なぜ関心をもつのか

何がいいとか、悪いとか、判断基準も、価値観も、持って生まれたものと環境でつちかったものがあるのだろうか?世界は良いことも悪いことも混沌としている。何がよくてわるいかと思うのも自分次第だ。その中で自分が持った悩みというのは多分自分が生まれてきた意味に直結しているのではないだろうか。
どうして社会の問題に無関心といわれるひとたちが圧倒的多数なのか?と問うときに、なぜ自分は逆に関心を示すのか?その関心は一体どこから来た?それは「自分に関わりのあることだから」なぜそう感じるのか?「現状がよくないと感じるできごとがおこったから」それは本当にそう思うに足る因果関係があったのか?「直感的に」「体験から」それをその体験をしていない人に伝えられるのか?「わからない」「でも痛みを感じている自分に嘘をつくことはできない」無関心といわれている人が痛みを感じていないというのか?「否」「感じている」「本当は感じていると思う」「知らないうちに」たくさんの矛盾を抱えながらそれでも伝えることができるのか?「わからない」「独りでは難しい」たくさんの考えの違うなかで、自分も傷つくし、相手も傷つける。それでもその痛みに関わりつづけることが、魂のカタチを表現することにつながる気がする。自分が一体何者なのか?を知る手がかりになる気がする。