私には、一万円を寄付してくれる友人は600人もいない。

私には、一万円を寄付してくれる友人は600人もいない。新しい党として選挙に立候補するというのはそういうことだ。一般人が立候補するのってそういうこと。三宅さんが言っていたように「立候補者を孤独にしてはいけない」のだと思う。政党交付金は、国会議員5人いて、得票率が2%以上だともらえる。今回当選者が出なかったから、供託金は没収されて、またやり直し。緑の党と他の脱原発を唱える党が一緒だったらいけたって声を聞くけど、私は、中に入って実情を知っているわけではない。逆にいえば、「私は」緑の党と他の党が一緒になるのに「何か」主体的に動いたのかと言われれば何もしていない。立候補したひとはみんな「私」を主語にしている。W統一杯 日本予選。サポーターのがんばりがもろ結果に影響する。っていうかサポーターも実はプレーヤーだった。
 「一緒に考えて動く人になりなさい」って言われている気がした。ほんとうは全部自由。他人に何かを強要することはできない。立候補するのも、ギターを一生引き続けるのも自由。政治に興味ないって言って一生終えるのも自由。私はたまたま知り合いが立候補して、話を間近に聞ける位置にいただけ。ちょっとだけ手伝って、そして結果に一緒にくそみそになって悔しがっている。選挙にお金をかけるよりか、再生可能エネルギーの普及にその力を注いだ方がいいっていう声があって、私はなぜ「市民」が政治に関わっていく必要があるのか、うまく説明できるだけの能力がなかった。応援するっていうのは、自分が「立候補者」並みにその政策や考えを体現できるくらい、勉強して立候補者の代わりに対話する相手の心を「戸別訪問」するようなものなのだと思った。私はまだまだ勉強が足らないのだ。ワトソン君。もっとガンガン、考えの違う人と話す訓練が必要なのだ。それこそ非暴力トレーニングだ。批判を聞いて傷ついている場合ではなかった。批判こそ「ありがとう、その点についてよく調べてくるからもう一度話そう」って返すべきだった。相手をコテンパンにやっつけるためではなくて、相手の話を聞いて、誠意をつくして話し合う心がまえが足りなかった。あーんドラえもん。助けて!ドラえもんはいなかった。便利な道具はなかった。心を開く道具なんてない。自分の頭と体と心しか持っていない。TPPに入ることによって、どんな変化が起きるのか。うまく説明できなかったことが、実際にどんなカタチになって生活に現れてくるのか。あるいはまったく現れないのか。家庭菜園をしている人が賢いのか、地に足着いた暮らしってどういうことか。
いろんなことがぐるぐるしている。
暮らし方を変えるのがトランジションタウン。政治に訴えかけること。
地に足のついた暮らしをすること。暮らしを楽しむこと。両方必要なの。
両方。