背負い始めた理由とその結果

籠を背負いはじめたとき、
「キチガイか」と周りに言われたが、
これには訳がある。
説明すると長い。
まず、私が生まれ育った茅ヶ崎という街は、
道が入り組んでいて、車が通りにくい。
人口はだんだん増えるものだから、
空き地や公園はどんどん住宅地になっていく。
木登りをした大きな楠木も切られて道路になった。
子どもたちは遊ぶ場所がないから、道路で遊ぶ。
遊んでいるとき、入り組んだ道で車に追い立てられるのは、
子供心にあまり気持ちはよくない。
それをずっと覚えているものだから、
大人になっても車の免許はいらないと思っていた。
石油も使うし。乗ると酔うし。
必要に迫られて免許をとったものの、
合宿免許の場所で寄った尾道からフェリーで島で
渡る船に、日本唯一のモペットに乗る人を発見。
神奈川県の瀬谷で生産されていることを知った。
自転車ほど美しいのりものはないと思っていたので、
自転車に原動機を付けただけの簡素な乗り物を気に入った私は
早速購入した。
なんでも、渋滞している道では、普通の車も
2〜30km/時速しか出せないそうだ。
そして茅ヶ崎はれいによって道が入り組んでいるのでそんなにスピードは出せない。
原付で畑に通い始めて、野菜を沢山もらうようになった。
もらった野菜を持ってかえるのに籠を背負うのがよいと思った。
籠は自然素材なので野菜を収穫するのにも具合がよい。
水分が通しやすいから野菜を入れておいても腐りにくい。
全く持って理にかなっている。
そんなこんなで籠を背負い出してから、
いろんな人に話かけられるようになった。

特に60歳以上の、
ほとんどが昔農家をやっていた人
「懐かしいねえ」と声をかけてくれます。
それはそれで、外国にいるような気になるので、
私は自分が異国の人になった気がします。

コスプレしている人もそんな心境なのかな?
大学時代に常に裸足の先輩がいて、
その人はやはり独特の雰囲気を放っていたけど、
それはそれでやはり、いろんな人に話しかけられていた。

こないだ東京でやっぱり初対面のおばあさんにはなしかけられた。
そのひとの家は昔農家で、
3歳のころから農作業をさせられたとのこと。
働かないとごはんをもらえなかったそうだ。
米俵もわらじも藁からつくることを覚えさせられたという。
すごいポテンシャルだ。
たとえば金融危機がおきて、靴がABCマートで買えなくなったとしても、
藁さえあればこのおばあさん履物つくれるやん。
東北から東京に来て、定年になったから埼玉で畑をやろうとしたら、
みんな開発で住宅地になって、貸してくれるところはどこもなかったとのこと。
実家でも探してみようと思ったら、震災にあって、親戚も家もなにもかも
流されてしまって、もう怖くてテレビが見られなくなってしまった。今はラジオだけ。
おばあさんはそのようなことをその日初めてあった私に話した。
私は籠にあった野生の小松菜の葉っぱをおばさんに食べてもらった。
「田舎の味がするねえ」
と言っていた。
おばあさんは東京でどうやって暮らしているのだろうか?
いろいろ聞いてみたかったけど行かないといけなくて、お礼を言って別れた。