の茅ヶ崎野菜を調理しました!

調理スタッフ経験のあるブッチさんが、

野菜グリルとベジカレーをつくってくださいました!

薪と竹の火でつくるとおいしいなあ~( ゚v^ ) 

 

すずけんさん、ブッチさん、参加してくれたみなさんどうも

ありがとうございました☆⌒(*^-゜)v

 

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2012年

12月

30日

退化している人類?

職場で大掃除をして、友達のうちを掃除をしてわかったこと。掃除は台所の水まわりから始めると気分が上がる。
大学の教職課程の発達障害に関する授業で、自分、ADDだなーと自覚した。おもしろいのは、ADHDやADDの人の感覚は猫に似ていて、時間感覚が昨日と今日と明日しかない。だからスケジュール組んだり段取りが苦手。優先順位つけるのも苦手。掃除が苦手。優柔不断。メモリが飛ぶ。その癖いきなり突飛な行動にでる。頭の中にハエが飛んでる。目の前のことに猪突猛進しがち。昨日と今日と明日が同じでもいいようなシンプルな生活をすることが解決策か。
そして、ものに「生命がある」というアニミズム思考であること。ADDの人の「それまだ使えるから」は「そいつはまだ生きている!殺さないで!」っていう感じだ。
前頭葉が発達していないと言われている。昔の原始時代の人の頭に戻っているのかな?ある意味おもしろい。
農薬や汚染物質のせいで発達障害の人は増えているというけど。
自分の興味あることしかできない風になればいいのだけど。

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2012年

12月

14日

知らないこと

何か間違ったり、誰かを傷つけてしまったときは、気づいた時点ですぐに謝ったり、なんらかの挽回する行動を起こすと90%位はなんとかなる気がする。
もらった綿のタネは実は和棉だということを今さらながら実感した。
和棉はなんかこうぼすぼすっとしてて、詰まってる感じ。クリスマスリースに飾ってあるようにフワっとした素敵な感じではない。
綿や花が下向きにできる。他の種は上向きにできるそうだ。
そんでもって和棉は霜に強いとのこと。
昔からある種が、その土地の気候を教えてくれる。
こないだ見た映画で、
モンサント社の遺伝子組換えされた綿を買わされて、借金を背負って自殺したインドの農家のひとは25歳だった。おそらく私より若い。
ある種の害虫や微生物を農薬で殺してしまうと、土壌の環境は均一になる。組成が均一になった土壌は病気に弱くなる。
エアコンで部屋の湿度と温度を一定に保つと特定の種類の菌だけが増えて、体はその菌だけに耐性ができるけど、いざ他の菌が入ってきたときの抵抗力が落ちてしまう。
多様性を無くすことが、生物全体の生き残る可能性を狭めてしまう。変化に対応できない。
便利にしようと思ったのに、全体のしくみがわかってなくて部分だけ変えていると、思わぬ弊害が生じる。
サプリで一種類の取り出した栄養だけをとることとか。
僕たちはあとどれくらい自然の仕組みについて学ぶことができるんだろう。
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2012年

11月

19日

発達しつづけるいのち

子どもがピタゴラ装置が好きな理由

スイッチが入ると重力にしたがって、
僕たちは発達し始める。
設計図にしたがって
ドミノ倒しみたいに
お腹の中で
進化の過程を辿る
心臓 目 耳 手 足
つくられていくのが
本当は嬉しかったはずだ
生まれてくることが
うれしかったはずだ
新しい経路を開発して
たんぱく質を修飾できることが
つくってもらった最新のカラダを使うのが
世界を味わえることが
うれしかったはずだ
それらのすべての設計図を読みとかない限り
遺伝子操作は小手先ではできない
僕たちの科学は全然発達していない
何かに役立てようとしている限り
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2012年

10月

26日

食べられること

大橋トリオの「顔」という曲を聞いたら、
ミトコンドリアが真核生物に食べられるときはこんなんだったのかなとおもった。
食べられてひとつの生命体になるってすごいな。どーいうことだ。
食べられた方がさみしくないのかもしれない。

僕たちのからだの中には太古の生命体が宿っている。

いのちの始めがひとつなら、
どんなに増えたり合体しても、
地球にいのちはひとりぼっちで
これは相当さみしい。
恐怖に近い。

 

10月の秋から冬の土用はいつも、

孤独がテーマだ。

ひとりであることと向き合わざるを得ない。

だから先住民族の人が

地球をひとりの女のひとにたとえているのを

聞くとなんだか安心する。

早く宇宙人に会えるといいなあ。

 

たぶんこれは妄想なんだが。

人類がお互いに殺し合う戦争をやめたときに

やっと宇宙人は姿を現してくれる気がする。

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2012年

9月

18日

乳幼児の発達の観察

 

不思議なことに、1歳6ヶ月の甥っ子は

よく笑うとともによく泣く。

理由もなくよく笑うと思ったら

同じ位の確率でよく泣く。

 

最近はちゃぶ台にのって自分の背の届かない

未知のゾーンへ乗り出し、

ボールペンやはさみなどアブナイものを

手にしては、それを取り上げられるとギャン泣きする。

「ぼくがせっかく苦労して手に入れた研究成果なのに!」

といわんばかり。

探究心が旺盛である。

 

冒険が好きになってきた。

それまではママのおっぱいがなければ不安で

仕方がない感じだったけど、

自分からベビーカーに乗り込んで、

笑顔で「出発の準備ができている」アピールをする。

冒険のためならば、ある程度母親と離れても大丈夫なようだ。

バージョンアップした感じである。

今日は裏の倉庫から出てきたニューアイテムである

こども用の砂遊びセットと水筒とおやつを持って

公園に行った。

自分の身体の半分くらいは段差のある階段を登って

滑り台を降りる。相当なレベルだ。

砂場では、はじめてシャベルを使って砂を運ぶ。

砂を運ぶという行為にはいろんなことが含まれていて、

たとえばてこの原理とか、くぼんだ面を上にしないと

多く砂をすくえないとか、水平に保たないと砂がこぼれるとか、

とにかく「自分の行為によって周囲の環境を変える」

ということがリアルに感じられるように思う。

そして砂を自分の身体にこすりつけ、砂のつぶつぶ感を

体得する。

セシウムが含まれている砂では、そういうことが出来ないのは

困った。茅ヶ崎の砂にも若干含まれているだろう。

しかしそんなことは気にもせずにこすりつける。

 

どうしよう。自発的な探究心を飽くなく発揮させることは、

知性の発達にもっとも有効である反面、

放射性物質が入った砂を身体に塗りたくるのは

知能の発達を妨げる恐れがおおいにある。

 

甥っ子の場合母乳で育って超巨大化してるし、

生命力が有り余っているが、

やはり砂場の計測はした方がいいな。

後から責められても困るし。

 

ともかく甥っ子は今日人生で初めての

砂場でシャベルで砂をバケツに入れるという行為をし、

頼んだものを持ってくるということを覚えた。

彼は日々成長している。

 

 

 

 

 

 

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2012年

7月

16日

一生興味があること

保育士試験はもうすぐで、あと一科目受かれば保育士になれる。

 

子どもの頃の夢は漫画家か、保育園の先生だった。

ずいぶん遠回りしたものだ。

 

 私は放射線による内部被曝の人体に及ぼす影響に興味がある。

誰かを責めたい訳じゃなくて、

知りたいのだ。

 

私の父はその昔、京都の大学で

原子力について研究していたらしい。でも途中でやめて、

しばらくごみ拾いとかそういうことをした後、高校の数学教師になった。

その後、激しい双極性障害になり、入院し、原因不明の心臓発作で亡くなった。

 

その間にも子どもはすくすく育ち、大人になった。

 

私はあまりテレビを見なくなった。見るとなんだか悲しい気持ちになったから。

 

父が大学で研究していた頃、放射線が漏れていたこともあったらしい。

 

私の大学の友人に、原発関連の企業で働いている人がいる。

 

大学で勉強して、普通に働いて、結婚して、幸せになりたくて生まれてきた彼らの心境は、震災の後今では複雑なことになっている。

 

24時間稼働している工場で働いている友達もいる。停電になったら、ほんとに困るだろう。

 

一方で私が最近知り合った友達は、原発を使うことから降りていきたいひとが多い。

 

私はこれから、初めて福島の人たちに出会う。

 

私は父がどうして原子力に関する研究をやめたのか知りたくて、

大学ですこしばかり勉強したけど、頭が悪いので、大学で量子力学に関する講義を聞いてもちんぷんかんぷんだった。

もともとアタマが理系ではないのだ。

 

双極性障害は、ミトコンドリアがおかしくなって起こるという説がある。精神障害と、内部被曝の関連性に私は一生興味を持ちつづけると思う。

 

原子力発電を推進してきたひとも、

きっと誰かのお父さんで、

ツバメの親のように何回も何回も

子どもを育てるために餌を運んだのだろう。

「飯を食うために」

すごくよく聞くフレーズ。

 

ウランを運んでくる途中でもたくさんのひとが被曝している。

 

誰かのいのちを食べてすくすく育った私はどういう風に生きたらいいのだろう。

 

大飯原発の再稼働反対に駆けつけた人たちの映像をUSTで見て思った。知ってるひとがたくさんいた。真剣に、反対してる。

ほんとに真剣に。

 

私にできることは、対話をし続けることだと思った。

 

一緒に生きるためにどうしたらいいのか考えたい。

 

滑稽だけど、地球一個ぶんの暮らしを這いずり回って探していきたい。愚か者や偽善者と笑われてもいいし、もはやキチガイと思われてもいい。

日々の暮らしをひたすら丁寧にしていきたい。

なるだけ楽しい方法で。

 

先住民族のひとたちの暮らし方や考え方に、そのヒントがあるように感じる。

 

すべてのお父さんに幸せになってほしい。

時間泥棒にさせられている人にも、幸せになってほしい。

これは私のワガママだ。

 

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2012年

7月

13日

故郷の成分

 

故郷の成分について

私は茅ヶ崎に生まれたけど、

母は熊本で生まれて、山口、京都、大学は東京にきて

父は長野で生まれて、島根、北海道と転々として、大学は京都にいって、

まあなんだかんだであったわけなんだが、

 

父方の祖父母の故郷の伊那というのはなんだか私にとって

特別な場所だ。あんまり行ったこともないのに、

なぜだか懐かしい。

それはやっぱり祖父母がいたからだと思う。

彼らが私にとっての故郷なのだ。

だから彼らが生まれた土地がなぜだかとても懐かしい。

っていうか長野県民に悪い人いないんじゃないかと思う。

Zehensucht ist mehr als ein Gefuel.

 

私にとって故郷の成分は90%人と触れ合った記憶だった。

ドイツも私にとって懐かしいところ。あたたかい人たち。

私が生きている間にあとどれくらい懐かしいひとたちと

出会えるのかな。

 

 

 

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2012年

7月

02日

考える

たとえば、社会的に解決したい問題があって、その問題にどこまで取り組むかはその人次第だ。その問題への切実度は人によって違う。ただ、自分にとって大事な人がその問題にとりくんでいるなら、応援したいとおもうときもある。大飯原発の再稼働反対の抗議をしているひとたちの映像を見て、知っているひとたちが必至に訴えているのを見て、すごく苦しくなった。

 

そして、早く地球一個分の暮らしを私がしなければと思った。

毎日の仕事やなんやかやがあるけど。

 

家庭の分野以外の、工場や運輸部門の節電の仕方を

私はしらない。

でも地球一個分の暮らしを早くしなくちゃと思った。

 

7月1日にはその前の前の誕生日のプレゼントを思いがけずもらった。

私の人生が何で構築されているかといえば、

であった人と、いくつかかいた絵くらいだ。

だからそこに電気を使っているかどうかはあまり問題じゃない。

もちろん、飛行機にのって遠くに行かないと出会えなかった人たちも

たくさんいた。

何か、圧倒的にものがない状況に自分を慣れさせる必要があると思った。

 

私にとって本当に切実なものってなんだろう。

実はそんなにいくつもない。

家族がいて、猫がいて、家があって、幸せ。

ネパールにはいつか行きたいけど、いけなくても別に構わない。

オーロラもいつか生で見たいけど、別に見れなくても構わない。

リンパが腫れている。少しずつ被爆しながら、僕は死ぬのかもしれない。

死ぬまでに、いくつかの絵を描きたい。

本当に切実なのは、あなたにあえてうれしい、その気持ちくらいだ。

 

でも私にとってじゃなくて、これから生まれてくるこどもたちは、

どうしたらいんだろう。見当がつかない。

大人でさえわからないもんだい。

地球一個分の暮らしを私ができれば、

何かヒントになるかもしれない。

 

 

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2012年

6月

24日

ホピの予言をみて

ホピの予言、ずっと見たいと思ってた。

 

アサバで見れたのも何かご縁があったのだろう。

 

保養キャンプのチラシをたくさんもらってもらった。

 

頭ではぼんやり知っていたけど、

アメリカの原子力発電所や、イラク戦争あとのイラクと

同じようにウランを掘り出す過程でも被爆している人達が

映像でくっきりと映し出されていた。

映画ができたのが1986年、私が生まれてからずっと

ウランは掘り出され続けている。

「全人類にとって母なる地球の聖地であるこのホピやディネの土地を

 破壊し、彼らを被爆させながら、それを平和利用という名で消費

 し続けている日本とアメリカの姿、いや人間の持つ貪欲というものの姿

 わたしはそこに見たような気がした。わたしはトーマスがこの土地

 で起こっていることを見なければいけないと言った意味がやっと

 分かってきた。それはまさしく、近代文明を押し進める人間の心の

 あり方を鏡のように写し出している土地だった。

 わたしたちは何も悪いことはしていない、決して誰も他人を傷つけたりは

 していない、と誰もがそう思っている。しかし、わたしたちが多くの

 金や物、それによって得られる豊かさを維持し続けようとすればするほど、

 それはまさしくこのインディアンたちを絶滅させることに加担するという

 ことになっていってしまうこの現代社会というものの構造に、

 わたしたちは互いに気づかなければならない。

 それらは直接に多国籍企業やその他の経済機構とつながり、

 彼らが利益を得るためにわたしたちの心や身体や、

 いのちはコントロールされているのだ。それに気づかないほど、

 わたしたちの心は汚染されてしまっているのだろうか。

 フォー・コ−ナーズの破壊されていく姿を追いながら、

 私は何度も絶望的な気持ちになっていった。」

 宮田 雪さん 未来へつづく道 より

 

彼等はトウモロコシの種を植えるための棒が一本あればいいと

いうくらいの質素な生活をしていた。

福島で自然農をしていた人達と一緒だ。

自然によりそって暮らしたいだけなのに。

いつの間にか「お金がない、貧しい人」と見なされて、

いつしか「お金を稼がないといけない」と思わされる。

 

6.29の首相官邸に行くデモの準備で書いたイラストには、

38億年の生命の歴史を絵で書きたいと思ったけど、

地球カレンダーを参考にすると

多すぎて無理だったので、知っている動物だけにした。

 

地球ができてから今までのことを1年のスケールにまとめた

地球カレンダーによると地球ができてから人類が

誕生するのが12月31日の23:37だそうだ。

そして1月1日には滅ぶだろうと予測されている。

 

大学のときに古生物に興味があった友だちはこう言った。

「いままで何種類の生物が繁栄して滅んでいるのだから、

   やがて人類も滅びる。環境問題でよく地球を救うっていうけど、

 地球は滅びないし、地球の表層で人類が滅ぶだけ。

 だから私は今日を楽しく生きる。

   何世代も先のことなんて考えられない。」

 

それに対して、私はなんとなく違和感を感じつつも、

やがて遠い未来、10億年後に自分が生きてもいないのに

生命が消えてしまうことがとても怖いと思った。

 

どうして、私達は生きているのか?

やがて滅びる運命なのに。ときどきそれがすごく怖く感じる。

真っ暗な宇宙の中、いくら繁殖して増えても、

地球でいのちはひとりぼっちのように感じる。

 

ホピの予言をもらった人達も、あんな怖いことが起きる起きると

知らされたら、初めはパニックになってしまうのではないだろうか。

それでも、淡々と毎日を自然と伝統文化の中で、

世界の平和を祈りながら暮らしている。

 

先住民族の人の暮らし方に、

私の中の恐怖を和らげるヒントがあるように感じた。

手をつないで、円をつくって、人とのつながりを感じること、

自分がいまここにあること、

食べ物や水や自然があることに感謝の祈りを捧げること。

地球を人格を持った一人の女性と見なし、敬うこと。

 

精神的な安らぎが、平和に生きるためにすごく必要なんだなと感じた。

そしてホピの平和宣言これは本当に読むと泣けてくる。

 

 

 

いかに地球に生きるべきかという知識を絶やさないでいる人達。

 

チベットの人達と交流があるというのも初めて知った。

 

ネパールはいつか行ってみたいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

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2012年

6月

18日

梅とドクダミと糸紡ぎ

今年初めて梅シロップなるものをつくってみた

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2012年

6月

18日

気圧の変化と弱肉強食

今日は原因不明の頭痛に悩まされ一日ダウンしていた。

とおもったら台風接近中。

気圧が変化しているみたいだ。夜に復活。動き始める。

 

気圧の変化に伴い頭痛がする。

これは運動して重力や圧力に耐える身体をつくらないといけない。

 

うちはなんとなく雀のひなの乳母捨て山ならぬ子捨て山に

なっているようで、

何年か前に階段のところでぴーぴー音がしていたので

とうとう兄が階段に穴を開けてみてみた所、

死にかけの雀のひなが出てきたそうだ。

 

猫も鯨も雀もそうだけど、動物は生まれてきたときに

弱い、これから生きられそうもない子どもは選別して

捨ててしまう。人間だけは違うね。

うちの猫のミモリも捨てられた当初は目が見えなくて、

雨の中鳴いていたそうだ。

 

今や、目も見えるようになり、

屋根裏でピーピー鳴いているヒナを食べてしまう位の猛者である。

今日うちの母が屋根裏からヒナをくわえて出てきたミモリを見て大騒ぎ。

かわいい顔してあの子わりとやるもんである。

 

ずっと、親のことを呼びながら死んでいくのと、

ミモリに食べられるのはどっちが幸せなんだろう。

わからないけど。ミモリはあのヒナと一緒だった。

 

私は誰かに食べられることがないからその恐怖はわからない。

でもひとりで死んでいくのとどっちが怖いんだろう。

いずれにしても死ぬときはひとりなんだろうけど。

食べられた方がさみしくないのかもしれない。

「風の谷のナウシカ」に出てくる粘菌を思い出した。

 

しかし、生物濃縮というのは恐ろしいもので、

セシウム137の濃度は木などで濃くなる一方とのこと。

これはこれでまた考えないといけないね。

 

 

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2012年

6月

03日

壁塗り

この2日間で11人の人に来てもらった。

準備の段取りとか時間設定で

反省することもたくさんあるけどやってよかった。

 

価値を提供すること。もてなすこと。

壁をぬってみたい人もいるし、人と出会いたい人もいるし…

 

ひとりひとり塗り方に性格がでていておもしろかった。

水と珪藻土を混ぜる比を手応えで覚えた。

 

壁をぬるときは手とモノが対話する。粘り気の感覚。

平にする微妙な力の入れ加減。職人気質の人は、

対話をするのに必死なので、人と話さない。

私もそうなので、3時間位黙って作業に没頭できるけど、

今日はホストなのでなるだけ来たひとに楽しんで

もらえるように話しをするようにした。

 

珪藻のミトコンドリアの形状は人と違って糸状だそうです。

 

最近の感じていることをうまいこと具体的に言い当ててくれた文

技法以前より

『科学的な成果を享受した現代人は、その裏側で人間としてもっとも

 大切な「生命感覚」と「人とのつながり」の両者を見失ってきたのである。

 統合失調症などの精神障害をめぐるテーマの核心も、生命感覚すなわち

 「人(自分)は死ぬ」という当たり前の現実感と、

 「人は一人では生きられない」というわきまえをいかに取り戻すかにある

 と私は考えている.

 中村は、「近代科学が無視し、軽視し、果ては見えなくしてしまった

 〈現実〉」を捉えなおすために必要な原理として、「個別性」

 「多義性」「身体性をそなえた行為」の三つをあげている。

  科学はすべてに共通した要素を抽出し、それを客観と称するのに対して、

 「個別性」とは人間一人ひとりはユニークで独自な存在であると知ること

  である。「多義性」とは、答えは一つではなく、一つの出来事が見方に

  よってさまざまな意味をもつという可能性を受け入れることである。

 「身体性をそなえた行為」というのは、何事も身体で感じる経験というプロ セスを経ることの重要性である。

  私はそれらの要素が江戸文化の中に脈々と息づいているように思う。

 科学文明が世界を浸食するなかで、日本という島国に「個別性」「多義性」

 「身体性をそなえた行為」を重んじる”濃い”文化が、花開いていたのである。』

 

 

 

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2012年

5月

31日

相手の立場を理解するのに

相手の立場を理解するということ

 

私は原発を推進する人がどんな物語を持って

生きてきたのかを知らない。

だから知りたくもある。

 

友達が海外の生活で日本にあこがれていたことは知ってる。

幸せの形は定義できない。

 

それでも会って、友達だったときもあって、

価値観が違うところもあった。

そこには触れないで、付き合ってた。

友達って一体なんだろう。

おじいちゃんは「友達は大事にしなさい」って言ってた。

その子が幸せになるように。

 

自分の物語を語ることならできる。私なりの方法で。

私は漫画という手法が好き。その人の世界に入り込むことができる。

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2012年

5月

27日

魔女先生

小学4年生の時月の満ち欠けについて

教えてくれた恩師を勝手に「魔女先生」と読んでいる。心の中で。

 

父と同じ病気に数年前かかったけど、

持ち直している。良かった。

本当に、坂口恭平さんが総理大臣になればいいと思う。心の底から。

 

魔女先生はすごく植物に詳しい。

今日は久しぶりに会いに行って連絡先を再度教えてもらった。

バラをもらったので、帰りにラマコーヒーに届けた。

 

ecomoから辻堂の方に帰る途中にレンゲの群生地が

あった。レンゲにはてんとう虫の赤ちゃんがたくさんいた。

彼等は相性が良いようだ。今日の発見。

 

松浪のキンカンをすこしとった。家の工事の様子を

写真にとった。これぞTHE・折衷な感じ。大丈夫かな…

今日はとくになんでもない日。

洗濯物と掃除をする日。

こういう日がないとやっぱり次の一週間が

カオスと化すから大事だ。

 

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2012年

5月

26日

空の色と草の色

日本の空は外国と比べて少し紫がかっている。

藤色というか。

私はこの色が好き。

 

火山地帯で土壌が酸性気味なのと関係あるのだろうか。

おおいぬのふぐりとかわすれな草とかそういう小さな花の色。

 

外国はもっとターコイズっぽい色をしている。

 

草の色、アルミニウムをうまく運べないと葉っぱが茶色くなる。

 

ドイツで見た植物は結構沢山茶枯れしていた。

ホストファミリーでは浄水器を使っていた。

ホストマザーは脳腫瘍になった。

2003年の時点ではあちらの方が汚染度合いが激しかったのだろう。 

 

だいたい西欧の人の食生活はすごい。

甘ければよい。肉がよい。

あれでは放射能うんぬんを抜きにして病気になるだろう。

でも家族との時間をとても大切にしていた。

時間がゆっくり流れていた。

そういうのってすごくいい。

 

今身の廻りの植物も茶枯れしているのを見かける。

アジサイは不思議。葉がいきいきしている。

 

小さな毒を取り入れたとき、金属を包み込む酵素を

開発して、生き延びてきた種がいる。

ホメオパシーはそういう酵素の進化を促す力を信じて

いるように思う。体の持つ酵素を開発・設計する力を信じている。

 

セイタカアワダチソウが湿疹に効くというのは驚いた。

雑草という言葉。草の名前をよく知らない。

カタバミはよく見ると宇宙みたいな色をしている。

 

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2012年

5月

24日

茜染め

茜を漉す。3回位使えるそうです。

 

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2012年

5月

21日

13回忌

母が、13回忌は節目だから、した方がよいと父の

友人の先生に言われたそうだ。

 

回忌の忌の字はどうして忌まわしいという字を使うのだろう。

 

思い出したくないからか。

受け止めなければいけないのに。

12年もたてばさすがに記憶も薄れるだろう。

 

己の心を見つめなおすという意味もあるのだろうか。

どうしてそれを避けるのかな。

 

怖いもの、美しいもの、汚いもの、畏れるもの、尊いもの、

おなじところから生まれる。

 

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2012年

5月

15日

体の不調の観察

ここ一年最近よく眠るようになった。

やけに眠い。ひたすら眠い。

 

これが、被爆に対するからだの反応なのだろうか。

細胞を修復してるのかな。

 

お腹がいっぱいになると眠気が異常につよいので、

一回の食事の量を少なめにしている。

 

肌の

酸素を吸ったり吐いたりする力も少し弱くなっているみたいだ。

 

マクロビを怠ると生理のときの仕返しがすごい。

うかつにコーヒーとか飲んでしまうとやばい。

体からの逆襲。頭痛がすごい。

西遊記の猿の緊箍児みたい。

 

少し運動して、体の空気と血の通りをよくする必要がある。

 

手が、ぽろぽろ乾燥して剥がれたり裂けていくような症状も、

卵アレルギーとしって卵を避けてからだいぶおちついた。

しかし、野菜を食べなかったり、油断するとまた出てくる。

からだは敏感だ。

 

男の人で肉や炭水化物、油、コーラ中心の食生活を

続けていても大丈夫な人がいる。

よっぽど体が丈夫なのだろう。

体のつくりが違うみたい。

多分それらのものを分解する酵素を

沢山持っているのだろう。

私は今までの人生で何か別のことに酵素のストックを使ってしまって

いて、弾切れの状態の時に不調が生じる、そんな感じ。

 

ミモリの涙がとまらない状態で心配。目薬はもらった。

ここのところ外出ばかりしていたから

ちゃんとミモリと一緒にいる時間をとりたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2012年

5月

15日

日々の記録

 

児童相談所の21年度の調査によると

虐待者の割合は

実母58.9% 実父30.3% 義父7.5% 義母1.3% とのこと

 

お母さんからの影響が一番つよいということ。

勉強会では先生は

「暴力の根底には虐待がある」と話していた。

お母さんからの虐待があるということは、

そのお母さんがそのまた親から虐待を受けていたということだ。

 

手仕事について(感想および考え)

最近手仕事にはまっている。

足踏みミシンの使い方をおばあちゃんから教えてもらった。

松浪にあった古い足踏みミシンは古道具屋にもらってもらったけど、

母方の祖母のミシンは使い方を知って使っていきたい。

電気を使う一歩手前の器械は美しい。自転車とか。

手仕事は、絵をかくことに似てる。

人は何かをつくっているとき、

自分が愛されているかどうかとか考えなくて済む。

静かなきもちになれる。

だから、心になにがしかを抱えている人に

手仕事は良い気がする。

絵を描くときは、自分の頭の中の「こうしたい!」というイメージと、

手が対話をしている。鉛筆の芯のなくなる感触、紙の感触を

味わっている。

一針一針縫うのも同じ感覚のように思う。

 

すべてのひとに芸術が必要だというのはそういうことだ。

自分や世界を愛するために必要な行為だ。

憎しみの連鎖を断ち切って世界に参加するということ。

芸術は芸術家だけのものであってはいけない。

 

電子楽器ウダーについて

ウダーを聞きに行った。不思議な楽器。巻き付けられたロープを

押して音を出す。

ピアノとかの楽器は「ミ」の音が少し高いそうだ。

ウダーでは、ロープを抑える位置を変えれば音の高い低いを

調整できるので、「本当に調和する」Cコードを聞くことが

できるそうだ。実際聞いてみたらフワーッとなる感覚になった。

 

都会の人酔いについて

横浜の赤レンガ倉庫までウダーを聞きに行ったけど人が多すぎた。

亀はかわいかった。

人が多すぎると不快に感じる。そういう生態。

東京とかに勤めるのは無理だと思う。元気がどんどんなくなる。

人によって、丁度良い人口密度が存在するのだろう。

もう少し、田舎に移動した方がよいのかな。

服をつくっていた人は、

「この辺(湘南近辺)の人は、歩く早さがゆっくりですね」

と言っていた。

 

日焼けどめについて

日が照ってきたので、アベンヌの日焼けどめを塗ったら、

頭痛と目の充血がすごくなった。

10代の頃はこんなことはなかったけど。

化粧もしかり。酸化チタンや酸化亜鉛等、

肌に悪くないとされるミネラルだけが入っているものでも

同じ症状になる。ようするに肌の「穴を埋める」という行為が

酸素の通りを悪くするということで、

体の中の酸素を通す力が弱まっているということかな。

 

 

 

 

 

 

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2012年

5月

12日

茅ヶ崎の

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2012年

5月

07日

逗子の風景

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2012年

5月

07日

トランス??

口琴のすごい演奏を聞いたとき、

すごいリズム感で、口だけでユーロビートみたいな感じに

聞こえたのを覚えている。

 

トランスっていうのは、

今ここにいるのに、宇宙空間に投げ出されたような

感覚になるような音楽のことを指すのだろうと

勝手に解釈しているけど、

 

アイヌやネイティブの人達のウコーク(輪唱)も

同じような感覚を受ける。

 

ときどき駅から自転車で帰る時に鼻歌を歌っていると

新しいメロディーが出てくるが、

昨日出てきた節は短くて素朴だったので、

輪唱できるか試した。

 

子どものあそびとしてもおもしろいと思う。

 

つきあかりのなか

こころあわせて

ほしのながれには

うたをあわせて

おおきくうかぶ

まるいおつきさま

こよいはわたしと

ともにうたおう

 

 

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2012年

5月

04日

朗読ワークショップ

今日はモバイルワークハウスづくりショップで一緒に作業したOさんと

一緒に完成間近のWakkaさんのモバイルハウスを見に行った。

 

しかし実際モバイルハウスを見たのは10分ほどで、

だいたいの時間をビーチマフィンというお店で

まったり過ごしてしまった。

でもこの空間がかわいくてかわいくて。

聞けばやっぱりアート系大工、インチャリさんが手がけたらしい。

すごいなあ。

 

私のよく行く近所のラマコーヒーというお店の内装も、

マスターとインチャリさんが協力して手がけたそうだ。

ぼろくてふるくてかわいい感じが好き!

 

その後、OさんがMAMEBOOKSという移動本屋さんが

主催する朗読ワークショップに参加したいという事で、

私も好きな本の朗読に参加してみた。

 

朗読っておもしろい。

小学生〜中学生の国語の授業以来だ。

小学生のときに、

「本を読んでいる間は、所詮、頭の中が他人の思想の運動場に

 なっているに過ぎない」

みたいな言葉を知って衝撃を受けたけど、

実際読むと、自分の中でリトマス試験紙みたいに、

「ビビッ」と来る言葉がある訳で…

反応しているから、本は自分の思想を探すための

手がかりみたいな意味もあるのかなと思う。

 

その部分を他の人に話す機会ってあまりないから、

選ぶときも楽しいし、話すのもドキドキするけど楽しいし、

他の人の話を聞くのも楽しい。

 

昔から、引っ込み思案だけど、台本とかがあると

割と声を出せるタイプなのでおもしろかった。

 

参加した人の中で、ミュージシャンの人で何か顔を見たこあるなあと思って

帰りにラマコーヒーのマスターに聞いてみたら、

その人が描いたらしきポストカードがそこで売っていた。

 

世の中せまいね。

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2012年

5月

02日

匂いの正体

 

 

匂いの記憶ってすごいと思う。

 

自分の中に故郷の匂いというのがあって、

それは主に祖父母の家の匂いなんだけど、

おじいちゃんがつけるポマードとか、

おかゆみたいなごはんの香りだとか、

いろんな香りが混ざった独特の匂いだ。

それは生活の中で出てくる香りだと思っていて、

祖父母が亡くなったら、てっきりその匂いはなくなってしまうものだと

思っていた。

でも5年経っても、なんとなくその香りは残っていたから不思議に

思っていた。

 

最近その家をリフォームするので、色々

ひっぺがした空間に忍び込んだら、

ほとんど木の空間だった。

その匂いの正体がわかった。

木と土の香りだ。

 

山に登ったら、山の上の山小屋や祠に入るとある匂い。

私はずっとその香りに懐かしさを覚えていたのだということがわかった。

基本、木と漆喰でできていた家だから、木の香りが常に漂っていた。

それにずっと守られて暮らしてきた。

 

祖父母は長野出身で、庭にはコブシの花が植えられている。

雪国で一番真っ先に春を告げてくれるのは、コブシやモクレンの花

だということが、去年春先に富山に行ってわかった。

 

そうやってひとつひとつ、大好きだった人達の

ルーツを知っていくのは楽しい。

 

 

 

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2012年

4月

30日

家の解体

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2012年

4月

29日

緑の政治フォーラムかながわ

29日は緑の政治フォーラムかながわのお手伝いをした。

Oさんがゲストスピーカーなのに

途中で抜け出していったのにはタイムキーパーとしては

胃が痛くなるような瞬間だったが、

Oさんの話す3分くらい前に戻ってきて、

どうやら資料をつくっていたようだ。

著作権フリーなので後であげようと思う。

 

結果的には36名の新しい人が集まってくれた。

もう少し広報をがんばればよかったが次がんばろう。

 

開港記念会館は初めて中に入った。

とてもきれいな空間だった。

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2012年

4月

28日

田んぼの準備

午前中は職場の研修で、午後から

自給道場に参加した。

湘南台からSFCまでバス、そっから歩き。

職場でとれた筍が余ったので持参した。

筍半端なく重かった。暑かった。もう筍渡せればいいや。

たどりつくまでがくじけそうになった。無茶だった。

3か月に一回くらいの割合でときどき無茶を犯すと思う。

 

ついたら皆さんは種もみの種を植える場所の準備をしていた。

雑草の根っこをある程度取り除いたら、草をかぶせて乾燥を

ふせぐとのこと。

田んぼの面積を測っていた。

 

解散後は車に乗っけてもらって、農業指導をしている

通称「食研」を見に行った。

やぎとかぶたさんがいた。

 

台形じゃないいわゆる四角形の辺の中点同士を結んだたてと横の線

の長さを掛け合わせるとだいたいの面積が出るというのが

不思議で家に帰って確かめてみた。

 

K夫妻と、自然農を教えてくれるBさんに筍を無事に

渡すことができ、その日のミッションはクリアすることができた。

 

 

 

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2012年

4月

25日

六本木まで


大地を守る会で働いている知り合いの人に教えてもらい、

中沢新一さんの話を聞きに行った。

 

六本木農園の外側だけ初めてみた。Ondesignの設計だそうです

 

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2012年

4月

24日

寝るこはそだつ

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2012年

4月

21日

モバイルハウスづくりワークショップin葉山

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2012年

4月

20日

観察日記(春の土用)

猫はよく毛が抜ける。房で抜ける。

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2012年

4月

19日

言葉と統合失調症

マンガでわかる統合失調症という本がころがっていて、

なんのけなしにぱらぱらめくっていたが、

一番最期らへんのページに、

 

統合失調症の人は人類がホモ・サピエンスになったとき

から必ず1%存在するとのこと。

 

ティム・クロウさんのwikiを見てみると、

言葉を獲得したことと、

大脳皮質の発達の非対称性と関連してるそうだ。

 

私はあまり言葉を信頼していない。

あまりうまく使えたためしがない。

不用意に使うと、沢山人を傷つけてしまう。

ちゃんと使える人を尊敬する。

 

祈りの言葉や精神性を大切にする文化が重要なのは、

この言葉の剣を保護する鞘みたいなのかもしれない。

 

進化はアンバランスさももたらして、病気も生み出す。

1/4の奇跡という本に、6本指の人を大切にする文化が

ペルーにはあったと書いてあった。

 

昔の人は必然的に病気や違う特性を持って生まれて

きた人達は進化を担っていることを知っていたのだ。

進化はいびつさを内包している。

そうでないと環境の変化に対応して生き残れないから。

同じ血を分けた兄妹は違った特性をもって、

自然が嵐を持って選別していく、

でもどんな特性も、

生き物が全体的に生き伸びる可能性を延ばしている。

 

いろんないびつさを抱えた人が、

自分の存在を許せるようになるといいと思う。

 

 

 

 

 

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2012年

4月

17日

山野草料理教室

今日は春の山菜を食べる料理教室に誘われて参加した。

大磯の星槎学園の分校が会場で、先生は中川さんという方。

 

今日の発見

野菜を50℃の水で洗ってから

沸騰しないように野菜をゆでると、

苦みがないということ。

90℃以下にすることで、酵素を壊さないようにするとのこと。

 

食べたもの

たけのこ

こごみ

たんぽぽ

かたくり

つくし

あしたば

ふきのとう

つわぶき

よもぎ

 

ほとんどてんぷらにした。

素材の味を楽しむには、小麦粉に水だけの衣に、塩が良いのだとか。

実際おいしかった。

 

何か食べ物がなくなったらとりあえず山菜

食べればいいのかと思い、少し心強く。

山菜を見分けてとる修行が必要だけど…

 

参加している人達の様子

・魔女みたい

 

帰りに大磯周辺を散策した。

港町は路地裏が多くて、尾道に少し似ていた。

てづくりの形がかわいい椅子があった。

 

 

 

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2011年

11月

11日

「悩む力」から。ヒントをくれた文章

「精神医療の世界では、一般的に病気の再発・再入院はできるだけ避けるべきこととされている。病気が再発しないよう厳重に薬の管理をし、きちんと外来に通い、ストレスのない生活を送るようにと、患者ははれもののように扱われがちだ。けれどべてるではそのようなことはしない。薬を飲むか飲まないか、どこまでがんばるか、それは本人が決め、選びとることなのだ。その結果再発してもそれは当然おきることであり、予想されたことなのだからという意味をこめ「順調です」といわれてしまう。どんなに症状が悪化して再入院しても非難されるということはなく、本人が悩み、考えたすえに通り抜けてくることは「すべて順調」なのである。それは病気についてのべられていることではない。人間としての苦労の重ね方についていわれることなのだ。だから、再入院をくり返し順調に苦労を重ねてくると、べてるではむしろ「顔つきがよくなる」と積極的に評価されている。」p48

 

「べてるの家を訪れたとき、訪問者は自分の目の前にいるのがおおむねどこかおかしな人びとだということに気づくだろう。彼らは冬眠中のクマのように緩慢で怠惰な暮らしをしているかと思えば、突然「俺は死ぬー!」と叫んで海に入り、あるいはじっと引きこもって生死の境をさまよっている。健常者からみればおよそ非常識で、欠点と不可解な言動ばかりが目立つ彼らだが、そうしたすべてのことをとおして見えてくるのは、彼らのかけねのない正直さともいえる生き方なのである。病気があっても、いや病気であるがゆえに、彼らはあるがままの自分をそのままに生きている。そう生きなければならない。飾り、気取り、自分を作ろうとすれば、どこかで破綻してしまう人々なのだ。それはまるであらゆる飾りを取りのぞいた後にあらわれる、原初の人間の姿のようにもみえる。

 そのような彼らとともにいるうちに、訪問者はそこにあぶりだされてくるのがけっして精神障害者の真実の姿などではなく、彼らの前にいる自分自身なのだということに気づくのである。飾らず、作らず、そのままで生きているべてるの人びとの前にいるとき、仮面をかぶり、対面をとりつくろうことに懸命で、いつもまわりの評価を気にして奮闘し、気が休まることのない「こっけい」な自分というものが見えてくる。」p88

2011年

2月

08日

consensusu desition のワークショップ

 

昨日と今日でconsensus desition making のワークショップに参加した。

 

重要なこと。equality.

 

要約すること。summarize.

 

話しをきくこと。

 

proposal (企画)を一緒に 吟味・改善すること。modificate

 

尊敬すること。

 

ちょっと、やり方がわかってよかった。

 

木の花ファミリーに行ってみたい。

 

mission & purpose を明確にすること。

 

英語の勉強になった。

 

外国の人と話している方が自然と笑顔になる。なんでだろ。

 

言葉が幼稚になるから、表情でカバーしようとがんばるみたい。

 

やっぱり外国に行った方がいいのかな。

 

 

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2011年

1月

11日

ヤコブの手紙試写会感想

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2011年

1月

03日

なんかハーブっぽいやつ

Ginger Blend
Ginger Blend

Aさんからお年賀を

をもらった。

 

ハーブ液でなんかお茶とかに入れるやつ。

 

ジャンジャーブレンド ハニー&ハーブ

 

ほのかにレモングラスの香り。

オーガニックレモンとハチミツと

ペパーミントとショウガが入って

いるらしい。なんか風邪予防できそう。

 

ナッツのタルトもおいしかった。

http://www.flojapon.co.jp/baked/tartelette.html

 

こういうアマランタンみたいなやつ好き。

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ちょっぴりたのしいことを毎日つづります

2010年1月2日

twitterの画像を変えてみた。うさぎは寒いと固まるみたいです。