学ぶべきスキル

長野の佐久に行ったときに、カラマツばかりが植えられていて、そこが「昔は田んぼだったんだよ」と聞いてびっくりした。森に光が入っていない。人が上田人工林は、人の手が入らないとたちゆかないという。自然の植生は不思議と、木の高低に序列ができる。木の高さが違うから、森に光が入る。それぞれの木が光をわけあっていながら、木の種類はその土地に固有で、それでいて種類が多い。多様性と調和の見本が、自然界にある気がした。人が使うものが食べ物や、水や、空気なら、売れないから、お金が手に入らない(紙幣という信用をともなった紙)といって自分の住んでいる土地に生えている木を使わないというのは、それこそ「合理的でない」と思う。自然の理に沿っていないということだ。お父さんが自殺をしたセレニティの当事者の人も言っていたけど「誰もが置き去りにされない社会」をというのは、何も経済が成長してそのおこぼれを頂戴するためにみんながあくせく働く社会ではなくて、「すでにある」家族や命のつながりの大切さを、それを失った人たちが「いちばんに考えて」ほしい、価値をより高貴なものを高位に置くようにしてほしいと言っているのだとおもう。経済が悪化すると、自殺者が増えるというけど、借金で首がまわらなくなって自殺するというこの社会の仕組みがおかしいだろう。お金は紙で、食べられない。
経済が悪くなっても、それこそ山から木をきってきて家を建てれたり、田んぼでお米をつくったり、いろんなものを融通しあえるようなコミュニティをつくるスキルを身につけていれば、「生きるために必要な」ものはそもそも空気と水と土と人とのつながりでそれがあれば人は生きていけると「実感できる」ような力や知恵があれば、自殺をしたり、心の病にかかる人は少なくなるのだろうか。私にはそのスキルがまだ全部足りない。足りないけど、10年前にドイツに行って、緑の党があるということを知った。緑の党は奇もてらいもなく命が最優先だと言ってくれた。人だけではなくて、微生物も含むすべての生物の命のことを。だから私は緑の党を応援したいし、

「生きるために必要な」スキルをこれからも学んでいくと思う。