痛みを想像できるまでの段階

こないだ、生まれて初めて渓流釣りをした。

餌となるミミズを針の先に突き刺した。

ミミズは悶えていた。

畑を掘り返しても、時々シャベルでクラッシュしてしまう。

ミミズにとってみれば、土の中でいい感じに暮らしてたのに、

いきなり天変地異が起きたようなもんだろう。

 

ある男の子が、

ヤモリの尻尾を持ってスーイスイと水につけていた。

まあ人間に例えると、バンジージャンプみたいに

足首掴まれて水の中に首を突っ込まれる感じ。

子どもによく見られる無邪気な動植物に対する拷問。

 

他の男の子が

「おいいじめるなよ、お前もそういうことされたら嫌だろ。やめろよ。」

と言っていた。

でも男の子はやめなかった。多分言われても理解できなかったのだろう。

まだヤモリの身になれない。そういう段階だ。

注意した男の子は、どうやったらヤモリの身になれたのだろう。

よく相手の身になって考えろという言葉があるが、

リアルに相手の身になるってどういうことなのだろう。

 

猫も時々虫や鳥を弄ぶ。

23歳くらいの子も、蟻を潰して遊ぶ。

痛みがわかる自分も、

わからない自分も同時に存在する。

 

相手の痛みを感じるためには、

まず自分の痛みを痛みとして感じれることが必要なのかもしれない。

赤ちゃんは、不快だと、とりあえず泣く。

誰かがおしめを替えたり、おっぱいをあげたりしないと、

自分で快と不快を分けられない。

多分一人では無理だ。

 

小さな子が、誰かをひっかいて年上の子を泣かした。

泣かしてしまったことを後悔してるっぽい。荒削りだけど、優しい魂。

 

泣いて、泣いて、泣いて、

誰かに共感してもらった時に初めて

「これは悲しいということか」という認識をして、

その認識をしたときに悲しみは半分になる気がする。

 

相手の身になって考えるっていうのは、

人間にもともと備わっている能力なのだろうか

それとも誰かに共感してもらって初めて

身につく能力なのだろうか

 

いじめをしている人は、実験しているようにも思う。

いじめっ子を観察してると

 

彼らは誰かが傷つく様を見て喜ぶ節がある

特定の誰かを。それは、

いじめっ子といじめられっ子に似た部分があることを

いじめっ子の子はそれとなくわかるんだ。似てる部分が。

かつての自分に似てるのかなあ??そしてその弱さを嫌悪してるように見える。

暴力は連鎖するように見える。弱い方から強い方には滅多にない。

 

彼らは精神的に傷ついてきたのだろうか??

彼らはこれ以上傷つくことができないのだろうか??

 

私がこれだけ傷ついているのだから

お前も傷ついたらいいって 言ってるのか

なんかね、誰かが傷つくのを見て、

それを「観察」してるようにも見える。

「傷つく」とはどういうことか知りたがっているように見える。

 

彼らは自分の手当ての仕方を知らないように思う。

 

自分がどれだけ傷ついているかの尺度がわからなくて、

実験的に他人で試しているようにも見える。

他人に「持ち物」の様に扱われたから

自分も他人をモノの様に扱ってるようにも見える

他人と自分の区別がある意味ついてない

自分の感情に自分で責任を持つ、という

ことがどういうことか教えられてない。

大人になっても、そうかも。

 

本当はいじめをする人が罰せられるのではなくて、

自分の傷ついた気持ちを自分で手当てする方法を

教えてもらうことが大切だと思う。

 

自分でできなかったらまずは他人に手当てして

もらう必要があると思う。

それは、人でなくて、場所や空間であってもいい

 

逆に自然(山、森とか川とか海)は、

私が悲しくても、楽しくても、いつも変わらない。

それは結構な優しさだと思う。

 

赤ちゃんのうちから、そういう自然の優しさを

感じれればいいけど、

赤ちゃん(人間)はまず周りの人に触れてもらって、

共感(共同注意)を媒介してもらってからじゃないと、

意識を広げて自然の優しさに触れられない人が

多いのではないかと思う。

感覚が閉じているというか。

自閉症や、障がいを持っていると言われる子は

逆にそっちの感覚は最初から開いているように思う。

 

大人になってもいじめをする人が増えている社会というのは

近しい人に共感をされた経験が少なく、

自分と相手の感情を分けることができず、

(従って自分の意見を持つことも許されず)

モノのように扱われている人が増えているということだと思う。

そりゃーまあ生きづらいわなあ。

 

で、自分の痛みを認識することができない人に

「お前は人(あるいは動物)の痛みが想像できないのか、薄情なやつだな」

という。

 

言われた方は傷つかないかと思いきや、

結構傷つくのが不思議だ。

自分の不全感を指摘されると辛いのだ。自分でも感じてるのに

どうしたらいいかわからないから、叫んだりする。

「知ってるよ。俺はロボットだよ。でもどーしたらええのかわからん」

その手でヤモリを弄んでいるのにもかかわらず。

 

まず、痛みを、自分の痛みとして、認識して、(第一段階、媒介が必要)

それから、相手の痛みを想像する。(第二段階、自分が悲しい時、

痛い時の気持ちを思い出す想像力が必要、

 

第一段階がないといきなりはできない)