過程

愛とは、相手に執着しない、執着しないがゆえにあいてを憎まない、相手に期待しない、 期待しないがゆえに相手に失望しない、相手に見返りを求めない、見返りを求めないがゆえに尽くしすぎない。 そうありながら相手を想う。


と本に書いてあった。

子育てのようなものだというけど、

子どもに尽くさない親がいるだろうか?

子どもに期待しない親がいるだろうか?

(花が咲いたり、実をつけるのを楽しみにしないだろうか?)

子どもに執着しない親がいるだろうか?


逆に置き換えてみたら

放置プレーは慣れっこだけども。

むしろ邪魔されるのは嫌だけども。


相手を憎み始めたら、執着している証拠、ということだ。

かわいさ余って憎さ百倍とはよく言ったものだ。


でも、どうでもよかったら、育てさえしないでしょう。

水をやらないと草は枯れる。


執着するのも、憎むのも、期待するのも、失望するのも、

見返りを求めるのも、尽くしすぎるのも、

愛の過程ではないでしょうか?


その先に進みたいと、いつももがいているのではないでしょうか。

そういった感情さえも、結晶化させたいと。芸の肥やしにしたいと。

創造のかみさまに祈っておるのです。


かみさま

ぼくはもう にくみたくないのです


かみさま

ぼくはもう にくみたくないのです


かみさま 

ぼくはみんながわらっているのがいいのです


かみさま

ぼくは くうきになってもいいので


もっとかみさまにちかづきたいのです


こんな感情は苦しいからね

でもうまれてしまう。それはもう 大変 ばたばた 


ただ ただ 1ミリでも指を動かし

ペンを動かし


世界を愛した証拠を残したいのです。


透明になりたいとおもいます。