私は人の表情を観察するのが好きだ。
絶望や嫉妬、怒り、無関心、蔑み、悲しみ。
そういう時の人の表情も、見てみたい。
素っ裸になった心を覗きたい。
(そういう意味ではちと変態かも!)
あと、狂っている、狂っていない、とはどういうことかも気になる。
精神病院の病棟内にいる人の表情を観察した。
彼らは、感情が動くことがない。
感情が動くところを見てみたい。
感動するところを見てみたい。
私のいろんな破壊的衝動は
そこから来ている場合がある。
人を活き活きさせない状況を破壊したい。
精神科の病棟の壁を破壊したい。
活き活きするということはどういうことか。
脈動するということはどういうことか。
心からの笑顔と、そうでない笑顔。
病とともにいる人の表情を観察すると
だんだん見分けがつくようになる。
瞳にそれらの表情は宿っている。
逆にいうと、病んでいるからこそ、
健全ということはどういうことかわかるような気がする。
本の整理をしてて、
素っ裸の子どもの笑顔の写真の広告が出て来て度肝を抜かれた。
田んぼで泥んこになって、裸ん坊なのになぜか靴は履いていて
リュックを背負った子どもたちが並んでニッコリしている写真。
(大人が同じ格好して広告に載ったら強制わいせつ罪になるし、
昔の本だからできたことだろう)
注目したいのは子どもたちの表情だ。
彼らは心からの笑顔で笑ってる。
よく「アジアの子どもたちは瞳が活き活きしている」
と言うけど、いつの時代だかわからないが日本でも
そう言う子どもはいたのだ。
私たちを活き活きさせるものって一体なんなんだろう。
絶望の淵を覗くと、その片鱗が見える気がする。