「悩む力」から。ヒントをくれた文章

「精神医療の世界では、一般的に病気の再発・再入院はできるだけ避けるべきこととされている。病気が再発しないよう厳重に薬の管理をし、きちんと外来に通い、ストレスのない生活を送るようにと、患者ははれもののように扱われがちだ。けれどべてるではそのようなことはしない。薬を飲むか飲まないか、どこまでがんばるか、それは本人が決め、選びとることなのだ。その結果再発してもそれは当然おきることであり、予想されたことなのだからという意味をこめ「順調です」といわれてしまう。どんなに症状が悪化して再入院しても非難されるということはなく、本人が悩み、考えたすえに通り抜けてくることは「すべて順調」なのである。それは病気についてのべられていることではない。人間としての苦労の重ね方についていわれることなのだ。だから、再入院をくり返し順調に苦労を重ねてくると、べてるではむしろ「顔つきがよくなる」と積極的に評価されている。」p48

 

「べてるの家を訪れたとき、訪問者は自分の目の前にいるのがおおむねどこかおかしな人びとだということに気づくだろう。彼らは冬眠中のクマのように緩慢で怠惰な暮らしをしているかと思えば、突然「俺は死ぬー!」と叫んで海に入り、あるいはじっと引きこもって生死の境をさまよっている。健常者からみればおよそ非常識で、欠点と不可解な言動ばかりが目立つ彼らだが、そうしたすべてのことをとおして見えてくるのは、彼らのかけねのない正直さともいえる生き方なのである。病気があっても、いや病気であるがゆえに、彼らはあるがままの自分をそのままに生きている。そう生きなければならない。飾り、気取り、自分を作ろうとすれば、どこかで破綻してしまう人々なのだ。それはまるであらゆる飾りを取りのぞいた後にあらわれる、原初の人間の姿のようにもみえる。

 そのような彼らとともにいるうちに、訪問者はそこにあぶりだされてくるのがけっして精神障害者の真実の姿などではなく、彼らの前にいる自分自身なのだということに気づくのである。飾らず、作らず、そのままで生きているべてるの人びとの前にいるとき、仮面をかぶり、対面をとりつくろうことに懸命で、いつもまわりの評価を気にして奮闘し、気が休まることのない「こっけい」な自分というものが見えてくる。」p88