差別、外見、比べることについて


 
瀬谷駅で、フキプランニングのモペットを試乗しにいくときに
小人症の男の人が目の前を歩いていた。
私は小学4年生の平均身長と同じくらいで、
一応免許をとったから原付にものれてしまうわけで、
本物の原動機付き自転車、しかも車輪が24インチのものを
見に行くわけだが(身の丈にあったものを使った方が安全だ)、
背が小さいことによる周囲の反応はなんとなくわかる。
私は別に小学生のふりをするのはいくらでもできるけど
小人症の人はそうはいかない。
街を歩くのは勇気がいることだろうなと思った。
私だったらとても勇気がいる。
 
案の定中学のジャージを着た男子の集団が
好奇の目でその人を見ていた。
わたしはその男子の集団をずっと見ていた。
人が人をそういう風に見るときの顔をスケッチする。
表情でわかってしまうものだ。
脳のカメラに記憶する。
記憶をたぐる。
 
高校生のときにドイツに交換留学していたとき、
登校経路の脇に職業訓練校であるハウプトシューレがあって、
自転車で登校していたら
同じ位の年齢のその学校の子達に、
「中国人!」と叫ばれた。
その叫んだ子は瀬谷駅の中学生男子と同じ表情をしていた。
 
私はむっとした。
むっとしたのは「中国人」と呼ばれたことに対してか?
いやいや中国人ではなくて日本人だぞ。
と訂正したかったけど、
それはつまり「中国人」という言葉が侮蔑の対象になって
いるということだということに気付いて、
「ああドイツでは中国人の人は差別されているんだこれが差別というものか」と思った。
私はその一連の出来事に動転して、何も言えずにその場から立ち去り
学校に行った。
でも結構その出来事がショックで、
教室についたときに思わず泣いてしまった。
クラスメイトの子達がびっくりしてどうしたのと
聞いてきた。
「ハウプトシューレの子達なの?あいつら…私が見つけたら
 とっちめてやる」
とクラスのリーダー的な女子が言ってくれた。
私はその言葉にずいぶん勇気づけられた。
 
その後、その構造について考えてみた。
ギムナジウムは大学に進学するひとの学校で、
ハウプトシューレは職業訓練校だった。
ドイツでは小学4年生位でどの学校に
行くかが決まり、将来の進路が決まる。
 
自分のやりたい職業が見つかればいいけど、
まだよくわからないまま、成績だけで
選別されたハウプトシューレの子達はむしゃくしゃしているのだろう。
差別をする人もまた差別されているのだ。
そこに私のような1年しかいないとはいえ呑気そうな
アジア人がギムナジウムに登校しているのが気に入らないのだろう。
 
江戸時代の士農工商、穢多、非人のようだ。
人を区別して、選別する社会は不満のはけ口を必要とする。
 
私はその後カラオケ大会でアヴリルの歌を練習し、
(ドイツでは日本ほど個人のカラオケは流行しておらず、
 カラオケと言えば歌唱大会のように人前で歌うのが前提)
ANYTHING BUT ORDINARY の歌をみんなの前で歌った。
 
その後から、あまり侮蔑の声をかけられることはなくなった。
人を見た目で判断する人には、
「目に見えない才能」を努力して獲得し、
その人にわかる形で見せるほかないのだ。
つまり感動を与えること。
私はこの歌の一部の歌詞が好きだった。
 
Let down your defenses
守りに入るなんてやめて
Use no common sense
常識なんて捨てて
If you look you will see
そうすれば見えてくる
That this world is a beautiful, accident, turbulent, succulent,
この世は美しく、思いがけず、荒々しく、みずみずしく、豊かで、
Opulent, permanent no way
変わらないものなんて無いってことが
I wanna taste it
私はそういうことを感じたい
Don't wanna waste it away
決して無駄にしたくない
 
自分の本当にやりたいことがわかれば、
誰かと比べる必要もない。
誰かを妬む必要もない。
その時間があれば自分のやりたいことをすればいい。
このシステムの何に乗っかっているのか。
どうしてやりたいことを見つけられないしくみに
なっているんだろう。
 
瀬谷駅で見た中学生の子達も
「選別」され始めていることに苛ついているのかな。
私は自分が小人症だったら
あの人のように勇気をもって街中を歩けるだろうか。
 
祖母に六ヶ所村と東北について少し話しを聞いた。
名古屋の臨時国会でも、なぜか差別の話になり、
内田樹さんの東北論がでてきた。
 
 
このシステムから降りるにはどうしたらいいのだろう。