壁塗り

この2日間で11人の人に来てもらった。

準備の段取りとか時間設定で

反省することもたくさんあるけどやってよかった。

 

価値を提供すること。もてなすこと。

壁をぬってみたい人もいるし、人と出会いたい人もいるし…

 

ひとりひとり塗り方に性格がでていておもしろかった。

水と珪藻土を混ぜる比を手応えで覚えた。

 

壁をぬるときは手とモノが対話する。粘り気の感覚。

平にする微妙な力の入れ加減。職人気質の人は、

対話をするのに必死なので、人と話さない。

私もそうなので、3時間位黙って作業に没頭できるけど、

今日はホストなのでなるだけ来たひとに楽しんで

もらえるように話しをするようにした。

 

珪藻のミトコンドリアの形状は人と違って糸状だそうです。

 

最近の感じていることをうまいこと具体的に言い当ててくれた文

技法以前より

『科学的な成果を享受した現代人は、その裏側で人間としてもっとも

 大切な「生命感覚」と「人とのつながり」の両者を見失ってきたのである。

 統合失調症などの精神障害をめぐるテーマの核心も、生命感覚すなわち

 「人(自分)は死ぬ」という当たり前の現実感と、

 「人は一人では生きられない」というわきまえをいかに取り戻すかにある

 と私は考えている.

 中村は、「近代科学が無視し、軽視し、果ては見えなくしてしまった

 〈現実〉」を捉えなおすために必要な原理として、「個別性」

 「多義性」「身体性をそなえた行為」の三つをあげている。

  科学はすべてに共通した要素を抽出し、それを客観と称するのに対して、

 「個別性」とは人間一人ひとりはユニークで独自な存在であると知ること

  である。「多義性」とは、答えは一つではなく、一つの出来事が見方に

  よってさまざまな意味をもつという可能性を受け入れることである。

 「身体性をそなえた行為」というのは、何事も身体で感じる経験というプロ セスを経ることの重要性である。

  私はそれらの要素が江戸文化の中に脈々と息づいているように思う。

 科学文明が世界を浸食するなかで、日本という島国に「個別性」「多義性」

 「身体性をそなえた行為」を重んじる”濃い”文化が、花開いていたのである。』