人が単純に必要としているもの

保育所の仕事で、

 

男の子から踏んだり蹴ったり結構本気で殴られたりして

痛いんだけど、

 

そのうちのひとりが

ある日

「抱っこしろ、さもないと殴るぞ!」

と言ってきたので

とりあえず4歳児だけど

しばらく抱っこしたり肩車したりしたら、

それまで殴ったり暴言を吐いてきた男の子たちが

急にみんなスキンシップを求めるようになってきた。

殴られたり蹴られたりするよりかは

そっちの方が身体的にラクなのでそうするようにした。

 

4歳って微妙な感じで、

甘えられるのと甘えられないちょうど境目くらいの感じで、

でも発達はやはりいきつもどりつするものだから、

小さいうちは思い切り甘えれば良いとおもう。

相手が誰であれ。

 

前の職場は小中学生相手だったから、

下手にスキンシップができなくて

逆にやりづらかった。

 

発達に可塑性があるとしたら、

むしろ何歳になろうが甘えるべきときに甘える方が、

その子の未来は拓けるように思う。

 

しかし荒れてる家庭ほどスキンシップの効果はわかりやすく

出ると思う。

特に父親がいない家庭でお兄さんボランティアが

肩車とかしてあげると子どもはめっちゃ喜ぶ。

 

子どもがふるう暴力は、ある意味メッセージなのだと思った。

「助けて!」って言っているような。

他の方法を知らないのだきっと。

 

誰かが怒ったり、怖い言葉を言ったりしたとき。

それが尊敬する人であるほどすくみ上がってしまうけど

その人がそうなるまで追いつめた自分は

どうしたらよいのだろうか。

 

僕ができることはなんだろう。

その人が楽になるように

荷物を持つことはできるだろうか。

どうやったら支えることができるのだろう。

 

誰かを支えようとしている人ほど

いちばん支えを必要としている。

 

言われたことは直すしかないし、

気づかない自分を責めても仕方ない。

次にできることを考える。

 

嫌われることを気にしていたら

本当の愛ではないなきっと。

 

必要以上に落ち込まず、

心のクッションをいつもやわらかく。

 

喜ぶ顔がみたいのだろうきっと。

その人が喜ぶ顔がみたい。

 

だから何ができるか考える。

ひとりの人を喜ばせることができたらきっと

それを世界全体に広げることができるだろう。